第8話 不穏な空気
ある日、縁側でおじいちゃんと松の木を眺めていると、ポツリと「珠美はここを離れんでくれなぁ」と言われた。
「何言っとるん、珠美はいつかお嫁に行ってここを出ていくんよ」おばあちゃんが三人分のお茶を持ってきて、間に座った。
おじいちゃんは最近歩くのもままならなくて、ずっと家にいる。
葡萄園は隣に住んでる叔母さん一家がほとんどやっていて、大学が休みの日はここに来て、出歩けないおじいちゃんの話し相手になるのが私の日課だ。
「そんなん、ここの人間と結婚したらええ。葡萄園もこの土地もぜーんぶ珠美にやる」
「おじいちゃん、葡萄園は恵子おばさんが頑張ってくれてるでしょ」
「恵子んとこは誰も継ぎたがらん」
隣に住んでる恵子おばさんのところは旦那さんは兼業だし、私の従兄弟でもある子供たちはみんなこの街を出たがっていた。
「正弘もおるやないね」おばあちゃんが口を挟んだ。
「正弘にはやらん。アイツは野球ばーっかで、ここに近寄りもせん。会いに来てくれるのは珠美だけだ。ホラ、農協に勤めとる江藤さんとこの息子はどうね」
「あの人は酒癖が悪かやろうがね」
おばあちゃんがピシャリと言ったけど、酒癖以前に江藤さんと言えばもう40近いおじさんだ。
おばあちゃんがハァとため息をついた。
「おじいちゃんがそんなん言いよったら、かわいい孫が婚期を逃すってわからんのかね…」ぶつぶつと呟く。
いつかおじいちゃんとおばあちゃんに、そうちゃんを紹介したいなと思った。
それからもそうちゃんとはなかなか連絡がとれなくて、たまに電話が繋がったら楽しい東京での話———大学の友達、バイト先の先輩やこの前行った旅行先の見も知らない現地の人の話を楽しそうにする。
バイトの休憩中、夜遅くかかってきた電話の後ろで『そうたー』と女の子の声がした。
『あ、ハイ。———ごめん、先輩呼んでる。もう切る』
3時間も起きて待ってたのに、喋ったのは3分なんてザラだった。
———そうたー、なんて呼び捨てにされてるんだ、女の先輩に。
私なんて結構長いこと『柴村くん』だったのに。そうちゃんて呼び出したのなんて付き合い出してようやく一年経ってからだ。
二人の間に不穏な空気が流れ始めた頃だった。
ねぇ、そうちゃん。
私、知らない人の話や知らない国の話を聞きたいんじゃない。そうちゃん自身の話をもっともっと聞きたいよ。
ねぇ、何を考えてるの?
ねぇ、私の事好き?
私たち、何があっても海と山があるこの地元でずっと一緒にいると思ってた。
小さな喧嘩やいざこざはあるかもしれないけど、ずっとその隣で笑って步んでいけると思ってた。
そうして初めて好きになって初めて結ばれた相手と結婚してずっと一緒にいれると思っていた。
ねぇ、そこから見える海は私が住んでるこの地元の海と本当に繋がっているのかな?
…私は一体どこで間違っちゃったんだろう。
どうか。どうか神様。
この恋がずっと続きますように。
彼がずっとこの黒くて醜い私に気付かずに好きでいてくれますように。
祈れば祈るほど私の心は不安定になっていった。
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