僕への音
俺は必死に目をこする。
だがそんな俺を現実は無かったことにする筈もない。
救急車の轟然が狭い民家に響き渡っている。
周りを見れば焦ってる人、疑問符を浮かべる人、スマホを掲げている人、泣いている人、嘔吐してる人、ただ突っ立っているだけの人……
これは俗にいう白昼夢という奴だろうか?それとも単なる夢?頬を伝る涙がそんな希望を打ち砕いた。しょっぱい。明らかに舌を刺激する味だ。
さすがに何かの冗談ではないかとスマホの画面を見るが既読のついたままのトーク画面は未だに進むことは無かった。
一通の通知が来た。トークアプリの通知だ。
適当な音楽を聴いていた俺にとっては音楽なんかより友人関係。然も適当な曲というだけあり、今は「音声メッセージが届きました」と書かれた通知に興味をそそられていた。
開くと無駄に明るい画面が部屋を支配しようと光をだすが映し出されるのは俺の影。所詮は目を眩ませる程度の光にどうすることもできない。
俺はそのまま音声メッセージを押す。イヤフォンには必要のないノイズが無自覚に流れ込んできた。
空調の音?呼吸の音?なんの音かも分からない音に耳を集中させる。3秒待って聞こえてきたのは予想通り彼女が苦しむ声。
胸がギュっと握られるような感覚に陥る。人間の本能が「力を抜け」と言っているがそれを無視した鋭い声はイヤフォンのノイズと一緒に俺の耳に流れ込んでくる。
5秒、10秒と経ったとき、いきなり彼女が大きく息をした。かわいらしい「ハァハァ」という声ではなく肺からする大きな呼吸。
俺が持久走をはj知ったとき以上の大きな呼吸は5秒も経てばすっかり消え再度苦しそうに息をしだした。
なんの意味もないこんな行為に興奮してしまうのは性か本能か、性欲か。
苦しむ彼女の呼吸音を楽しんでいるのはきっと俺だけではない。彼女自身もそうだろう。
異常とまで言われたがそんなこと知ったこっちゃない。俺らはただ青春を謳歌しているだけなのであった。
5秒、10秒、20秒、30秒、1分……?
いつまで経っても彼女の大きな呼吸が聞こえない。画面を見れば「音声メッセージ」と書かれた吹き出しの隣には「7:03」と書かれていた。
不思議に思い耳に集中する。
空調のノイズ。彼女の声。そんな音よりも小さい、何かが軋む音。
布?ベッド?そんなことよりも気にしなければならない現実。
彼女の声は止むどころかどんどんとひどいものになってゆく。
この感情はなんだ?
興奮?恐怖?恋心?嫌悪?期待?不安……?
そんな彼女の声は止まることがない。
音声メッセージはすべてを撮ってからしか送ることのない。いわば既成事実。そうだと知っていても俺はメッセージを送ることを躊躇わなかった。
「息してるか?」などと冗談で送ってみる。その刹那、メッセージの隣に既読の文字が付いた。どうやら彼女もこの画面を開いた儘なのだろう。
メッセージを送り一息つき耳に集中させるが送られてくる音は相も変わらずノイズと彼女の声。
変わらない音を永遠と聞いているが俺の不安は徐々に明確なものになっていく。これは、縄の音だ。
布でもベッドでもない互いが擦れ軋む音。そんな音は彼女の音と同期強いて聞こえてくる。
そうだというのに止まらない声に感情が高まる。不意に時間を見ればそこには「00:09」。
明らかにおかしなその時間に俺は明音の心配をしないわけには行かなかった。
目的に近づくにつれて大きくなるそのけたたましい音は俺の心配を明確に表していた。
大きく肺からの息をしながら動かした足は今にも割れそうになっている。冬だというのに熱い心臓はいつもよりも早く働いている。
どうせ冗談だろうと思っていた。電車の中で「大丈夫か?」と送ったメッセージ。これも一瞬で既読が付いたが一向に返信が来ない。
待ってるわけではない。ただ彼女が返信すればいいものを見る。そんな当たり前の行為が今起きていない。
それはもちろんどういう訳なのかを俺に理解させるには十分すぎた。
俺はつくづく心配性なのだと思う。寝て起きたら返信が来てるかもしれないのに走って彼女の家まで向かっているなんて。
嫌な予感程当たるなんて言うが本当に目の前の惨劇を理解するほど脳は仕事をしてくれなかった。
そんな悲劇にただ茫然と突っ立ってしまう。何もすることがない。とりあえず目を擦ってみるが耳にまで届く現実はそう簡単には変わらなかった。
「苦しいか?」「怖くないか?」等、連続でメッセージを送るも来るのは既読の文字だけ。
そもそも既読と言いながら読んでいるのかも分からない。そうだというのに心配は具現化されるのだった。
このじょとの思い出がまるで走馬灯のように思い出される。
公園で仲良く話し合った時間、日食を見てクレープを食べた時間、ガラスを割って盛大に怒られた時間、カラオケに行って結局どちらも爆睡した時間。
綺麗な夜景を見たり、夜通話をつないだり、都会に言って大人の玩具を馬鹿にしたり、公園で唾を吐きまくったり、タバコを死ぬほど吸ってみたり、ショッピングモールで服を買ったり、誕生日に大量のお菓子を貰ったり、誕生日にキーホルダーを渡したり。
思い出せば思い出すほどゴミのような日を過ごしているなとため息をつく。何故だろう、顎から水がどんどんと滴り落ちていく。
本当に終わってしまったのか。本当に彼女は居なくなって仕舞ったのか?
一緒に死のうといった日は、下ネタを言って笑いあった日は、真夜中まで駄弁った日は、無かったことになるのだろうか……?
彼女のことを信用していないのではない。ただ心配になって仕方がないのだ。
希望なんて残っている。確立したわけではない。目の前で泣き叫ぶ救急車を見ながらもそう心に落ち着きを戻す。
ただやはり最後に詩を残すべきだったと。無駄な言葉を交わすべきだったと思う。
結果は変わらない。だが過程だけでも良いものにしては為らないのだろうか。
「……っ」
息を呑む。
今、電源を切っていたスマホが震えた気がした。
気のせいだろうか、そう思い慰問を読み取る。
既読のついたメッセージ。その下には新しい文字が送られていた。
『ごめんね』
たった一つの文。
どうして涙は止まらないのだろうか。滴る涙に反抗し空を見上げた。
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