第24話 姿を消した女優

 今度の劇団はちゃんとビルを持っていて、入り口に団名を示したプレートが掲げてある。門をくぐって駐車場に滑り込むと、近づいてくる男性がいた。


 彼は髪の毛のボリューム制御ができておらず、アフロのように丸く盛り上がっている。下はちゃんとしたジャケットにチノパンなのだが、あかしはどうしても男性の頭ばかり見てしまった。


「演出の横山幸夫よこやま ゆきおです。金崎かなさきさんには、いつもお世話になってます」


 横山は、何も知らない灯に説明を始めた。この劇団はファンタジー色の強いミュージカルを得意としており、今度の講演は子供も見られるプリンセスものをやる予定だという。


 説明を聞いているうちに灯たちはビルの中に入っていた。オレンジ色の照明に照らされた受付を通り過ぎ、エレベーターで三階まで上がった。


「稽古場に、今来られる人間は全員集めてあります」

「助かりました」

「どうしても、アルバイトなんかで抜けている人間が多くて。後で、連絡先のリストを持ってきますから」


 そう言って明るい廊下を歩く横山に、灯は聞いてみた。


「こんなに大きなところにいても、バイトしないといけないんですか?」


 問われた横山は、困ったように頭をかいた。


「うちくらいなら中堅ってところじゃないですか。大手さんのシステムはわかりませんが、うちはたくさんギャラが出せないんですよ」

「役者さんの給料の仕組み自体、知らないんですが……」

「基本、役者ってのは一講演やっていくらって世界です。稽古中は一銭も出ません」


 思った以上にシビアだったので、灯は息をのんだ。


「……え、講演のギャラってどのくらいなんですか」

「基本、一日講演をやって一万円前後じゃないでしょうか」

「え、じゃあ毎日やって……ようやくサラリーマンの月収くらいってことですか」

「そうですよ。超有名劇団のトップの方でも、年収一千万ほどと聞いたことがあります」


 例として横山があげた劇団は、テレビCMも数多く流れている日本有数のものだった。そこの頂点で一千万なら、他はどうなのか容易に想像がつく。


「ピンでそれですからね。キリに属するほとんどの者はギャラが一日一万円もないし、講演と講演の間に稽古が挟まったりするので、月の収入が十万ないことなんてざらです。兼業しないと生きていけません。だから正直、美味しいバイトを紹介されたら受ける人もいるかなと思います」


 眉をひそめながら、横山は稽古場の扉を押し開けた。そこは広々としていて、大きなジムのワンフロアほどのスペースがある。そこにジムの器具のかわりに、大道具が置いてあった。今度は人魚姫がモチーフと横山が言っていた通り、珊瑚のついた岩がたくさんあった。部屋の奥は一段高くなって、疑似ステージになっている。


「あ、横山さん」

「みんな、すまないな」


 集まっていた数十人──今回は、みんなスウェットやスポーツウェア姿だった──に対して、横山が声をかける。


「子供ばかりが狙われる、卑劣な事件のことは知っているだろう。この方たちはその捜査のためにいらした。我々の大事なお客様を、これ以上危険にさらすわけにはいかない。皆、知っていることがあれば隠さず伝えるように」

「はい!」


 元気のいい声がいくつも飛んだ。皆、舞台で鍛えられているので、声の通りがいい。


「じゃあ、こちらの方から順に……」


 変なバイトのことについて数十人に聞いていくうちに、「自分は知らないが、あいつならやりかねない」と何度も同じ名前があがるようになった。


 その名は川住青子かわずみ あおこ。三十八歳のベテラン女優で、どんな役でもこなせる。最近はヒロインの母や師匠の役をよくやっていた。


「サバサバしてて、本当にいい人なんですよ」

「役作りのアドバイスも的確だし」


 団員たちはまずこう言って彼女を褒め、そして必ず次に同じ言葉を述べた。


「……あのクセさえなきゃ、ねえ」


 クセとは何か、と金崎が問うと、皆はこう答えた。


「ギャンブルですよ。馬でも自転車でも、ハラハラするものはみんな好きなんだそうです」

「一時期、借金してまでギャンブルやってる時期があったもんな」

「あれ、みんなに叱られてましたよね。もう懲りたんじゃ」

「叱られたくらいでギャンブル狂が治ったら、誰も苦労しないよ」


 どうやら、川住はいつも金に困っていたようだ。年も烏賀陽うがやに比較的近いし、彼女なら代役としていけるのではないだろうか。


 金崎もそう思ったらしく、途中から川住の情報を熱心に集め始めた。


「彼女のこのお名前は芸名ですか?」

「いや、それが本名だよ。考えるのが面倒だったから、そうしたって言ってたな」

「誰か彼女の写真を持ってる人はいませんか」


 灯が問うと、何人かが手を上げてスマホの画像を見せてくれた。


「……これは」

「……うん」


 それをのぞきこんだ灯と金崎は、今までの勢いを悔やみ、苦笑いを浮かべながら固まってしまう。


 写真の中で白い歯を見せて笑っている女性は、全く烏賀陽社長に似ていなかったのだ。南国出身らしく太い眉と大きな瞳をしていて、鼻も高い。これはさすがに、いくらメイクしていても一発でバレるだろう。


 灯たちが気落ちしたのは、瞬く間に周囲に伝わった。


「あれ? どうしたんです?」

「姉さん、個性派だけど綺麗でしょう」

「声真似芸もできるんですよ」


 場を盛り上げようと若手がフォローを入れてくるが、こちらが知りたいのはそういうことではない。


 灯たちは団員から一旦離れて、作戦会議に入った。


「絶対にこの人だと思ったんですけど……」

「俺もだ。あてが外れたな。ここにいる女性なら、メイクでなんとかなりそうな人もいるが……彼女は難しい」

「誰か他に、バイトの話をした人はいました?」

「今のところ手がかりなしだ。これ以上出ないなら、地道に調べるしかないな」


 とりあえず事務所から戻ってきた横山から団員のリストをもらって、引き上げることにする。


「川住は、お探しの相手ではなさそうですね」


 帰りかけた灯たちに対して、横山がためらいがちに声をかけてきた。


「今のところ、その可能性が高いです」

「それでは、金崎さんたちが追っている事件とは関係ないんですね。……ですが、川住を探していただくことはできないでしょうか?」


 そう言う横山は、眉根を寄せて辛そうにしていた。


「元々ルーズな性格だったのは確かなんですが、それでもこんなに長く連絡がとれないのは初めてで」

「どれくらいですか?」

「丸、一週間です。いつも行っていた飲み屋にも来てないって言うし……」

「分かりました」


 事件は一つだけではない。彼女が何かのトラブルに巻き込まれているなら、助けなければならなかった。


「では、彼女が行きそうなところを教えてください。さっきの飲み屋の他にもありますか?」

「ありがとうございます!」


 横山が口にした店の名前をいくつか書き取って、灯たちは車中の人となった。


「疲れた……」


 灯が愚痴を吐くと同時に、走り始めたばかりのパトカーが路肩に止まった。


「すみません、黒江くろえさんから電話です」


 そう言ってしばらく会話をしていた警官が、金崎にスマホをよこした。


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