「来たか」

 

太陽が南中するころ、大通りに馬車を走らせる男は、目を疑った。

何度か瞼を擦り、目を凝らす。

 

癖毛をいじりながら、適当な方角を見て、一旦心を落ち着かせる。

昨日の夕方からは考えられない状況に、だが見間違いではないと分かって、彼は観念して停留所に馬を止めた。

 

「サガン、昨日は世話になった。今日もよろしく頼む」

 

銀髪の剣士がこちらに愛想よく手を振った。

そしてその隣には。

 

「ああ、昨日の人」

 

昨日無下にされていたマーガがいた。

 

「アスレイ、一応聞くけどさ、ついて行こうか?」

「いいのか?そこまでしてもらう訳には」

「まあ、乗り掛かった舟だし」

「ありがとう、シビル」

 

がりがりと黒髪を無造作に掻くマーガに、サガンは違和感から笑ってしまう。

アスレイと呼ばれた剣士も、昨日のような険のある様子では無かったからだ。

安心したからか、腹もすいた。

サガンはこの昼の便までが仕事だ。

 

「どうかしたか?」

「いやあ、仲良しだな、と思って」

 

きょとんと、アスレイが目を丸くする。

 

「意気投合してしまって」

「いや、ホントは昨日の礼をしたら済む話だったんだけど、放っておけなくて」

 

アスレイが真顔で応え、シビルがさっとアスレイの陰に隠れる。

 

「フリオから同室で泊まったとは聞いていたが」

 

フリオとは、まつみどりの宿の女将だ。

サガンは連絡を取りあうほどの知り合いだったらしい。

 

「一つしか部屋が空いてなかったんだ。流石に一人は野宿というのもな」

「知ってる。確かその子はダン商会とやりあってるじゃじゃ馬…おっと失礼。今のは失言だ」

 

シビルにじろりと睨まれて、サガンが謝罪する。

不意に鐘が鳴った。

正午を告げる鐘だ。

 

「ああ。そろそろ時間だ。乗ってくれ。ゲメトの沼までいく」

 

二人は顔を見合わせて馬車に乗り込んだ。

動き始めた馬車は屋根付きで、御者との間には低い仕切りがあり、荷台は整えられていて揺れが少ない。

 

「ダン商会とは。まさか昨日追いかけてきた連中か?」

 

アスレイの記憶の片隅を探りながら、サガンの背に問うた。

昨日追いかけてきた中に、確かダンと名乗っていた男がいた気がする。

 

「もう接触してたか」

 

サガンが頭を抱える。

 

「土地の売買に携わっているらしいな。ずいぶん手荒に思えたが。酷い商会なのか?」

「それ、誰から聞いた?」

「昨日酒場で噂をな」

 

ディアドラの名前を出さないのは、配慮からだ。

サガンは頭を振った。

 

「確かに土地の売買はやっているが。本業は金貸しとか、運輸業だったと思うぜ」

「なるほど」

「つーか、ココの有力者が贔屓にしてるんだよ」

「有力者?」

 

ノクスは領邦国家、といっても共和制をとっている。

東大陸はアウローラとルテオラ以外は、王制ではない。

十二国家の大半は領主により治められており、ノクスはその中でも異例で、共和制政治をとっている。

他に異例なのはアルカヌムの教主政治くらいだ。

ノクスはその中で共和議会の会主が基本的な主権を持っている。

その議会の中で発言権を得ている有力者は、街の要職についている。

 

「いいや、裁判官。昔は名士として社会福祉にもご活躍だったみたいなんだが、最近ちょっと暴走気味ではある」

「余所者の割に詳しいね」

 

馬を御しながら器用に腕組みするサガンに、シビルが感心する。

 

「おっと。良くわかったな」

「あんたのその肌色で、ノクスの住人だと思う方がどうかと思うよ」

 

サガンの小麦色の肌は、日照時間の少ないノクスの住人の中では異色である。

シビルの指摘は妥当だ。

 

「雇われの助っ人なの。呼ばれたら断らないからな。根なし草ってとこかな。ちなみに土地の売買では、このシビルちゃんとも揉めてたよな、ダン商会」

「うわ。馴れ馴れしいね。チャラい」

 

シビルの冷ややかな視線も、サガンは全く意に介さない。

 

「ところであんなところに何の用事なんだ?」

「西の聖所に行きたい。前に一度行ったが、見つけられなくて」

「ああ。でも今は誰もいないぜ。数日前にあそこの僧侶が亡くなったんだ」

「そうらしいな」

 

シビルがガタン、と身じろぎした。

アスレイはしれっと会話を続けている。

 

「あの変死、街で結構噂になったからな」

「そうなのか?」

 

青い顔のシビルは何も言わず俯いた。

 

「確か、干からびてたってやつだ。身体中穴が開いてて、埋葬するにも大変だったらしい」

「埋葬は、誰が?」

「無縁仏扱いだな。さっきも言ったように聖所には僧侶しかいないんだ。身内はいない。教え子は沢山いたみたいなんだが。知らないか?昔、ここいらで流行った病を」

「ああ。聖ヴァルトの火のことだろう?」

 

八年前に、ノクスでは疫病が流行った。

聖ヴァルトの火と呼ばれたその病は、土気色の肌に痩せ細る手足、徐々に衰弱し、罹患者の殆どが死に至る。

 

聖ヴァルトは、薬師を生業としていた。

妖精の直系と言われている。

病はそんな聖ヴァルトも手におえないだろうと言うことから名付けられたのだ。

原因不明。

水も、食べ物も、調べたものの感染者に共通項が見られなかった。

感染が一気に街中に広まったことで、大都市は戦々恐々とする。

アウローラやルテオラも街道封鎖をし、当時の輸出入に甚大な被害をもたらした。

 

しかし、この病はノクス以外では流行らず、街の三分の一が感染したところで、急に感染が広まらなくなる。

空気感染が原因とされなかったのは、広がりが限定的だったからだ。

限定的、つまり、ある場所の関係者に広がっていたのである。

発生源とされたのが、件の聖所である。

当時の聖所には、僧侶に教えを乞うもので溢れていた。

亡くなったものの殆どが、聖所に隣接する墓所に埋められた。

そして疫病以降は恐れをなしたかのように、ぱったりと人が途絶え、孤立している。

 

「お。沼が見えてきた」

 

サガンはしばらく他愛ない会話を続けながら、馬を走らせる。

沼の向こうには、背の低い建造物の影がみえる。

 

「ん?ちょっと待てよ。あれだろう、西の聖所」

 

沼のすぐ目と鼻の先に、霧でうすぼんやりした中に小さな影が落ちている。

葦に埋もれた沼と墓所がある、その先。

沼が取り囲むせいで遠回りになるが、それが目的地だと示すサガンに、シビルが長い溜め息を吐いた。

 

「…明後日の方向へ歩いちゃうから」

 

シビルが頭を抱える。

サガンは恐る恐る、言葉を選んだ。

 

「…沼へ、馬車で行くのは初めてっぽいよな。因みに前回って」

「歩いていった。馬車が見つけられなくて」

「寧ろどうして?!」

 

サガンは戦慄した。

 

「それはもう、沼に辿りつけたのが奇跡だな?!まさか」

 

思わずシビルを窺がう。

何処か影を背負ったシビルは額に手を当てて黄昏ていた。

 

「そう。想像通りだよ。今日停留所に来るまでも大変だったんだ」

「なん、だと…」

 

停留所は、大通りの交差点、街の中心部にある。

《まつみどり》はその正面の大通りを進んだところにある。

つまり、目の前にあるに等しい。

 

「目の前にあるものも通り抜けるなんて思わないじゃないか」

「それは」

 

シビルの「放っておけなくて」を、サガンは深く理解した。

 

「大変だったな」

「うん」

 

深刻そうに唸る二人に、アスレイはほよん、としている。

 

「外を見りゃわかるぜ」

 

サガンに促され、アスレイは霧の向こうへ目を凝らす。

 

「一銭にもならないのに。まさか《拝金の妖精姫》が無償で動くなんてな」

「ああ、あんた僕の事知ってるんだ」

「ネムスから離れたマーガなんてそうそういないしな。目立つだろ」

 

ネムスの森。

それは全てのマーガの生まれ故郷、寄る辺だ。

マーガの力は畏怖の対象になることもある。

それは迫害を助長する。

そのため、ネムスの森を離れるものは数えるほどだ。

 

シビルはアスレイをちらと窺う。

アスレイは相変わらず窓の外を眺めている。

目的を果たせていないのだろう。

つまり、聖所がわからないのだ。

 

「…暫く付き合ってもいいかなって」

「お前意外といいやつだな」

 

サガンはシビルに同情した。

 

「ん?」

「どうかした?」

 

アスレイが不意に声をあげる。

アスレイは未だに外を眺めていて、シビルは窓の外へ目を凝らす。

靄の中、手入れがされておらず半壊している墓標の影がちらほらみえる。

 

「人影が見えたみたいだったが。気のせいみたいだ」

「もう少しで夏至だろ?霊が騒いでるのかも」

 

シビルがいやに真面目な面持ちになる。

 

東大陸は自然に宿る妖精を信仰している。

東大陸の始まりの国とされているアウローラの王族は、太陽と月の妖精の子孫であり、時に先祖返りをする子供が生まれるという。

故にアウローラは太陽の妖精を信仰し、ノクスはそれに倣って太陽への信仰が篤い。

日照時間が長い夏至は、太陽の力が大きくなる。

それはその頃に高まる霊の力、騒ぐ霊を押さえる為だともいわれ、作物が育つ為ともいわれる。

 

「わっ」

 

ドンとアスレイの体を揺らす衝撃。

同時に、シビルの大きな声。

アスレイがゆっくり隣の方へ視線を向ける。

シビルはアスレイの反応を確かめるように、両手をわきわきしている。

不可解な行動に疑問符を浮かべると、シビルがつまらなさそうに唇を尖らせた。

 

「むう。怖くないんだ」

「何を期待している」

 

アスレイの呆れた口調に、シビルは尖らせた唇のまま、続ける。

 

「ほら、よく小さい頃、悪いことしたらお化けになっちゃうぞ、とかあったよね」

「ああ、それで?」

「何だか他人事みたい。僕は結構トラウマだったのにな。全然びびらないんだ」

 

墓標を左手に、馬車は一定の速度で沼を半周していく。

 

「霊は大気に還るものだ」

「またまた。変わってるね、アスレイは」

 

ガタン、と馬車が揺れる。

 

「うわっ」

 

揺れた馬車に、シビルが窓の方へ投げ出されそうになる。

その細い腰を捕まえて、アスレイは座席へと押し戻した。

振り乱れた黒髪がアスレイの肩にかかるほどの近距離。

アスレイはシビルの顔を覗き込んだ。

 

「大事ないか?」

「あ、ありがと」

 

端正な顔が、シビルの眼前にある。

静かな赤い、血の色の瞳。

早鐘のようにシビルの心臓が鳴った。

 

「ちょっと、運転荒くない?って…」

 

シビルはそれを誤魔化すように御者台を覗く。

さっきからやけに静かなサガンは、端の方で縮こまっている。

出刃亀は許さないと目尻に力をいれ牽制しようとしていたのに、気が削がれる。

 

「もしかして怖いの?」

「い、いうな!今度からこの道通るの怖くなるだろーが!!」

 

 

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