第2話 ヒモ少年を拾った日 1

 それは、土砂降りの雨の夜だった。

 駅前のロータリーの時計の下、石造りのベンチの上に、彼は片膝を抱える格好で傘もささずに座ってた。

 最初、人だとは分かんなくて、何が置いてあるんだろうと思った。そう明るくもない場所だったし、黒の学生服を着てたから余計にだ。通りすがりにふと見たら、人だったんでビックリした。


 親の車でも待ってんのかな? と、まず思ったのはそんなことだ。部活帰りとしては遅いけど、塾の帰りだと考えればそんな不自然な時間でもない。

 でも、だったらもうちょっと雨宿りできる場所もあるだろう。

 ロータリー付近に屋根はないけど、例えば「改札前のコンビニで待ってるよ」って、連絡すればいいじゃないか。着いたら電話して貰うのでもいい。

 それとも……ケータイ、忘れたのか?


 声をかけたのは、何となく気になったからだ。見過ごせないとか可哀想とか、そういうんじゃなくて、もっと軽い気持ちだった。

「風邪ひくよ」

 ビジネスバッグの底に入ってた、よれよれの予備の折りたたみ傘を差し出すと、彼は気だるげに顔を上げて、オレを見た。

 泣いてるように見えたから、あまり直視はしなかったけど、すごく整った顔してるのは暗くても分かった。

 途端に何か気まずくなって、オレは「じゃあね」って傘を押しつけ、さっさと退散しようとした。

 でも――。


「あのっ」

 少年が掴んだのは、傘じゃなくてオレの手で。

 縋るようにぎゅっと握られて、泣きそうに歪んだ顔を向けられたら、もう放って置くことはできなかった。


 捨て犬や捨て猫なんか、今まで拾ったことなかったのに。初めて拾ったのが人間の少年なんて、変な話だ。

「うち、来る?」

 思わずそう言うと、少年はオレの手を掴んだまま、濃い眉をぴくっと寄せた。


 あ、警戒させかな? と思った。

 それに、誘ってはみたものの、そういえば人を招けるような部屋でもなかった。整理整頓なんて言葉は、オレの辞書に載ってない。

「ああ、ゴメン。イヤならいいんだ。こんなこと突然言われても困るよね! 別に怪しい者じゃないんだけど、うちも狭いし、散らかってるし、そんなとこに誘われても逆に、迷惑っていうか……」


 言い募ってる内に、何を言ってんのか自分でも分かんなくなって来て、カーッと顔が熱くなる。

 そんなオレを見て、少年は「ふっ」と小さく笑みを漏らした。

「いーんスか? オレなんか拾って」

 掴んだままのオレの腕を、突然ぐいっと引っ張る少年。

 よろけそうになるのを慌ててぐっと踏ん張ると、オレの腕を支えにして、少年がベンチから立ち上がった。


「見知らぬ男をほいほい家に上げて、どうなっても知りませんよ?」

 皮肉げに頬を歪め、子供のくせに小馬鹿にしたような目でオレを見る。でも、生意気だとはその時思わなかった。

 少年は頭からずぶ濡れで――泣いてるように、見えた。



 それが、うちにヒモ少年が住み着くようになった馴れ初めだ。殊勝に見えたのは最初だけで、後はずーっと態度がデカい。

 オレんちに最初に1歩入ったときだって「謙遜じゃねーんだ」って、ぼそっと言ってたし。


 何のコト言われてんのか分かんなくてスルーしちゃったけど、お風呂を洗ってる最中に気が付いた。

 謙遜じゃないって、もしかして「狭い」とか「散らかってる」とか言ったこと!? 大きなお世話だ。

 そりゃオレ、整理整頓とかできない人間だけど、足の踏み場もないって程じゃないし、許容範囲だろうと思う。1人暮らしなら1Kで十分だし、風呂トイレ別だし、大学の寮の倍は広い。


 お湯はりボタンを押して部屋に戻ると、少年はオレの指示通り、ぐっしょり濡れた学生服とズボンを脱いで、パンツ1枚で立っていた。

 若々しい筋肉質の体が、すっごく眩しかったの覚えてる。

 なんか、直視できなくて。視線を微妙にらしながらタオルを渡し、脱ぎ捨ててあった学生服を拾おうとしゃがみ込んだ。

 そしたら、少年も一緒にしゃがみ込んで来て――顔を上げると、整った顔が間近にあってドキッとした。

 身を引いた拍子に、バランスを崩して床にドスンと尻もちをつくオレ。そのオレを真っ黒な目でじっと見つめて、彼は。


「あんた、そっちの人なんスか?」

 と、訳の分かんないことを訊いて来た。


「そ、っち……?」

 意味が分かんなくて首を傾げたら、今度は単刀直入にズバッと訊かれた。

「あんた、男が好きな人ですか?」

 言葉は分かったけど、訳が分かんなかった。なんでそんなこと訊かれてるのか? そう見えるのか? 突然一体何なのか?

「えっ、と、なんで?」

 戸惑いながら訊いたら、「違うんスか?」って不思議そうな顔で逆に訊かれた。


「だってあんた、童貞っぽいし」

 そんな言葉に、胸をぐさっとえぐられる。

 ヤリチンっぽいって言われるのもどうかと思うけど、童貞っぽいって、ハッキリ言われると地味にショックだ。

 呆然として何も言い返せないでいたら、少年はふふっと笑って、謝りながら立ち上がった。

「すんません、あんたの前に、『2万でどうだ?』って言われたばっかだったんで。あんたもてっきりそうなのかと」

「2万!? はあっ!?」


「いや、勿論断りましたけど」


 あっけらかんと言われたのに、胸の奥がモヤモヤした。

 断るのは当たり前だ。でもその相手だって、もしかすると放って置けないと思ったから言ったのかも?

 全部オレの想像だけど、何て言っていいのか分からず、床に尻もちついたまま少年を見上げる。

 少年は整った顔に笑みを浮かべて、オレに手を差し出してくれた。その手をおずおずと掴むと、ぐいっと引っ張られて立たされる。

「……ありがと」

 ぎこちなく礼を言うと、強い力でぐいっと抱き寄せられ、耳元でこそりと言われた。


「お兄さんなら、タダでもいいっスよ」


 耳元をくすぐる囁き。大人になりかけの裸の肩。濡れた髪のニオイに、落ち着かない気分になってくる。

「……冗談言ってないで、早く拭きなよ」

 必死に冷静を装い、濡れた学生服を抱えて洗濯機に向かったけど、大人の貫録を出せたような気はしない。

 少年もくすくす笑ってて。でもなぜか、イヤな気持ちにはならなかった。

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