第6話           2(修正版)

 会議が終わったのは、結局夜の10時を過ぎた後だった。

 やっぱり2時間だったなと思う。でもこんな予測、当たっても嬉しくない。

 ここから更に残業する人もいるみたいだったけど、大変だなって気遣うだけの余裕もなかった。

 課長や部長らは早々に出てったけど、上司がいると逆に終わらなかったりもするし、どうぞどうぞって感じだろう。

 最低限、会議室の片付けだけを終わらせて、オレも大急ぎで退社した。


「今から帰るよ」

「やっと終わったから……」

 ケータイを耳に押し付け、大事な誰かと連絡取ってる同僚たちを、早足で抜き去ってずんずん歩く。ちょっと羨ましい。けど、彼らに嫉妬しても仕方ない。 

 社屋を出てからは、カバンを小脇に抱えて全力で走る。

 夜のオフィス街に、妙に響く靴音。近くのスーツの集団が何事かとこっちを振り返り、それが知ってる顔だったので、さすがにオレも気まずかった。

 課長や係長だ。部長もいる。


「やあ、大橋君。お疲れ」

「お急ぎだね、猫かね?」


 からかうように言われたけど、相手してるだけの精神的な余裕はない。わざわざ立ち止まって、集団の仲間入りするような義理もないと思いたい。

「はい、お疲れさまでした! お先に失礼します!」

 体育会系のノリっぽさを意識して、ぺこっと頭を下げてから、ダッと駅までダッシュする。

 明日、またからかわれそうだなと思ったけど、今は気にしてられなかった。


 じりじりしながら電車に乗って、降りて、改札抜けるまでがすごく長く感じた。

 駅から家までの道も、長かった。

 途中、コンビニの前を通った時、寄るかどうか一瞬迷った。アツヤ君、お腹空かしてるんじゃないのかな? 何か買ってった方がいいのかな? って。

 でも、ご飯だったらまた買いに行けばいいし、いっそ食べに出てもいい。デリバリーでもいい。自分で食べてるかも知れないし。余計な寄り道するより、まずは早く帰りたかった。


 頭の中には初めて遅くなった夜の、あの様子のおかしい少年の姿が残ってる。諸々印象的で、忘れられなかった。

 あの時みたいに、彼を不安にさせたくなかった。


 アパートの前で、外から部屋の明かりを確認してホッとした。

 窓が開いてて、人影がちらっと見えたことにドキッとする。すぐに見えなくなったけど、待っててくれたのかなと思うと、やっぱり嬉しい。

 不安にさせて悪かったなって思い。頑なに連絡先を教えてもらえないもどかしさ。

 電話の1本でもできれば、こんな気持ちになることもないのに。じわっと胸が熱くなる。


 でも、階段を駆け上がってドアを開けると――聞こえて来たのは、いつも通りのTVの音だった。

「お帰りー」

 TVの前にドカッとあぐらをかいたまま、アツヤ君がこっちに目を向けた。

 以前みたいに駆け寄って来られても心配だけど、まるでいつも通りにされても、肩透かしに「ええっ!?」ってなる。

 オレが遅くなろうかどうでもいいような、そんな態度にヒヤッとなる。

 けど、よく見たら窓のカーテンが開けっ放しになってて……なんだ、やっぱり覗いてたんじゃないか。そう思ったらホッとした。


「ゴメン、会議長引いた」

 カバンを置いて上着を脱ぎ、ネクタイをほどく。

 こんな時「お疲れ様」とか、ねぎらいの言葉を掛けてくれれば可愛いんだけど、そんなデレは期待してもムダだ。

「腹、ペコペコなんスけど」

 不機嫌そうにじとっと睨まれ、再び「ゴメン」って謝ってから、オレはそっとため息をついた。


 生意気な態度はいつも通りだけど、いつも通りなことに、ホッとする。

「今から作ってたら12時過ぎちゃうし。何か買ってくるけど、何がいい?」

 上着の内ポケットから財布を取り出しながら言うと、アツヤ君がゆらっと立ち上がった。

「何でもいーっス」

 腕を伸ばされ、顔を寄せられて、ドキッとしてビクッとする。でもこのキスは、拒んじゃダメなような気がした。

 余裕のあるフリしてるけど、やっぱり彼、1人で誰かを待ち続けるのはキツイんじゃないのかな?

 どんな事情があるのか、トラウマがあるのか、未だに何も聞けてないけど。いつかは、ちゃんと知った方がいいのかも?


「……コンビニ、一緒に行く?」

 キスの後、筋肉の張り詰めた背中を撫でながら誘うと、耳元で「ふっ」っと笑われた。

「イヤっス。忙しいんで」

 忙しいって。TVばっか見てるだけのくせに。ウソツキ。

 使いっパシリどころか、散歩も一緒にしてくれないんだから、ホント気まぐれな猫みたいだと思う。


 2人で出かけた事も、ほとんどない。

 オレと一緒に外を歩くの、そんなにイヤ? 恥ずかしいのかな? そのくせ、甘えるのだけは上手で強引で、彼の考えが分からない。

「メシ、やっぱいらねーから、代わりにアンタを食わせてよ」

 そんな勝手なセリフと共に、オレを壁に押し付けて、好き勝手に振る舞う少年。


「大橋さんだって、期待して急いで帰って来たんでしょ?」

 ふふっと魅力的に笑いながら、Yシャツの中に手を入れてくるのを、やんわりと振り払う。

「そうだけど、期待したからじゃないよ」

 顔を背けて答えると、「じゃあ、何?」って耳元で訊かれた。

 ぞくっとして、カーッと顔が赤くなる。響きのいい声に甘えた色を乗せられると、かなりヤバイ。


 泣いてるんじゃないかと心配したのも事実だけど、何よりオレは、彼が出て行ってしまうのが怖い。

 オレのいない間に、オレに黙って、突然いなくなっちゃうんじゃないか、って。それを考えるのも怖い。

 でも、それを口に出してしまうと「重い」って思われそうで、余計に何も言えなかった。

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