「なぜこうなる」

「お腹減ったから。《まつみどり》って朝食はついてるんだけどね」

 

マーガがにこにこと笑う。

近くのテーブルにいた数人の男が、マーガをちらちらと様子を伺って、横の銀髪の剣士の姿を視認すると項垂れた。

 

賑やかな弦の調べが緩やかに変化する。

店の奥にある小さな舞台。

その中央に光が集中し、舞台裾の黒いカーテンから女が現れる。

 

――

黄金(こがね)の麦の穂 蒼の空

太陽の光 輝く髪

王笏は生命を司り

犠牲と誇りの首飾り

背には光輝く剣

其は主の証 精霊の王

 

麗しき姫 月光紡ぐ髪 

求め東へ まだ見ぬ地 

――

 

 

歌い始めた背の高い女。

紫の髪がさらりと揺れ、その声は想像よりも低く厳かに響く。

 

「部屋をとってからでも良かった」

「だめだよ。逃げるつもりでしょ。散々追いかけっこしたし」

 

 

――

妖精王(オーベロン)の統べる地

森の奥へと誘(いざな)われ

夕闇に浮かぶ光

二人の輪舞曲(ロンド)

巡る廻る 月の満ち欠け

 

妖精は足踏み 軽やかに舞う

アルビオンの山 氷解けて

記憶はそこに

――

 

 

アスレイは沈黙している。

それは肯定にしかならない。

 

「それにね、僕を撒いたらきっと宿屋に戻れなくなってると思うよ」

「何が目的だ」

「助けてくれた恩返しって言ったよ。貸しを作るのは性分じゃないんだ」

 

シビルは、急に苛立つような口ぶりになり、艶やかな黒髪をかきあげる。

 

「何かあったのか」

「まあ、旅は道連れって言うから、いいじゃない」

 

誤魔化すように笑うシビルは、何処か皮肉めいていた。

目の前には先程給仕が置いていった水。

それをぐいと飲み干して、アスレイは嘆息した。

 

――

ヴェールの泉 癒える傷

鏡は横に 欠けて散る

娘は憐れ 水の中

 

地下より来る常春の使者

黒き御手 地は東西に割れ

太陽は何処(いずこ)かに

 

呪われし精霊の王

王笏は白き御手に

剣は呪いの代償に

遺された首飾りひとつ

――

 

「ねえ」

「なんだ」

 

シビルが両手で頬杖をついて、アスレイを覗き込む。

その狙った仕草に、アスレイは半眼になる。

 

「アスレイは僕の術に気づいてたよね?」

「さあな」

「『残念だったな』っていったじゃないか。とぼけないで。確かに術は発動したし、途中まではうまくいってた。身体が重かったでしょう?どうやって切り抜けたの」

「そうだったかな。途中で術が切れたんじゃないか?」

「それ」

 

シビルが指差したのは、アスレイが傍らに置いている布の塊だ。

シビルが奪って、アスレイが取り返したものだ。

 

「大事な剣だよね。そうやって隠してる」

 

剣であることを隠しているのかも知れないが、触感で分かると、シビルは顎をあげた。

 

「まさか盗品じゃないよね」

「詮索好きだな。これには呪いがかかっている」

「呪い?」

「そうだ。触れれば呪われて死ぬ。呪われないように気をつけろ」

「またまた。それ嘘でしょう?さっき触ったけど平気だったし」

「この布は呪いを封じ込めている。直接触れなければ呪われない。試してみるか?」

 

赤い瞳がちらちらと舞台の明かりを反射する。

それは何処か剣呑な光を帯びていて、シビルはごくりと唾を飲んだ。

 

女が歌い終えて舞台裾に引っ込んでいく。

静かな弦の音がポロポロと奏でられる。

それを合図に、奥から給仕たちが現れた。

待ち構えていたようで、一気に食事が提供される。

 

「はい、おまちどおさま。今日のおすすめと、海鮮パスタだよ」

 

揚げ物の香ばしい匂いが鼻孔を擽る。

目の前に出された皿の上には、野菜や海老が鎮座していた。

皿を両手に複数ずつ持った給仕が、アスレイをみて、手を止めた。

 

「あ、あんたはさっきの」

 

給仕の女の波打つくすんだ金髪。

先程路地にいた少女と一緒にいた女だ。

年は妙齢で三十路にまではいっていないだろう。

 

「さっきは助かったよ。あいつらしつこいから。仕事に行けなくて困ってたんだ」

「妹さんは大丈夫か?」

「アリーシャのことかい?ちょっと擦りむいただけさ」

「大事ないなら問題ない」

 

とんとん、と食事の皿が並べられる。

すべての皿を配り終えて一息ついた女がほう、と息を吐いた。

 

「はぁ。あんた男前だねぇ。惚れちゃいそう。あたしはディアドラ。ありがとね、ええと」

「アスレイだ」

「ありがとうね、アスレイ。なにかお礼でもできればいいんだけど」

 

軽く握手をして、ディアドラは肩を竦めた。

 

「いや。気にしなくていい」

「それよりあんたたちこそ、怪我してない、って。あ、あんた」

 

ディアドラが机から飛びのくようにのけ反って、シビルを指さす。

シビルはきょとんとして瞬く。

 

「道理であいつらが食いつくはずさ。兄さん、この子とは関わらないことをおすすめするわ」

「そう思っているんだが、存外しつこくてな」

「色男は困るねぇ」

 

ディアドラが言いたい放題なのを、シビルは特に気にするでもなく冷めた様子で、しかし苦言は呈す。

 

「人をけだものみたいに。金髪のあんた、あんたこそあいつらと揉めてるんだろ?似たような境遇で言っても説得力ないでしょ。それより僕の方が可愛げある分いいと思うけど」

「おあいにく様。此方は土地の売買を正当に断ってるだけ」

「ほら、揉めてる」

 

シビルがしてやったりと、口元を歪める。

ディアドラの眉間に皺が寄る。

 

「簡単に言ってくれるじゃない。墓地を売り渡せっての、あんたは簡単に首を縦に振るんだ」

「訳ありの墓地なんじゃないの?」

「失礼な。聖所の僧侶直々に埋葬していただいた、由緒正しい墓だよ!そっちは不当な利益だろ?」

「正当な報酬だよ。成功報酬だって追加でもらえるって言うからね」

「その噂はかねがね。ここ一カ月ノクスでご活躍だそうで、随分羽振りがいいそうじゃないか。可愛げもへったくれもないさね。とうとう裁判官に目を付けられたんだって?あの裁判官は性格悪いからねぇ。気をつけな」

 

はん、と鼻息が聞こえそうな調子で二人がやり合っている。

と、厨房から顔を覗かせた白い帽子を被った調理師だろうか、男がお玉を片手に振り上げた。

 

「ディアドラ、サボってんなよ。給料からさっ引くぞ」

「はーい!ごめんね。いかなきゃ。ゆっくりしてっておくれ」

 

嵐のようにディアドラが厨房に消えていく。

再び現れた彼女は両手に山のように皿を抱えては客席に置いていく。

大わらわで息をつく暇なく繰り返していく動きには、無駄がない。

 

「あんなのがいいんだ?」

「いい?さぁ。どうだかな」

 

アスレイは手際がいい彼女をみていると、シビルがつまらなそうにフォークをいじくった。

貝の乗ったパスタを突いて、無造作に口に放り込む。

かがんだ際に黒髪がさらりと垂れ、シビルはその髪を肩の後ろへ払う。

銀の髪飾りが光を反射する。

 

「妖精姫(オーベロンの娘)、か」

「ああ。よく知ってるね。マーガの間じゃお守りだからね」

 

シビルが髪飾りを指差す。

シビルの銀の髪飾りには、二つの透かし彫りの三日月が折り重なっている。

満ちた青い月は妖精王オーベロンを表す。

未熟な月は、妖精の姫を表すという。

 

「マーガは妖精の末裔というしな」

 

マーガは東大陸(地宮)の一種族。

世界が一つだったころ、妖精と精霊が争った。

大地は裂け、太陽は二つに分かれる。

今日あるように、妖精の血を引くマーガは東大陸に、精霊の血を引く神族は西大陸に分かたれ、海で隔てられている。

 

マーガは妖精の血を引き、その力は妖精の欠片だという。

妖精術の元になる力(ユル)は、女性にしか遺伝しない。

それは妖精姫の影響だと言われ、妖精姫への信仰はそこから始まっている。

根源術(ハガル)、創生術(ギューフ)、補助術(ベオーク)。

それらは全て妖精姫の賜物だ。

 

「あんたは西大陸出身?」

「何故?」

「他人事みたいに話すから」

「そうだな」

「ああ。うまくはぐらかされちゃったな」

 

はぐらかす、の意味が分からず、アスレイは分かりやすく疑問符を浮かべる。

 

「色々だよ。一番は術を無効にしたことだけど」

「本当にしつこいな」

 

アスレイは感心したような呆れたような声をあげる。

紫蘇の揚げ物の爽やかな香りが鼻腔を抜ける。

 

「マーガの禁忌のことは、知っているか?」

「うん?まあ、倫理的なものだよね」

「力を使う工程は?」

 

フォークを口に含んだシビルが、うん、と口の中のものを嚥下して、瞬いた。

 

「何か試されてる?標的を設定して、ユルの構成を組んで、《葉》に落とす。《葉》は言葉でもあり香草で…」

「標的の設定は?」

「座標を組む。一番大きい要素は視認で…」

「その視認がずれていたら?」

 

シビルはフォークを運ぶ手を止めた。

数舜程、視線を彷徨わせ、顎に手を当てる。

 

「え?でも座標は一度組み込んだら」

「重力の本質は《空間を歪ませる力》。物体の軌跡は質量やエネルギーや運動量のつくる重力によって曲げられる。その重力場に干渉するには、その曲がりも調整する必要がある」

 

淡々とアスレイが並べ立てる。

シビルはポカンとして聞いていた。

 

「じゃあ、調整がずれてたってこと?」

「そういうことだ」

「なるほどー」

 

ほっとしたのか、シビルはフォークを動かし始める。

先ほどとは違って、もりもりと口に運び、うんうん頷きながら食事を楽しんで、最後の一口を飲み込む。

ふと。

シビルは腑に落ちない点に気付いて首を傾げる。

 

「え、でも。どうやるのさ?認識の誤認?視認を誤魔化したってこと?」

「それは秘密だ」

 

アスレイは満足そうに微笑んだ。

 

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