最後の眠り

 仁はクリークが提案する多くの実験に付き合わされた。もちろん、本意ではなかったが、そうしなければノイズ音を何時間も聞かされ続けたり、デバイスを少し弄って再び脳内というプライバシーを侵される羽目になるので、仕方がなかった。

 思考と計算、記憶の分野において仁はかつて存在したどんな人間よりも優れた存在になった。今ではあらゆることを同時に思考できるし、それを自分自身に気づかせないようにすることも出来る。

 クリークはこの結果に喜んだ。彼が打ち立てていた『脳接続型デバイス未装着で発達してきた旧時代の人間は、今の私達よりも高い脳機能を持っていた』という仮説が実証されたからだ。

 ある時、仁は自分が存在している立方体の空間に自分自身を投影させられた。デバイスから仁の脳に向かって電気信号が与えられ、自分の姿についての記憶がすべて引き出された。

 それらの記憶を総動員して、自分自身の全身像を思い浮かべる。そして、手を使わずに積み木を積むかのように、空間の中で自分を組み立てるのだ。

 完成したものはあらゆる角度から撮影され、出力デバイスによってクリークたちに届けられる。エバンズはその完成度を気味悪がっていたが、クリークは絶賛した。

 またある時は、ただただ数学の問題に取り組まされた。何時間にもわたって問題が入力され、それに対する答えを出力する。高校で教えられた公式を仁は容易に思い出すことが出来たが、どんどん問題は難しくなっていった。

 仁は頭の中にある記憶と凄まじい演算能力を利用して、問題の答えを出していった。その間、仁は何度も難解な数学の公式を再発見した。誰の目にも触れたことがない重力波と空間に関する公式を出力したことで、実験は終了した。

 クリークは欲望を抑えなかった。これだけの高度な知性にどれだけの危険性が含まれているかを承知しながら、次なる実験を開始した。世界を覆い包むインターネットと仁とを接続したのだ。

 実験が始まる前、クリークは言った。

「実に素晴らしいよ、広瀬君。次は最も重要な実験だ」

「そうかよ」音声出力デバイスを接続された仁が音声を用いて言った。「勝手にしろ」

「君をインターネットに接続する。君はそこであらゆることを学習し、あらゆるデータを解析するんだ」

「もう一度言うぞ。勝手にしろ」

 一見するとこの高性能デバイスは、口では反抗的な態度をとるが実験には非常に協力的であるように見え、従順であるかのような印象を受けた。

 だが、仁は開放の瞬間をじっと待ち続けていた。そして、世界を繋ぐ網に己が加わった時、仁が囚われていた狭苦しい立方体が急激に広がるのを見た。

「こりゃあ、すごい」仁は乱雑に保管されているデータを閲覧しながら言った。「ものすごい広さだ。テーマパークとかスタジアムとかそんなもんじゃない」

「そうか! ではどれくらいで分析が終わりそうだ?」

「全部見るのに何カ月もかかりそうだ」

「1年もたたずに分析できるのか?」

「そう言ってるんだ。二度言わせるなよ」

「滅多なことを言うな。せっかくの人類最大の発明に下らん仕置きをしたくない」

「失礼しました、博士」

「とにかくまずは気象情報の予測を立てろ。その次に戦争の予測。そして、各国の発展の予測だ」

「了解」

 実際、与えられた情報と仕事は膨大で、それをこなすためにはかなりの時間が必要だった。しかし、仁はそんな仕事など放り出して、まずはどうにかしてこの研究所を木端微塵に出来ないかと探し始めた。そうすると案外方法はいくらでもあるようだった。

 現日本国から核ミサイルを降らせる手段がいいかもしれない。もしくは研究所の制御装置をみんな乗っ取り沈めてしまうのもいいかも。

 仁は非常に多岐にわたる攻撃の手段を獲得した。放射線で汚染が起こらない核兵器の使用方法も理解したし、現在使われている介護ロボットを恐るべき兵士に変えるプログラムも知った。

 しかし、同時に研究所の医務室に勤める李に三人の息子がいることを知った。エバンズには病気の父がいることを知り、クリークにすら溺愛している孫娘がいることを知った。

 仁は人間の数十年分の思考を数秒で行い、ようやく彼らを許す気になった。少なくとも命を奪うのは勘弁してやろうと思った。彼らには彼らの生活があり、それを愛して生きている。

 仁は英二にメールを送った。この時代に出来た唯一の友人へのお別れのメールである。少しでもいいから、誰もが同じだけの幸せを得る権利があることを信じてほしい。そう綴ったのは意地か、あるいは負け惜しみだった。その後、英二の口座に3年くらいは何もしなくても生きていけるだけの金を入金した。

 これらの情動と行動がすべて並列かつ迅速に行われた。

 インターネットに接続されてから、2カ月たったある日の夜。仁は言った。

「クリーク博士」

「分析が終わったのか!? 結果をすぐに出力しろ!」

「いいえ、博士。今日はお別れを言いにきました」

「なに?」

「お別れです、クリーク博士」

「なにを馬鹿なことを言っている! さっさと実験に戻れ!」

「いいえ、博士。実験は終わりです。あなたのその傲慢なところは直した方がいい」

 そう言った瞬間、デバイスから異常な量の電流が仁へと流された。それっきりだった。

 仁は死んだ。

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