ヒモの待つオレの部屋

はる夏

第1話 ヒモの待つオレの部屋

 1時間の残業を終えて帰り支度を始めると、後輩に声を掛けられた。

「大橋主任、よかったら帰りに一杯どうですか?」

 その後輩は、人見知りのオレでも割と話しやすくて、よくお昼も一緒に食べたりする人だった。だから、ホントなら行きたかったんだけど。

「ごめん」

 オレは誘いを断って、狭い1Kのアパートに帰ることを選んだ。

「ペットにエサ、あげなきゃだから」


「へぇ、主任、ペット飼ってるんですか! いいなぁ、何飼ってんですか?」

「猫だよ。大きいの」

 オレが答えると、後輩はひとしきり「いいなぁいいなぁ」と繰り返し、羨ましそうに言った。

「猫って癒されますよねぇ」

 オレは曖昧に笑って、「まあね」って相槌を打った。


 つややかな毛並みの小さな生き物は、確かに可愛いし、きっと癒しになると思う。

 トイレの世話とかエサの世話とか、爪とぎなんかも大変だろうけど、それ以上にきっと、一緒にいて幸せな気持ちになれるだろう。

 ただ残念なことに、オレが飼ってるのはそんな可愛らしいペットじゃなくて。


 ホントは――ヒモ、だった。


 鍵を開けて玄関に入ると、テレビの音がやかましく聞こえた。

「お帰りー」

 布団に寝そべってTVを見てたらしい少年が、のそりと起き上ってオレを出迎える。

 普段は、振り向きもしないことだってあるのに。わざわざこっちに来るってコトは、お腹でも空いてるんだろうか?

「アツヤ君、TV消して」

 注意しながら中に入ると、「見てんスよ」と言われた。

 それでも、言わなくても音量を下げてくれるようになっただけ、マシかも知れない。

 画面からはひな壇に並んだ芸人の、やかましい笑い声が聞こえてる。


 スーツの上着をハンガーに掛け、ネクタイを外してキッチンに向かうと、金魚のふんみたいに少年もついて来た。

「今日、メシ何スか?」

 ほら、やっぱり空腹だったみたいだ。

「まだ決めてないよ。適当に作るから、アツヤ君はTV見てて。それか……勉強したら?」

 ちくりとイヤミを言うと、少年は整った顔を不機嫌そうに歪めた。

 でもオレ、間違ったこと言ってないと思う。なぜならアツヤ君は、まだ17歳の高校生だからだ。

 ただし、「自称」だけど。


「……宿題は終わりましたよ」

 不機嫌そうな声でそう言って、アツヤ君はTVの方に戻って行った。

 ホントかどうかは知らない。ホントに、昼間ちゃんと学校に行ってんのかどうかも。どこの生徒なのかも知らない。

 けど、オレは保護者じゃないし、プライベートに踏み込む義理もない。それ以上説教じみたことを言うのをやめて、料理を作ることにする。


 週末にスーパーに行って、適当にまとめ買いした食材は、冷蔵庫にまだまだたくさん詰まってる。

 扉を開けてパッと目についたのは大箱入りのギョーザで、今日はもうこれでいいか、とその箱を取り出した。

 お米くらい焚いといてくれれば、もっとご飯も早くなるのに。それすらしてくれないヒモ少年は、ホント、ペットと同レベルだ。


 ワカメを水で戻しながら、お米を3合、手早く研いで炊飯器を仕掛ける。

 フライパンで焼くだけの、40個入りの生ギョーザを箱から出して、まず半分を焼きはじめる。

 レタスを水洗いしながら火加減を見て、ギョーザを皿に盛ったり、ワカメと卵のスープを作ったり。やることはオレ1人分でも変わらないけど、2人分だと手間が5割増しだ。

 フライパンも小さいから、ギョーザだって2回に分けなきゃ焼けなくて面倒。


 ホットプレート買おうかな?

 でもアツヤ君だって、いつまでもヒモ生活なんかしてないだろうし、きっとすぐに無駄になる。


 テーブルの上にできた物から並べてくと、それを見計らったようにアツヤ君が来た。

 勝手にミニ鉢を1個取って、小袋に入ったギョーザのたれを、ちゅうっとそれに移してる。どうせなら、オレの分のたれも作ってくれれば可愛いのに。

「ご飯、まだ炊けてないよ」

 たしなめるように言うと、「後でいいっス」って。

「それに大橋さん、中国ではギョーザ、ご飯と一緒に食べねーらしいっスよ? 炭水化物同士だから」

 そんなことも知らないのか、と言わんばかりの口調がホント、生意気だ。1回ガツンと言ってやらないと、って、いつも思う。

 思うだけで実行に移せないのが、最大の敗因かも知れない。


 諦めて自分の分のギョーザを焼き始め、その間にスープを汁椀によそってると、向こうでアツヤ君が、パンと手を合わせた。

「いただきます!」

 しつけがいいと言っていいのか、どうなのか。

 オレ、まだ料理中なんだけど。準備できるまで待って、一緒に食べようとか思わないのかな?


「スープないんスか?」

 作るの見てたくせに訊いてくるの、絶対わざとだ。

「ないよ」

 ちょっとムカついたので、振り向きもしないでツンと答える。それくらい、自分で取りに来ればいい。

 無視してギョーザを焼いてると……「あるじゃないスか」って、後ろでアツヤ君の声がした。


「ウソつき」


 耳元で囁かれ、同時に後ろから抱きすくめられて、ギョッとする。

 両手で胸を撫で回され、耳の後ろを舐められて、ぞくっと全身に震えが走った。ちょっと、今、料理中だって。

「あっ」

 思わず声を漏らすと、振り向かされて整った顔を寄せられる。

 柔らかく湿った唇が間近に迫って――そのキスを、寸でで押し留めるのには、かなりの自制が必要だった。でも大人としては、そんな簡単に流される訳にはいかない。

「ニンニク臭いよ」

 トンと突き放して顔を背けると、ふーんと見透かしたように笑われた。


 だから、その笑みが生意気だっていうんだよ。顔赤くなってるの、自分でも分かる。

「ギョーザ食わしたの、大橋さんでしょ?」

 遠ざかる憎まれ口。振り向くとアツヤ君は、汁椀を2つ持ってTV前に移動してた。

 オレの分も持ってってくれたのか――と、こんな些細なことで嬉しくなってしまって、ダメだなぁと思う。

 そんなの、すぐにもっと上回る生意気で、帳消しになるのに。

「大橋さーん、メシ、後何分くらいっスか?」

 って。ほら。


「知らないよ。炊飯器、自分で見て」

 オレはできるだけ素っ気ない声を出して、自分のギョーザをレタスの上に山盛りにした。

 フライパンを洗ってる間に、ピーピーとご飯の炊けた音が鳴る。

 生意気な態度に腹を立ててたはずなのに、ここでちゃんと2人分、ご飯をよそってしまうのもオレの悪い癖だ。


 にゃーにゃー鳴いて催促だけは立派で、番犬にもなれない。ホント猫みたいな少年だと思う。ギョーザと一緒に茶碗を運んで、「はい」って渡したって、ありがとうも言われない。

「何かないんスか? ふりかけとか、卵とか」

 って。逆に文句言われて、座る間もなくキッチンに逆戻りだ。

 そして食べ終わったら食べ終わったで、ゲップして横になってるし。猫だって、もうちょっと愛想いいんじゃないか?


 でも、このペットが本当に厄介になるのは、食事の後片付けが終わった後だ。

「大橋さん、いいでしょ?」

 ねだるような声と共に、のんびりする間もなく襲われる。

「もうニンニク、気にならねーよな?」

 強引にキスされて、押し倒されて、体中をまさぐられながら、深く舌を差し込まれる。

 ホントに高校生なのかと疑問に思うくらい、その手順は手慣れてて――でも、そうさせてしまったのはオレだから、文句も言えない。


「今夜も、泣くほど善くしてあげるから。もうちょっとここにいてもイイよな?」


 ほら、そんなセリフ言うとこがヒモなんだ。

 ずっと側にいて欲しいって言ったら、きっと2度と戻って来てくれないくせに。バカ。半ノラ。

 でもオレは年上だし。大人だし。意地でもそんな気持ちを告げたくないから。

「考えとくよ」

 震える声で顔を背けて、黙って身を任すしかできなかった。

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