それは、裏切りだ。

燃え盛る炎の中、男が無表情にこちらを一瞥した。

 

 

 

 

硝煙の匂いがする。

白亜の建造物が暗闇で光に照らされている。

光の源は、炎。

炎で満たされた神殿に、人が群がっている。

 

「火を消せ!!」

「ダメだ、火のまわりがはやすぎる」

「水の加護を持っているものはいないのか!」

 

逃げ惑う人々は、聖職者であり、事務員だろうか。

あるものは靴を脱ぎ捨て、あるものは慌ただしく布で火を消そうと、炎を煽り、さらに燃え上る火になすすべがない。

皆冷静さを欠いている。

 

兵士が奔走している。

圧倒的に避難誘導には足りない数で、炎を消し止めることもできない。

この元凶を追い詰める人員などいない。

 

「待て、そっちは火が強い!むやみに飛び込むな」

 

炎に向かって、走り出す影を呼び止める声。

その影はゆっくり振り返る。

銀の髪が熱風に靡き、かきあげられた前髪の隙間から、赤い瞳が揺らめく。

 

「ひぃ!」

 

呼び止めた兵士は悲鳴をあげて尻餅をついた。


「なんだ、どうした!」

 

転けた同僚に駆け寄る数人の兵は、彼の前に立つ存在に気づいて立ち止まる。

 

「《凶眼の》…」

「アスレイ様。申し訳ありません」

「いや、構わない」

 

恰幅のいい男が隣の男の口を塞ぐ。

ついで剣を体の正面に真っ直ぐに立てて、礼をした。

アスレイは、燃え盛る炎の向こうを睨み付けていた。

その瞳は真紅。

深い緋のそれは、煌々と炎を映している。

 

「ここは我々が引き受けますので、賊をお願いします」

「水や風の神器(クラヴィス)保有者が不在のようだが」

「我々はイニティウムの正規軍です。この程度では折れません」

「わかった」

 

影は、踵を返して炎へ突っ込んでいった。

 

いか程の時間がたっただろうか。

肌に慣れた緊張感が伝わってくる。

この気配はあいつのものだ。

この匂いは覚えがある。

ガンダールヴ、彼の愛器――銃――だ。

間違えるはずがない。

彼を止められるものなど、この国には、いや世界において数えるほどしかいない。

 

神殿の中心部から少し外れた場所が、炎の中心だった。

そこは保管庫だ。

其処に向かって走り込む。

その扉は炎に包まれていて、思いきり蹴破る。

そこに思った姿は捉えられなかった。

既に撤退したらしい。

保管庫から一番近い出口に向かう。

 

彼はいた。

灰色の髪にはしばみの瞳、長身の男。

いつも通りの黒衣の戦闘服に外套を靡かせ、明(あか)い炎を受ける。

 

回廊を駆け抜けて、彼の傍へ駆け寄った。

照らされている彼の手元には、――が握られている。

警鐘がなる。

入り口を広く錯覚させるために並べられた鏡が、横にひび割れる。

手を伸ばしたのは咄嗟であって、届かないことは承知していた。

 

「クリフォード、待て!」

 

静かな榛の双眸がこちらを捉えた。

いつかどこかで見たような眼だ。

諦めたような、悟ったような、そんな静かな眼だ。

それだけで彼の決意が固いと知れた。

 

彼が走り出す。

喉から出かかった声は消えた。

 

今、彼を突き動かしているものは何なのか。

それはアスレイの脳を痺れさせ、身体を震えさせた。

ただ彼がしていることは、明らかに国への離反だ。

そこで漸く頭が冷えた。

途端に既視感に襲われる。

 

震える足を叱咤して追う。

視界の向こうで神殿の一部が燃え落ちて降り注ぐ。

彼は燃える屋根の上に居た。

彼が何事か口を開いたような気がした。

 

男は踵を返し、背を向ける。

ガンダールヴを足元に放ち、彼は文字通り飛んでいた。

破壊された木片が飛び散って燃えおちる。

火の勢いが増す。

弾丸に発火材が混じっていたのかもしれない。

先ほどの兵達では消せないほどの勢いの炎があがる。

 

アスレイは青白く輝く剣を構えた。

 

「ヴュータン、力を貸せ」

 

 

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