第5話 遅くなった夜のこと 1☆(修正版)

 長引く会議の席にじりじりしながら座ってると、独特のニオイと共に、大量の牛丼が運び込まれて来た。

 時計を見れば、午後8時。

「腹減っただろう、ちょっと休憩入れよう」

 専務の合図に、ドッとみんなが声を漏らす。牛丼に喜ぶ声だけだとは思わないで欲しい。これで多分、あと2時間は帰れない。


「主任、お疲れ様です」

 後輩がそう言って、オレの前に牛丼と500mlのお茶を置いてくれた。

「今日は長引きそうですね~」

 のんびりした声で言いながらケータイ画面に触れる彼は、誰かに連絡でもするんだろうか? よく見れば他の人達も、それぞれケータイ片手に家族と連絡取ってるみたいだ。

「あー、もしもし、オレ。今日遅くなりそうだ……」

 そんな声や着信音が、あちこちから響いて来る。


 休憩なんかいらないから、早く帰らせてくれればいいのに。

 お腹はすいてたけど、とても食べるような気分じゃなくて、配られた牛丼のプラ容器を睨む。

 すると、ケータイを置いて代わりに牛丼を引き寄せながら、後輩が言った。

「ああ、主任、猫のこと気にされてるんですね? ペットいると大変ですねぇ」

 猫と言われて、「まあ、うん」と曖昧にうなずく。そういえば彼には、そういう説明をしたような気がする。

「猫には電話できないし、残業だって言っても通じませんしねぇ」

「そうだね」

 実際には猫なんて飼ってない。けど猫じゃなくても、確かに電話はできなかった。


 後輩の言葉にどよんとしてると、横から課長が口を挟んできた。

「なんだ大橋君、ペットのエサでも気にしてんのか? 犬猫なんか、1食くらい抜いたって大丈夫だろう」

「ええー……まあ、はい」

 肩をぽんと叩かれて、曖昧に返事はしたけど、上手に笑えてるかどうかは分からない。

 じりじりしながら時計を見ても、会議はなかなか再開しない。8時10分。

 いつもなら、とうに帰ってる時間だけど。帰りが遅くなってるってこと、そろそろアツヤ君は気付くかな?

 気付いた後、ご飯、自分で用意するかな?


 昼食代にって渡してるのは、1週間に5千円。「足りない」って言われたことはないけど、それで晩御飯食べるくらいは、ちゃんと余ってるんだろうか?

 夕飯を自分で作ることはできなくても、買いに行くことくらいはできるだろう。高校生だし。乳幼児じゃないんだし。飢えて不安で泣いたりしてなんかいないだろう。

 でも何ていうか――気になって。会議の間も、落ち着かなかった。


 ずっと以前、こんな風に、帰りが遅くなった夜のことを思い出す。まだ出会って数日の頃だ。

 連絡したくても、彼の連絡先を知らなくて。というか、ケータイ自体を持ってるかどうかも知らなくて。うちには固定電話もないから、結局連絡できないまま、今日みたいにじりじりと過ごした。

 連絡できないのは今も同じだけど、初めての時はオレも焦った。

 心配してるんじゃないか、とか、それとも出てっちゃったんじゃないか、とか、色んなことを考えた。


 駅から必死に走って帰って、アパートの窓に明かりが見えた時は、ホントに心からホッとした。

 ダッと階段を駆け上がり、勢いよく戸を開けて、大声で謝った。

「ゴメン、アツヤ君。仕事で遅くなっちゃって。ご飯……」


 ご飯、今作るから……と、言おうとしたけど、言えなかった。

「大橋さん!」

 飛び出して来たアツヤ君にぎゅっと抱き締められ、「よかった」って言われて。返事もできない内に強引にキスされて、舌をねじ込まれた。

 何が「よかった」なのかよく分からなかったけど、とにかく心配させたのは確実のようだったから、キスの後で再度謝った。

「ゴメン、心配させたよね?」

 アツヤ君はそれには答えなかったけど、ぎゅうぎゅうにオレを抱き締めたまま、しばらく放してくれなかった。


 彼にどんな事情があるのか、オレは知らないままだ。

 でもこんな風に、帰らない誰かを待ち続けたことがあるんじゃないか……と、その時に思った。


 初めてアツヤ君に関係を持ったのは、その日の夜のことだった。

 抵抗できなかったオレも悪いから、被害者ぶるつもりはないけど、完全に合意だったとは言い難い。

 とにかく、その夜。

「大橋さん……」

 アツヤ君は熱のこもったような声で囁き、自分の服を脱ぎ出した。

 そんなことは初めてだったから、ビックリした。他人の裸なんて、じっくり見たいモノじゃない。気恥ずかしくて居たたまれなくて目を逸らした途端――いきなり襲いかかられた。

「うわっ」

 ベッドに押し倒されて悲鳴を上げると、文句を言う間もなく唇をふさがれた。

 肉厚の舌がねじ込まれ、オレの口中をべろべろと舐め回す。「んっ」とうめくと唇が放されて、代わりに首筋を舐められた。


「大橋さん」

 熱っぽくオレを呼ぶ声。性急にシャツをめくられ、肌を撫で回され、固いモノをぐいっと押し付けられて焦る。

「ちょっ、アツヤ君……」

 とっさに言葉が続かなかった。溜まってるのか、とか、トイレで抜いてきたら、とか、オレの手伝いはいるか、とか……色んな考えが浮かんだけど、どれも言葉にはならなくて、あわあわと慌てた。

 もしかして、オレの「ご奉仕」を望まれてるんだろうか?

 でも、そうは思っても自分から言うのは難しい。結局何も言えないまま黙ってると、アツヤ君が口を開いた。


「絶対痛くしねーっスから」


 その言葉が何を意味してるのか、オレはまったく分かってなかった。

「え? なに?」

 聞き返したけど、説明はない。

 パジャマのズボンと下着が、一気に引き下ろされて脱がされる。

「あっ、ちょ……っ」

 ギョッとして起き上がろうとしたけど、強い力で布団に押し戻された。

 反射的にヒザを立てると、そのままぐっと掴まれて――。


 とっさに逃げることもできなかった。

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