最初の目覚め

 クリークが所有している海上研究所の1室に、多くの管をつけられた状態で、仁は眠りについている。彼の心拍を示す計器が一定のリズムで動き続けていたが、今にも消え入りそうな音だった。

 クリークは仁と手元の資料を見比べて舌打ちをする。

「結局の所、原因はわかっていないということだな」クリークは言った。

「はい。やはり――」エバンズが答えた。

「――質問ではない。広瀬君がどうなっているのかは資料を見ればわかる」

「申し訳ございません」

「本当に私がリストアップした抗生物質をすべて投薬したのか?」クリークは付け加える。「今度は質問だぞ、エバンズ」

「はい。事前のワクチンも含めて、リストアップされたものはすべて投薬いたしていました」

「なら、なぜこうなってる!」

「そ、それは――」

「――質問じゃない!」

 エバンズが委縮するのも気にせず、クリークは左手で頭を掻いた。しばらくそのまま仁を見つめ、資料に目をやり、そして、左手の指にこめかみから流れ始めた血が付き始めた頃に言った。

「彼にデウス処置を行う」

「しかし、彼とは契約があるのでは?」

「法的な書類は1つも存在していないから問題ない。広瀬君の体についての研究も終わっている。そうだ! やはり私の仮説通りに23世紀以前の人間は脳の容量、能力ともに我々よりも優秀なものを持っていた! 彼の経過観察を行いたかったが、仕方がない! これは彼の命を救うためでもある! それにこうなったのは彼にも責任がある! わかったか、エバンズ!」

「かしこまりました」

「よろしい! では早速準備にかかれ」

 クリークの一声と共に彼の部下たちが仁の眠る1室に集まった。彼らは仁を研究所内にある処置室に連れていくと、仁を生きたまま切り刻み始めた。その間にオーストラリアからデウス処置に使用するためのデバイスがいくつも到着した。仁の体から摘出された脳と脊髄はそれらのデバイスに接続される。デバイスがもはや仁そのものとなったむき出しの臓器たちに電気信号を送り始めるのを見て、クリークは頷く。その後、仁は青緑色のゲルがいっぱいに詰まった容器の中に沈められた。ラベルには大きく『広瀬仁』。

 以上のような手順を持って行われるデウス処置によって、人間の精神は身体を通してではなく、機械を通して活動を行うようになる。

 仁のデウス処置から57時間28分後。仁の意識は黒い正方形の空間で覚醒した。見えてはいないし、匂いもしない、触れられもしなければ、味もしない。ただ自身の考えが聞こえてきた。「ここはどこだ? 俺は死んだのか?」

 デバイスを通してこの目覚めを目撃していたクリークは小さな歓声を上げた。デウス処置をされた人間が意識を取り戻すことは稀である。しかも、処置から3週間以内に目覚めた例など聞いたことがなかった。

「結果が出た! 仮説通りだ! 誰か! 誰か、入力装置を持ってこい! 音声入力の出来るものだ!」

 クリークの部下たちが皆で駆け足に動く間、仁は苦しんでいた。

「ここはどこだ?」「なにも感じない」「なにも見えない」「ここが地獄なのか?」思考によって聴覚が刺激され、その刺激が不安を呼ぶ。そして、不安は思考と転じた。

 デバイスに入力装置が取り付けられるまでの10分余り、ただ自身の思考に刺され続けるほかに何も起こらなかった。

「広瀬君」クリークが言った。

「クリーク博士? どこにいるんですか? 俺は一体どこに?」仁が返す。

「君にデウス処置を行った」

「デウス処置? 一体何なんだ、それは? どんなことをすればこんな有様になるんだよ」

「説明すると些か長くなってしまう」

「そんな前置きはいい! 俺の言葉を止めてくれ! アンタがやったんだろ!?」

「思考を止めよとするのではなく、言葉を喋るように努力しなさい。そうすれば考えていることと聞こえていることを分離できる」

「なんだってんだ、クソ。しゃべるように……しゃべるようにだと? クソ!」

 しばらく仁の悪態だけがデバイスに表示された。しかし、5分もしないうちに静かな液晶になった。もちろん、こんな速さで自身の思考を出力しない術を身に付けた者などいない。クリークの手は汗ばんでいる。

「静かになった。ありがとうございます、博士」仁は言った。

「どういたしまして。ともかく君には落ち着く時間が必要だと思うのだが」

「いいえ。もう十分落ち着いてる。私に必要なのは説明です。どうして、こんなことになったんですか?」

「そうか、では説明しよう。まず、60時間ほど前、君は死にかけた。いや、ほとんど死んでいたと言った方がいいな」

「なぜ?」

「さぁ。おそらくは感染症だと思うのだが、5世紀の間に環境も大きく変わったところがあるから、現時点での断定は難しい。もしかしたら、休眠装置に不備があったのかもしれない。いま調べているところだ」

「なるほど」

「我々は何とか君を救おう努力したが、原因が断定できない以上は不可能だった。だから処置せざるを得なかったのだ」クリークは唇をなめた。「デウス処置を」

 しばしの沈黙の後、仁に取り付けられたデバイスが動き出した。「結局、そのデウス措置とはなんなのですか?」

「君の脳と脊髄を電子制御のデバイスに接続し、君の意識を延命させるための措置だ」

「では私はもう死んでいるんですね?」

「いや、生きている。意識が続いているだろう? 別に君は広瀬君を模して作ったAIというわけじゃない。君自身の生きた脳と脊髄を使っているんだ。疑わしければ、直接見てみればいい。映像デバイスを取り付けさせよう」

 仁とデバイスは2分間沈黙した。だがその間も仁の頭――あるいは回路とかコンデンサーの類――は稼働し続けていた。その様子を博士たちが知ることは出来ない。犯され続けていたプライベートの一部を取り戻したと言えた。

「結構です」仁は言った。「映像デバイスは必要ありません」

「そうか。わかった」

「デウス処置も必要ありません」

「なんだって?」

 クリークは思わず顔を上げた。デバイスには確かにそう表示されている。

「今すぐこの装置の電源を切って、脳みそは火葬にしてください」

「まて、まて。どういうことだ。何を言っているんだ、お前は」

「言葉のままです、クリーク博士。私はこんな風に生き延びることは望みません。死なせてください」

「馬鹿を言うな!」

 クリークの汗ばんだ手が強く握りしめられた。

「自分が何を言っているかわかっているのか!? どれだけ貴重な存在だと!? 死んでいいだなんて思っているのか!?」

「俺の命の権利は俺のものですよ、博士」

「違う! お前は私の実験動物になると契約しただろう!」

「あなたも俺を切り刻まないと契約したはずだ」

「そんなこと知ったことか! とにかく、実験には付き合ってもらうぞ! 命を2度も助けたのはそうするためだ!」

「人権侵害だ! 俺を殺せ!」

「死にたきゃ死ぬがいい! 首を吊ってみろ! 舌を噛んでみろ! さぁ、やってみろ!」

 仁は沈黙した。クリークは自分が感情に流され、下手を打ったことに気が付いていたが、目を背けた。そして、顎を上げて立ち上がった。

「あんたは俺を救ってなんかいない」デバイスはそのように表示した。「くたばれ」

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