二つの太陽が西に傾き、一つの月が東の空にうっすら姿をあらわす。

 

東大陸の北、突き出した半島に沿って三日月の形状をした山脈があり、その裾にノクスの街が広がっている。

山脈にぶつかる湿気た空気で曇りがち、常に街灯が灯っていることからついた名前が夜(ノクス)。

月の街、夜の街とも謂われる。

街灯が欠かせないことから、灯火の町とも呼ばれている。

 

潮風が吹き抜ける。

湾曲した港が、ほんのりと黄色というよりは橙に染められ始める。

 

東大陸は地宮と呼ばれる。

地宮は、十二の領邦国家で構成されている。

其の中で主権を奪い合うのは、朝(アウローラ)、昼(ルテオラ)。

それに比べると夜(ノクス)はかなり地味ではある。

 

とはいえ、ノクスには数少ない港があり、西大陸との貿易の一端を担っている都市でもある。

氷山アルビオンとネムスの森に東西が分断されている東大陸で、港は、物資輸送に欠かせない。

東大陸にある二つの港は、この北端のノクスと、南端の温泉街ヴェールにある。

その為、ノクスの港から馬車でノクスの街に着けば、そこから各都市と直結して、乗合馬車や法石鉄道の輸送ルートが確保されている。

 

 

乗合馬車が、大通りの石畳を走る。

街の中心の交差点。

数台の乗合馬車、辻馬車が止まっている円形地帯に、その馬車は止まった。

 

御者が、その馬車から降りる。

くすんだ金色の緩い巻き毛。

肌は健康的な小麦色。

緑の目は垂れがち。

手元と首元に装飾品をつけているため、より軽薄そうな外見だ。

年は三十路ほどか。

彼が座席の扉を開くと、数人の客がちらほらと降りて、御者に運賃を渡す。

降車が終わり、次の便まではまだ時間があった。

 

「だーかーらー、初乗り運賃、金貨一枚っていってんだよ。それとも用意できねえのか?」

 

御者の男は、労いのため馬の鬣をすいていた手を止め、騒がしい方へ視線を投げた。

騒いでいる男には見覚えがあった。

盗賊あがりで真っ当な職につけず、ノクスの街のお偉いさん――裁判官につい最近雇われた男だ。

確か、街の裁判官は事業拡大のために運搬の拡充をしようと、多くの人間を雇ったらしい。

ただ、急遽の募集であったため、ならず者が少なからず混じっていて、辻馬車仲間の間では問題が頻出していた。

大抵は客の奪い合いであったが、多くの場合、争いの中心にはこの男がいた。

 

男のかわいそうな標的は、辻馬車仲間ではなかった。

どうやら客らしい。

 

男の眼前には、小柄な人影があった。

上下が一続きになっているゆったりとした衣服を、頭からすっぽり覆っている。

顔は見えないが、布の隙間から艶やかな黒髪がこぼれていた。

 

周囲にも人はちらほらいるが、我関せずといったところだ。

数台止まっている辻馬車仲間などは、争いに関わりたくないと息を潜めている。

あの男に目をつけられると、商売道具である車輪を潰され、馬具を盗まれたなどの噂が耐えない。

しかも証拠がないとふんぞり返って、自分の後ろには裁判官がいると脅してくるのだという。

だから、誰も助けようとはしない。

いつもは多く仲間を従えている盗賊あがりの男は、今は一人。

だが、何があるかはわからない。

だから皆、見てみない振り、静観している。

気のいい奴らだから、ほとぼりがさめてから慰めの声を掛けるつもりかもしれない。

だが、それでは遅い。

巻き毛の男は、馬からはなれようとして、やめた。

 

「聞いてんのか、コラ」

 

男が小柄な人物の頭を覆う布をはぎ取った。

布の下に隠されていたのは、月を模った透かし彫りの銀の髪飾りが映える、背中まで真っ直ぐのびた艶やかな黒髪。

黒曜石の瞳に神秘的な面差しは、闇を彷彿させる。

布から細く白い腕が覗き、装飾の凝らされた細い金細工の腕輪がシャラリと音を立てた。

 

「何だ、女(ガキ)かよ」

「あんたに払う金なんかないよ」

 

黒髪は、毅然と言い放つ。

盗賊上がりの男には分からなかったようだが、黒髪のその姿に、巻き毛の男は見覚えがあった。

最近、街で《噂》になっているマーガだ。

助けるかどうか逡巡している間に、銀の光が滑る。

 

「何だとこのアマ」

 

カモに選んだ客の態度が気に入らなかったのか、盗賊あがりの男が腕を鳴らす。

十分な準備運動をしたとばかりに、その細い肩に手を掛けた。

と思った。

何が起こったのかは良くわからなかった。

 

「なっ…うげぇ」

 

瞬間、男の体が軽々と宙に浮いた。

くるりと空中で半回転して、背を下に向けて地面に叩きつけられる。

伸びた男はだらしなく舌を出して気絶していた。

 

男の前には、二十代前半だろう、短い銀髪の姿があった。

銀髪に赤い瞳。

背は少し高めか。

やせ形の体躯だが、しなやかな筋肉を感じられ、身なりは悪くない。

背には布にくるまれた長い何か、剣であろうか、を背負っている。

 

わっと歓声が上がった。

 

「やるねぇ」

「兄さん、腕っぷしも強いのかい。人は見た目によらねぇなぁ」

 

わらわらと、馬車仲間が集まってきた。

だが、そんな彼らを物ともせず、銀髪の剣士は通り過ぎる。

真っすぐ巻き毛の男の方へと向かってくる。

 

「あ、あの」

 

黒髪の小柄なマーガが、剣士に向かって声をかける。

剣士はマーガを通り過ぎた。

 

「ゲメトに行く便はあるか?」

 

剣士は撒き毛の男に尋ねる。

一瞬何が起こったか分からず、巻き毛の御者は間の抜けた息のような声を吐いた。

それからさっと馬車から運行表をだす。

 

「今日はもう終わりかな。明日なら正午の便があるけれど。あ、俺の馬車以外なら他にも出てるかもしれない」

「一人ずつ聞くのは面倒だ。明日頼む」

「あ、ああ。別いいが」

「名前は?知っていないと間違えるかもしれない」

「サガンだ」

 

巻き毛の男、サガンは銀髪の剣士に矢継ぎ早に訊かれ、頭を掻いた。

剣士は暫く唸った後、顔をあげた。

 

「サガン。覚えた。あと、いい宿を知らないか?ここ数日、宿が見つからず難儀している」

「そこの正面の大通りを進んだとこに、《まつみどり》って宿があるが」

 

サガンは癖毛をいじりながら、もう片方の手で、右手の方を指す。

 

「ありがとう」

 

銀髪の剣士は踵を返し、マーガの前を横切った。

 

「ちょっと、ねえ」

 

再びマーガの横を通り過ぎていく剣士。

 

「え?聞こえてないの?」

 

剣士はそのまま、街の中へ消えていく。

マーガのぼやきのような呟きも、無常にも消えていく。

 

撒き毛の男は馬車に凭れながら、ぴょこぴょこ跳ねる黒髪を横目にしていた。

そして、ずるずると重力のままに背を滑らせた。

 

吸い込まれそうなほど綺麗な赤い眼。

夕焼けではない、陶器(テラコッタ)でも鉄(ベンガラ)でもない。

深くて濃い鳩の血(ピジョン・ブラッド)。

思わず凝視してしまうと、抜け出せなくなる、深い色合い。

 

魅入られる。

そういう感覚に足を突っ込みそうになった。

 

「はー。また厄介な《余所者》が来たねぇ」

 

 

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