頭に触れるひんやりとした冷気に、唐突に意識が浮上する。

 

覚醒して尚わずかにぼやけた視界。

殴打されたことによる障害ではない。

これは、暗がりであるためだ。

石床の上に少し厚めの布が敷かれ、其処に寝転がされていたようだ。

剣や装備品がない。

検閲にでもかかったか、アスレイは嘆息する。

 

石を積んだ壁は高く、はるか上に格子窓が一つ。

明かり取りと換気はそこで十分とばかりで、その為に冷たい空気は何処か黴たように重い。

眼前には立派な鉄格子に錠前がかけられ、簡素な寝台と用足しが一つ。

 

「牢に入れられるとは思わなかった」

 

しみじみと、呟く。

小さな声だったが、思ったより声が響いて、だが静かな空間に何も反響はない。

 

「土豪劣紳の強権発動を許していいのか!人権侵害、人権蹂躙だ!!」

 

何も反響はない。

と言いたい。

それは右隣の方からだった。

聞き覚えのあるマーガの声だ。

遠くはないが別々に収監されたらしい。

 

「専制体制に屈するな、自由の士はいないのか!彼らの横暴を許すとは諸君ら治安部隊の名が廃るぞ!」

 

アスレイが黙っていると、更なる罵詈雑言が響いてくる。

止まる気配はない。

 

(金が絡むと人間は変わるのか)

 

教訓めいた用語を脳に巡らせながら、かける言葉は決まっていた。

 

「少しは反省しろ」

「何度も言うけど、正当な対価だよ。仕事には報酬がつきものだろ」

「…巻き込んでごめんなさい、とかないんだなー」

 

頑丈な石壁。

かなりの厚みがありそうだ。

剣や持ち物も奪われて、どう見ても罪人扱い、解放してくれそうにはない。

暫くすると、お風呂入りたい、と小さく呟いているシビルに嘆息する。

 

「マーガの術で何とかならないのか?」

「この鉄格子、術封じの法石が埋め込まれてるから、壊せないよ」

 

便利な術で風呂の代わりにならないかという意味だったのだが、そのすれ違いは気にしない。

シビルはぶつぶつと何やら思案している模様だ。

別にアスレイは牢破りがしたいわけではない。

 

「それがなくても、根源術で壊すほどの力、僕には無理だよ」

 

何処かしんみりと、シビルが呟く。

それはアスレイの耳に何とか聞き取れる程度の、気を抜けば聞き逃すような微かな声だ。

 

「マーガはね、こんな腕輪なんかなくったって根源術が使えるんだ」

 

金属の擦れる音がする。

細い金細工の腕輪だろう。

そっちは装備をとられていないのか。

アスレイが不条理を悶々と溜めていると、シビルは続ける。

 

「この腕輪も制御装置。これが必要なのは、バカか、未熟者だけ」

 

制御装置。

制御装置の導具は、幼いマーガがよく身に着けている。

まだ力の使い方を知らない幼子は、ユルの暴走で命の危険にさらされるからだ。

シビルの導具は、まさにその使いかただった。

 

大人になると、別の意味で導具を使うマーガが増える。

属性を補助するようなアミュレットが主で、自分が生まれ持った属性以外を使う場合、呼び水となる導具だ。

 

導具には、その他にも用途がある。

ユルを外側から取り込む術者も、導具というものを使う。

だがそれは肉体への負荷が大きい。

ユルへの理解が足りないと死に至ることから、禁忌とされ、何の損害もなく外界のユルを取り込めるマーガはいないとされている。

 

「姉さんと違って、僕は出来損ないだから」

「私にはわからないな。そう大して変わるものじゃないだろう」

「変わるよ」

「それでも、お前が親切なのは変わらないだろう」

 

沈黙が、静寂が感じられる程度に流れた。

 

「見知らぬ他人を心配して、着いてきてくれて助かった。まあ、今は牢に巻き込まれているがな。これで貸し借りなしということだ」

 

顔がみえないから、どんな様子かは分からない。

シビルが大きく息を吐いたのがわかった、それぐらいだ。

 

「アスレイって変わってるよね」

「そうだろうか」

「兄弟いるの?」

 

唐突に振られた話題に、アスレイはどきりとした。

何の脈絡もなく、関連もない。

いや、姉の話をしていたからか、よくはわからないがそれで訊いてきたのか。

 

「…姉がいる」

「意外。一番上っぽいのに。僕と一緒か」

 

アスレイは簡素な寝台に腰かけて伸びをする。

布が敷いてあったとはいえ、石の上に転がされていたからか、体がミシミシ音を立てる。

 

「姉とは一緒に暮らしていないからかな。 事情があって、幼少時から傭兵部隊にいた」

「へぇ。じゃあ小さい時から一緒にいないから…お姉さんとは疎遠ってこと?」

「仲は悪くはない」

「そっか。僕もね、仲は、悪くないよ」

「それは良かった」

 

端的に答えたからか、会話が途切れる。

今度は長い。

何か気に障ることを言っただろうか。

しんと静まり返った牢内は、当たり前といえば当たり前なのだが少し寂しく感じた。

沈黙が苦痛なのは、シビルがけたたましく騒いでいたせいだろう。

 

「実は…」

「無事か、アスレイ!」

「サガン、どうしてここに」

 

シビルの声を遮って静寂を破ったのは、サガンだった。

牢内に大きな声が反響する。

アスレイは驚いて彼を見ると、彼の隣には若い牢番が一人控えていて、何か腰まわりを探すような動きをしている。

やがて目当ての鍵を見つけたらしく、錠前に差し込んでゆっくりと扉を開けた。

 

「どうしても何も。帰りの馬車にお前達がいないし、聖所は荒らされてるし。フリオ…、宿の女将が、裁判官がゲメトの沼で捕り物をしたって言うから。まさかと思ってたらこれだよ。今出してもらえるように手配した。腹減ってないか?…何笑ってんだ」

 

矢継ぎ早に告げるサガンに、思わずアスレイは吹き出してしまう。

 

「サガンは世話焼きだな。お母さんみたいだ」

「は?俺はお母さんより色男って言われたいの」

「なんだそれ。あんた御者でしょ?」

 

同じく牢番から出してもらったのだろう、シビルが会話に参加した。

ついでに胡乱げな眼差しをサガンに向けている。

 

「いいじゃないか、モテる男は気配りからだろ?」

 

それでちゃらちゃらした耳飾りや腕輪をつけているのか。

見た目の軽薄さに輪がかかるから、中身と釣り合わない、忠告する意味はないのだろうと、アスレイは突っ込みごとため息を飲み込む。

 

「朝から変な奴だとは思ってたけど…意外とアレな夢持ってるねー」

「アレってなんだ、ちょ、アスレイ無言で後退るなよ」

 

サガンの手配で詰め所に向かい、荷物の返却をしに行く。

先ほどまでは若い牢番も同じくサガンに生暖かい目を向けていたが、仕事になるとさっと表情を隠して手続きをしている。

書類を手に金庫に取りに行った壮年期の牢番を待つことになった。

 

「結構大変だったんだぜ、街の長官に裁判官を諫めて貰ったんだから。街を出るなら手伝うんだが…」

「いや、探しているものがある。まだ出るわけにはいかない」

「まあ。では少し大人しくしていただけると嬉しいわ」

 

見覚えのある白いシャツとタイトスカート、眼鏡を掛けた紫の髪の女。

彼女は美しい姿勢でアスレイ達に近づいてくる。

 

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