第9話 ジャブから沈めろ
「この前のスピード違反のことなら、もう終わったんじゃないの?」
「それに関しては存じ上げません。担当が違うもので」
「じゃあ、何よ」
「あなたではなく、
「あたしが聞くわよ!」
女は、頑として弘臣に会わせようとしなかった。しかし
「……手伝わなくていいんですか?」
「いらん」
心配する
「ああもう、なんでそんなにしつこいの──」
「
半分あくび混じりで、背の高い男が現れた。年齢からして、これが弘臣だろう。ほとんどスキンヘッドといえるほど髪を短く切っていた。若作りだから格好良いと言えなくもないが、黒江や常暁と並ぶと途端に見劣りしてしまう。
「
黒江が満面の笑みでつらつらと言った。
「知ってたんですね……」
「だから心配ないと言ったろうが」
常暁が嫌そうな顔をしながら言った。しかし、弘臣の顔の崩れようは、彼の比ではなかった。
「けっ……けいさつ!? さつじん!?」
「おや。何か私たちに話がおありで?」
「い、いや……ないよ」
「弘臣、あたしが答えとくから。もう出ないと間に合わないよ」
「それはできません。前妻のあかねさんのことですから、あなたでないと分からないこともあるでしょうし」
今度は、弘臣と女──美幸の、両方が凍り付いた。辛うじて、弘臣の方が先に復活してくる。
「……殺人事件の捜査だってな。あいつ、何かやったのか?」
「それを調べているところです。社長を知る方に、ひととなりを聞きたくてね。場所はリビングでよろしいですか?」
黒江は二人に断る隙を与えず、ずかずかと上がりこんだ。
「おい、そっちはダメだ。この部屋にしてくれ」
弘臣が慌てて後を追う。何かを片付けているのか、物を動かす音がひっきりなしに聞こえてきた。
灯たちも黒江に続く。廊下の隅には埃や髪の毛がたまっていて、掃除されていない様子がうかがえた。
「はい、こっちこっち」
黒江が手招きしている部屋に入る。八畳ほどの洋間で、とりあえず座れそうなソファとローテーブルがあった。灯を真ん中に、常暁が端に座る。
部屋には健康器具やブランドバッグなどの総称句品が溢れていた。ソファの周りだけよけてある感じだ。庭にも同じような物が出してあるから捨てるつもりではあるのだろうが、それにしたって多すぎる。
「言っとくが、買ったのは俺じゃないからな」
灯の視線に気付いたのか、弘臣が言った。
「お袋がちょっとボケ入ってたんだ。テレビの通販で、同じ物何個も買ってたんだよ」
「なるほど」
「しかし、それにしてはバッグや靴の趣味がお若い。前の奥様のものでしょうか?」
「アレは私のだってば!」
美幸が黒江にかみついた。
「あいつはマンションと自分のものはがっちり握って離さなかったの。指輪の一つもくれなかったのよ!」
「少しは金になるものをくれれば良かったのに。俺が困ってたこと、確実に知ってたのによ」
「──それを恨んでおられたので、SNSでデマをばらまいたってわけですか」
黒江が、いきなり場に爆弾を放り込んだ。
「『すてあかうんと』なるものを使ってな。子供でもやらんぞ、そんなこと」
常暁がその焼け跡にさらに油をまく。弘臣と美幸が縮み上がった。しかし黒江は、にっこり笑ってその様を止めようとしなかった。
笑顔のまま、黒江が灯に視線を送ってくる。なんとなく、灯は自分に課せられた役割を理解した。
「まあまあ。きっと、事情があったんですよね?」
怖い刑事と優しい刑事。ドラマで取り調べの時によく出てくるコンビだ。きつく当たる役目が黒江と常暁で、その後に安心させて白状させるのが灯というわけである。
案の定、弘臣は灯の方に体を向けてきた。
「そうだよ。あいつが何もかも持っていくし、
「へえ。父親であるあなたなのに?」
「教育に悪いってな。全く、ちょっとスマホのゲームをすすめたくらいでぎゃあぎゃあ騒ぎやがって」
話を詳しく聞いてみると、どうやら課金する名目でクレジットカードの番号を聞き出そうとしていたみたいだ。それはまあ、嫌われもするだろう。
「でも、それもあかねに言われてからはやめたぞ。こっちにとっちゃ、一銭の得にもならないって分かったしな」
「調べてもらってもいいわよ!」
「なるほど。そこのところは信用しましょう──ところで」
黒江が話をしている間に、隅に座っている常暁が立ち上がる。彼はじっと部屋の奥を見つめていた。
「いらっしゃった時、奥様は変わった行動をとられませんでしたか? あなたにプレゼントを持ってきたとか、何か落としていったとか」
「ないね。あの冷血女は、俺のことなんてどうでもいいんだよ。俺が知ってるのはそれくらいだ、分かったらさっさと帰ってくれ」
「……なるほど。では、日を改めてまた参ります」
「ええっ!?」
弘臣と美幸はそろって同じ反応をした。
「もう話は終わりじゃないのか!?」
「ひとつ事実が判明したら、それを持ち帰って捜査。進展があれば、またお話を聞きに来ます。──なんせ、人が死んでいるんですから諦めるわけにはいきません」
黒江が有無を言わさぬ口調で言った。弘臣の顔色が、ますます悪くなる。
「喜んだらどうだ? お前の大嫌いな元妻が、トラブルに巻き込まれているんだから」
常暁がさらにあてこする。黒江のことを嫌ってはいるが、灯から見るとかなり性質が近い。喧嘩しているのは同族嫌悪からだ。
「まあまあ。弘臣さんにはあくまで参考としてお話を聞くだけですから。犯人だと疑っているわけではないですよ」
灯がとりなしても、二人のあわてた様子は変わらなかった。挨拶もさせてもらえず、そのまま家を追い出される。
「……どうでした?」
灯は帰り道で、黒江に問いかける。
「あれはクロですねえ。全部の事件に関係しているかは微妙ですが、三件目に関わっているのは間違いない」
「どうして分かるんですか?」
「刑事の勘というか、状況証拠ばかりですがね。まず、彼は会話に『子供』というキーワードが出てきたとき、明らかに慌てていました」
「確かに……」
そのキーワードを出したのは常暁だった。だから、あの時黒江はニコニコしていたのか。
「あと、烏賀陽社長が何も残さなかったというのは嘘ですね。常暁、何か見つけたんでしょう?」
「ああ。店にあった数珠と同じようなものが床に落ちていた。ただ、これだけでは証拠にならんな」
「それだけ分かれば十分です。どうせあのズボラさです、令状さえとれれば他所からも出てくるでしょう。──社長からくすねたサンプルの残りがね」
「サンプル?」
「昨日、
灯と常暁は、黒江を見つめた。
「あの夫は手癖が悪いから、どさくさにまぎれて盗んだんだろうと諦めたんだそうです。確かブレスレット一つにキーホルダーが一つだったかな」
「それを使って、社長に罪を着せようとしたと?」
「ええ。常暁が見たのは、ブレスレットかキーホルダーの断片だと思いますよ」
そこまでは分かった。しかし、家宅捜索し具体的な証拠を集めるには、弘臣が事件に関わっていたということを周囲に納得させなくてはならない。
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