第25話 そんなことでも人は死ぬ
「……はい。当たってみたんですが、全ての条件を満たす人物はいませんでした。ただ、行方不明者が一人」
「時間はありますけど。はい……」
金崎の話が途切れる。彼は怪訝な顔をして、スマホをいじった。
「どうしたんですか?」
「理由はわからんが、
大人しく言われるままにしていると、電話の向こうで紙を広げる音がした。
「遅くなりまして申し訳ありません。さっき言っていた女性ですが……行方はすでに判明しています。残念なことに」
「残念?」
黒江の低い声を聞いて、
「彼女──
一週間前、と言われて灯ははっとした。あのとき、急に三代川が来られなくなったのは、彼女の死体が見つかったからだったのか。
「……殺人なんですか?」
「分かりません。ひどく酔った状態で水たまりに倒れていましたから、事故死の可能性もあります」
黒江はそこでひと呼吸あけた。
「まあ、前後の区別がつかなくなるまで、誰かが飲ませたというケースも考えられますが。確かなのは、彼女が死んだことだけですね」
車の中が、その言葉で重い雰囲気になった。──原因がなんであれ、彼女が真実を話すことは、もう二度とない。
「……バカテイ・ジナハラソク・ソワカ」
そこで真言を唱え終わった時には、常暁は全身にびっしり汗が浮いていた。秋だというのに、信じられない。
「珍しく真面目にやったの。──おかげで、この建物には術がかかった」
弁財天がいつのまにか後ろに立ち、満足そうに微笑んでいる。
「ええ。なんとかなりそうです」
「後は奴にばれないと良いな」
「……聖天の気配が近づいた時だけ立ち上がる仕組みなので、なんとかごまかせるでしょう」
突貫工事にしては、合格点だろう。常暁は自分で自分を褒めた。
「直接乗り込まれたら終いじゃが、あの面倒くさがりはそこまではすまいよ。ここ以外に、長く居着いた場所はないのだな?」
「あるにはあるのですが……」
「なんだ、それならさっさともう一つ張らぬか」
「やれば死にます」
常暁には本能的にそれが分かっていた。同じ強さの術をもう一つ、ができないのなら、次点の策をとらざるをえない。
「ヒトの体はもろいものよな。それでどこまでやれるか、引き続き見させてもらうぞ」
弁財天は常暁の肩をひとつ叩くと、秋の空気の中に消えていった。それと入れ替わるように、木々の間に黒江が姿を現す。
「お疲れ様です。満足のいくようにできましたか」
「まあまあだ。……お前に頼みたいことができてしまったがな」
それから常暁が言うことを、黒江は黙って聞いていた。そして最後に、重々しくうなずく。
「分かりました。あなたのために働くのは嫌いですが、市民の生活に関わるとなれば静観はできません」
こういう風になった黒江は信用できる。それを知っている常暁は、ようやくほっとした。
「捜査の方はどうなっている」
「金崎くんたちのおかげで、いい方向に進んでいますよ。あなた、どうやって彼らをたきつけたんですか?」
「ただ思ったことを文にしたためただけだ。俺は口べたとよく言われるから、文字の方が誤解を生まなくていいのかもしれんあ」
「……へえ。そんな名文なら、後で是非見せてもらわなくてはね」
「貴様には見せん」
常暁はまつわりついてくる黒江を手で払いのけた。
「さて、やるべきことはやった。あとは……あいつらの顔でも見ておくか」
「久しぶりですからねえ。きっとみんな歓迎してくれるでしょう」
黒江は屈託のない顔で笑い、なぜか常暁についてきた。
「横山さんにはもう伝えたの?」
「はい。金崎さんから。……女優として期待してたのにって、かなり気落ちしていたそうです」
「とんでもないことになったわね」
灯たちは、署の会議室に戻ってきていた。そこに事件のデータを持ってきてくれた三代川は、美しい眉間に皺を刻む。
「彼女の死に方はちらっと聞きましたが、詳しく教えてください」
「わかった。発見された時は血の気が引いていて、心音も呼吸音もなし。顔を横にして、大きめの水たまりに全身が浸かっている状態だったわ」
「え? 顔が横?」
それなら鼻は水の上に出ていたことになる。てっきり溺れて亡くなっていたと思っていた灯は、驚きの声をあげた。
「それじゃ、死なないんじゃ……」
「現場はビルとビルの間。その夜はずっと強い風が吹いていて、しかも気温が低かった。それが彼女の死因よ」
「そんなことで亡くなるんですか?」
「強くて冷たい風は、体の熱を急速に奪うの。川住さんみたいに、体が濡れていれば一層冷える速度は上がってしまうわ」
しかも、川住は酒で眠っていたと思われるから、死亡する確率はさらに上がると三代川は言った。
「眠ると副交感神経が優位になるから、起きているときに比べて危機への対応力が落ちるの。そうして体温が下がったままだと、体の循環が悪くなって酸素をうまく運べなくなり、心臓の筋肉が酸欠になって停止してしまう。これが死因よ」
「知りませんでした」
「低体温症は本当に恐ろしいのよ。登山なんかは本当に注意が必要なの。ツアー客十八人中、八人が亡くなった事故だってあるんだから」
「うええ……」
すくむ灯の横で。三代川はカップラーメンにお湯を注ぐ。
「これがもし殺人だとしたら、現場に強い風が吹くのを知っていた人物の犯行ってことになるわね」
「それにしても、なんでうつぶせにして溺死させなかったんでしょう?」
「さあね。それは私たちにも分からないの。溺死なら五分くらいで死亡に至るから、そっちの方が確実だと思うけど」
三代川はそう言って麺をすすった。
「でも、
「そうなんです。亡くなった彼女が社長そっくりなら、邪魔になった替え玉を始末したと考えるんですけど」
「全く似てないんじゃ、その可能性はないものね。そうなると、社長か秘書が単独行動の時に殺したってことになるけど、そんな余裕があるかどうか……」
「金崎さんが、取引先にスケジュールを聞いてますけどね。こっちと往復するとなると、数時間の猶予がいります。そこまでの穴はなさそう……」
「じゃあ、金崎くんは落ち込みそうね。優しくしてあげてね」
「三代川さんがそうしてあげた方が、喜ぶと思いますよ」
「なんで?」
本当に何も分かっていなさそうな様子で、三代川が言う。灯がため息をつくと、部屋の外から「今だ、もっと押せ」と小さな声が聞こえてきた。
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