第12話 新年度
そうして「田中先生」がすっかり板についた頃、ある時、職場のシステム管理の責任者でもある室長から「いい人いるんだけど会ってみない?」と声をかけられた。
知り合いの息子さんで、そろそろいい歳なので結婚相手を探してあげているらしい。
もともと恋愛する気もなかったのでこの際、恋愛をすっ飛ばしてお見合い結婚でもいいのかも、と思っていた。
恋愛はすぐ悪い方に考えてしまう私にはきっと向いてない。
あっという間にお見合いはセッティングされ、紹介された男性はなぜこんな人がこの歳まで独身だったのかと不思議に思うくらい理想的な結婚相手だった。
素直に尋ねた時の彼の返答はこうだった。
「僕の場合は外野がいろいろうるさくてですね…なかなか決断に踏み切れなかったらあっという間におじさんになってしまいました」
え…?こんな素敵な人が?
当日聞いたところによると彼のお父さんは前市長だった。
「えっ」
そういや前の市長はそんな名字だったかもしれない。
釣書にはどんな仕事をしているとか彼自身のことしか書いてなかったから気にしてなかったけど、お父さんが元市長ならそれなりに息子の結婚相手には口を出すだろう。
私には勿体無いくらいの人だ。
彼———東條さんはうちの実家の話や祖父母の葡萄農園の話を興味深そうに聞いてくれた。
「素敵ですね、街の特産品にしようと作っているご家族も、その事を誇りに思っている珠美さんも素敵です」
微笑んだ東條さんに、かつての恋焦がれた彼の垂れてなくなる目を重ねた。
似ても似つかないのに。
彼に結婚を前提にプロポーズされたのは二か月後だった。
奇しくもそうちゃんと付き合い出した記念日だった。
…まだそんな、彼にとってはきっとどうでもいい365日の一日を、私はいつまで覚えているんだろう。
このプロポーズを受けたら、数年後私は幸せになって、プロポーズを受けた記念日として塗り替える事が出来るんだろうか。
これはもう忘れなさいと神様が言ってるのかもしれない。
「よろしくお願いします———」
私は縋るような思いでその手を取った。
———
年度初め。
暖かいこの地域では桜はもうすでに散っていた。
入学式まで持たなかったな…。
先月の後半は春休み中だった事もあり、消える前にまとめて有給休暇を取得した。
自分の担当授業や行事があるとなかなか休めない。
教員は授業がない長期休みに有給を使うのは暗黙の了解だ。
三年生を送り出したばかりなので、春休みの課外授業もない。
久しぶりに朝出勤すると七尾先生から声をかけられた。
「今年度もよろしく。聞いた?田中先生休んでる間に僕らが指導担当する新任がギリギリで辞退しちゃったんだってよ」
えぇ?まさかの辞退?
先月から新任の指導教育計画は七尾先生と立ててきた。
七尾先生は年上だけど珍しく男性教諭の中では威張ってはいない。
どちらかというと緩い方の先輩教諭だ。
去年送り出した生徒たちの同学年担当だったけど、つかず離れず、のらりくらり上手くやるタイプだった。
仕事は上手い具合に手を抜くけど、年配の先生みたいに威圧的な態度は取らないし、適当だけど問題は起こさない。
彼と一緒に次年度の新人の教育担当と聞いて仕事を押し付けてくるんじゃないかと思ったけど、それは私の杞憂だった。
ちょっと要領いいなぁ…と羨ましくなる時もあるけど、出世欲もないようで、与えられた範囲でしか結果を残さないから目の敵にもされないのかもしれない。不思議な存在だった。
「繰上げで入ってくることになった新卒は適性から言っていきなり一年担当は厳しいってさ。それで三年に入る予定だった中途採用とチェンジ」
喋りながら「はぁ〜」というように人差し指と親指を変えながら首を振るその姿は、七尾先生にとっても意図する以外のものだったらしい。
「その中途採用が代わりに一年に降りてくる事になったみたい」
「へぇ…交代ですか?」
「土壇場での交代に三年担当の松嶋先生から、新卒だから一からっていうよりゼロからだってボヤかれたよ。ま、僕らはラッキーって事で」
ニッコリ微笑む。
まぁ、中途なら社会人のイロハを一から教えなくて済むのはありがたい。
でも中途採用は中途採用の難しさはある。
結構歳上なんだろうか。
「一般企業を経験してたらそれはそれで面倒そうですね」
「そう、それよ」
聞けば私が休んでる間に、七尾先生がすでに名簿の書き換えだとか細々とした対応はしてくれたらしい。
適当かと思ってたら意外な一面に驚いた。
「男性でねぇ、前職は営業してたって聞いたよ」
「…」
営業…。
話好きならそれはそれで教員には向いてるけど、調子が良いだけならそれはいただけない。
教育は口先だけで物を売る商売とは違う。
三年という期限付きだけど、いずれ社会に出る青少年を正しい方へと導く大切な仕事だ。
その正しさが自分の中にないと教職は難しい。
数だけで競って結果が出たり売り上げを伸ばすという仕事とは真逆の、答えが分かりにくい仕事だ。
理想だけじゃやっていけないけど、信念がないと務まらない。
大体、勝手な印象だけど、営業職って売り上げ優先で口八丁手八丁で調子がいいイメージで好きではない。
ノルマとかあるからしょうがないんだろうけど、嘘も方便とか思ってそう。
「…おいくつの人ですか?」
怪訝に思い聞いてみる。
もともと他学年に入る新任まで把握していなかった。
「えーとね…」七尾先生が資料らしい紙を取り出そうとした。
その時、入り口から「田中先生」と呼ばれた。
「卒業生がお母さんとお見えになっています」
「あ、はい」
私は席を立った。
Re:失恋をもう一度 武井戸 えあ @takeitea
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