4
それは、裏切りだ。
燃え盛る炎の中、男が無表情にこちらを一瞥した。
硝煙の匂いがする。
白亜の建造物が暗闇で光に照らされている。
光の源は、炎。
炎で満たされた神殿に、人が群がっている。
「火を消せ!!」
「ダメだ、火のまわりがはやすぎる」
「水の加護を持っているものはいないのか!」
逃げ惑う人々は、聖職者であり、事務員だろうか。
あるものは靴を脱ぎ捨て、あるものは慌ただしく布で火を消そうと、炎を煽り、さらに燃え上る火になすすべがない。
皆冷静さを欠いている。
兵士が奔走している。
圧倒的に避難誘導には足りない数で、炎を消し止めることもできない。
この元凶を追い詰める人員などいない。
「待て、そっちは火が強い!むやみに飛び込むな」
炎に向かって、走り出す影を呼び止める声。
その影はゆっくり振り返る。
銀の髪が熱風に靡き、かきあげられた前髪の隙間から、赤い瞳が揺らめく。
「ひぃ!」
呼び止めた兵士は悲鳴をあげて尻餅をついた。
「なんだ、どうした!」
転けた同僚に駆け寄る数人の兵は、彼の前に立つ存在に気づいて立ち止まる。
「《凶眼の》…」
「アスレイ様。申し訳ありません」
「いや、構わない」
恰幅のいい男が隣の男の口を塞ぐ。
ついで剣を体の正面に真っ直ぐに立てて、礼をした。
アスレイは、燃え盛る炎の向こうを睨み付けていた。
その瞳は真紅。
深い緋のそれは、煌々と炎を映している。
「ここは我々が引き受けますので、賊をお願いします」
「水や風の神器(クラヴィス)保有者が不在のようだが」
「我々はイニティウムの正規軍です。この程度では折れません」
「わかった」
影は、踵を返して炎へ突っ込んでいった。
いか程の時間がたっただろうか。
肌に慣れた緊張感が伝わってくる。
この気配はあいつのものだ。
この匂いは覚えがある。
ガンダールヴ、彼の愛器――銃――だ。
間違えるはずがない。
彼を止められるものなど、この国には、いや世界において数えるほどしかいない。
神殿の中心部から少し外れた場所が、炎の中心だった。
そこは保管庫だ。
其処に向かって走り込む。
その扉は炎に包まれていて、思いきり蹴破る。
そこに思った姿は捉えられなかった。
既に撤退したらしい。
保管庫から一番近い出口に向かう。
彼はいた。
灰色の髪にはしばみの瞳、長身の男。
いつも通りの黒衣の戦闘服に外套を靡かせ、明(あか)い炎を受ける。
回廊を駆け抜けて、彼の傍へ駆け寄った。
照らされている彼の手元には、――が握られている。
警鐘がなる。
入り口を広く錯覚させるために並べられた鏡が、横にひび割れる。
手を伸ばしたのは咄嗟であって、届かないことは承知していた。
「クリフォード、待て!」
静かな榛の双眸がこちらを捉えた。
いつかどこかで見たような眼だ。
諦めたような、悟ったような、そんな静かな眼だ。
それだけで彼の決意が固いと知れた。
彼が走り出す。
喉から出かかった声は消えた。
今、彼を突き動かしているものは何なのか。
それはアスレイの脳を痺れさせ、身体を震えさせた。
ただ彼がしていることは、明らかに国への離反だ。
そこで漸く頭が冷えた。
途端に既視感に襲われる。
震える足を叱咤して追う。
視界の向こうで神殿の一部が燃え落ちて降り注ぐ。
彼は燃える屋根の上に居た。
彼が何事か口を開いたような気がした。
男は踵を返し、背を向ける。
ガンダールヴを足元に放ち、彼は文字通り飛んでいた。
破壊された木片が飛び散って燃えおちる。
火の勢いが増す。
弾丸に発火材が混じっていたのかもしれない。
先ほどの兵達では消せないほどの勢いの炎があがる。
アスレイは青白く輝く剣を構えた。
「ヴュータン、力を貸せ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます