第28話 恋心ではなく

 そのことをあかしがかいつまんで伝えると、近藤は全てを諦めたように、ぽつりぽつりと今までの来歴を語り始めた。それはおおむね、三代川みよかわが語った一般的な患者の経過と一致する。


「……私は一人娘だったので、バイトをするなら女の子の多いところにしろと父がうるさくて。それで、バイト先にピエニを選んだんです」


 はじめに近藤が配属されたのは、ピエニの中でも小さな店舗。少し勤めた時に近藤は自分の病気を認識し、悩んだ時期もあった。しかしそこの店長は個性的なファッションの人だったため、近藤はすぐに彼女の名前を覚え、そつなくやっていた。


 そうやって二年ほど勤め、短大を卒業した近藤はそのままピエニに就職した。そのまましばらく同じ店舗に勤めていたが、突然新店舗への移動が決まってしまう。このことが、近藤の運命を変えることになった。


「社長は私を、店長として指名してくださいました。その時はいい経験になるからと言われて、そんなものかと思ったのですが」


 だが、現実は地獄だった。大型店だったため、そもそも従業員からして多い。まず彼らのことを把握しなくてはならないのだが、近藤はいきなりそこでつまづいた。


「……ファッションが似ている子が多くて。髪の色もそっくりだし、なかなか区別がつきませんでした。声をかける時に、もし間違ったらと思うとどうしてもためらってしまうんです」


 だから自然と、わかりやすい格好をしている子に話しかけてしまうことになる。


常暁じょうしょうさんにばっかり話しかけていた時みたいにですか?」


 灯が問うと、近藤は顔を真っ赤にしてうなずいた。


「どうしても、はっきり名前と服装が結びつく方を探してしまうので……」

「袈裟着てる奴なんてそうはいませんからね」


 灯や金崎かなさき、他の刑事はスーツ姿だったから、しばらく会っていないとぼんやりしてわからない。だから、彼女は唯一わかりやすかった常暁にばかり話しかけていたのだ。


 ──あれは、恋心なんかでは全然なかったわけである。勝手に騒いでいたのがアホらしい、と灯は内心ため息をついていた。


「特に複数で来られたとき、同年代でスーツの方ばかりだと本当にわからなくて」

「僕にも一緒に見える時がありますよ」


 灯はなぐさめたが、近藤の顔は暗いままだった。


「人の顔が分からない、なんてことがばれてしまったら、きっとどこでも雇ってもらえない。そう思っていたので、仕事場でミスはできないと思い込んでいたんです。でも、それがかえってよくない結果になりました」


 近藤は自嘲ぎみに語った。


 店長が一人にだけ話しかけている、ということを他の店員たちはすぐに感知した。あの子だけお気に入りだ、と言いふらされた子は他の店員から遠巻きにされるようになり、結局辞めてしまった。


 残された近藤はなんとか店員たちを覚えようとし、仕事で取り戻そうと常連客にも愛想良く振る舞った。しかし一度出来てしまった溝はそうそう埋まらず──近藤は店を離れることになったのだった。


「じゃあ、社長ひとりになったら楽だったでしょう。服装や声を覚えるのは」

「はい。ただ、店長としてうまくやれなかったという後悔は今もあります。そもそも向いていなかったんでしょうけど、悔しくて」


 近藤はそう言って寂しげに笑った。


「──できないことは誰にでもある。向いてないことは恥じゃない」


 常暁がふと言った。


「それを最後まで誤魔化そうとしなかったのはいいことだ。きっとこれからは幸せになれるだろう」


 常暁の言葉を聞いた近藤は一瞬はっとした顔になり、そして今度は屈託のない笑みを浮かべた。


「……ありがとうございます。でも、今日はそれだけ言いに来られたわけではないでしょう? 本題はなんですか?」


 彼女に対して、灯たちはそろって口を濁した。本当のことを言ったら、余計に傷つけることになる。


「いや、もうすぐ貴方が帰ってしまうという話を聞いたものですから。疑問に思っていたことを、すっきりさせてしまおうかと。──この常暁が女性にもてているのかと、気になってなりませんでしたよ」


 金崎が頭をかきながら答えた。


「そうでしたか。お仕事、頑張ってくださいね」


 近藤は一礼して、自分の仕事に戻っていった。彼女の姿が見えなくなると、灯たちはようやく肩の力を抜く。


「取れたな、裏が」

「……まだ始めの一歩だがな。しかし、最初がなければ次はない」


 近藤をごまかせることは、これで分かった。次は、烏賀陽うがや川住かわずみと接点があったことを証明すればいい。


 先は長いが、ずっと行き詰まっていた捜査に光明が見え、灯の気持ちは晴れやかになっていた。




「そうか。それなら、烏賀陽のアリバイは怪しくなるな」

「はい。川住が声真似がかなり上手いことは確認済みです」

「多少違和感があっても、恥をかきたくない近藤は黙っているだろうしな」


 灯たちから報告をうけた正則まさのり管理官は、深くうなずいた。会議室には灯たちの他に、三代川と黒江くろえも来ている。


「川住さんの遺体からは、指紋が出なかったのか?」

「正体不明のものはいくつかありますが、烏賀陽のものは出ませんでした。おそらく、ビニールの手袋でもはめていたかと」

「そうか。遺留品は?」

「持ち主を示すような特殊なものは何もありませんでした。全て量販品です」


 三代川が報告すると、管理官の口からため息がもれた。


「分かった。次の会議で、皆に報告し協力をあおごう。疑わしい日に、川住が烏賀陽の代わりをしていたという証拠があれば、彼女を引っ張れる」

「そのことなんですが。親睦会を行っていた支社に、聞き込みに行ってみたいと思うのです」


 金崎が正則に向かって手をあげた。


「烏賀陽のスケジュールを確認した時に、支社の方とも話をしまして。そのまま私が引き継いで捜査した方が、何かとスムーズかと思います」

「それもそうだな。頼むよ」

「ついては、九州へ行ってみたいのですが。現地を見れば、何か分かることがあるかもしれません」

「いいよ。向こうの警察には、話を通しておこう」

「ありがとうございます」

「俺も行くぞ。事件の鍵は、そこにある気がする」

「お前は来るな!」


 金崎は猫のように唸ったが、常暁はもうすっかり決めてしまっている様子だった。


「せめて黒江さんが来てくれませんか?」

「私は別件があるんです」


 金崎は粘ったが、結局常暁がついてくることになってしまった。ということは、灯もセットで行かなければならないのか。


「烏賀陽の方は、今のところ大きな動きは見せていない。仕事をしたり、西野さん宅へ行ったりする程度だな。最近おもちゃ屋をうろうろしているようだが、何か買った様子はない」


 灯はそれを聞いて、友彦ともひこがクリスマスプレゼントの話をしていたことを思い出した。


「子供へのプレゼントを探しているのか、それとも何か必要なものがあるのか。現在調査中だ」

「友彦くんはどうしてますか?」

「今のところは無事ですよ。母親に疑いを持っている様子はないですね」

「──疑いって、いったいなんのことですか?」


 話についていけなかった灯が問うと、黒江は最悪の予測を聞かせてくれた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る