第8話 マダムキラーは突然に

「息子さんですか?」


 今度は烏賀陽うがやに聞いてみる。彼女は、やや間をあけた後にうなずいた。


友彦ともひこは私の一人息子です。私はこのピエニを立ち上げてしばらくしてから、夫の弘臣ひろおみと離婚しました」

「彼とは何故もめたんですか?」

「友彦をどちらが引き取るかでこじれました。彼は『仕事ばかりのお前には子供を任せられない』と、大分ごねていましたが」


 しかしどう頑張っても、彼の収入は子供を養うのに十分でなかった。親権を取るのはもともと母親が多いこともあり、友彦は烏賀陽に引き取られた。


「弘臣はそれを恨んで、ピエニについてあることないこと、色々吹き回ってくれました」

「知り合いに言うくらいならまだよかったんですけど、最近SNSに捨てアカウントを大量に作り出しましたからね」


 近藤が烏賀陽と同じくらい、苦い表情になった。


「すて、あかうんと?」


 隣で聞いている常暁じょうしょうが、またついてこられなくなっている。


「前に裏アカウントの話はしましたよね。それよりもっとタチの悪いやつです」


 捨てアカウントとは、人の悪口を言ったり、表ではしたくないことをするために作られたアカウントである。特徴的なのはそれが使い捨てであることで、もし皆に注目されて激しく非難されても、突然消して逃げれば本体のアカウントは影響を受けない。


「今は訴訟もされるようになりましたから、前ほど安全ではないですけどね。大体わかりましたか?」

「いい大人のすることではないな」


 これに関しては、常暁の言う方が正しい。


「困ったので、ひと月ほど前に弘臣に直談判しました。ピエニのアクセサリーはすぐ壊れてしまう、数百円の価値もないと書かれていたので、サンプルを大量に持参して」


 烏賀陽の顔がさらにひきつった。腹の底にまで怒りがたまっている様子だ。


「彼の前でテスト品を出して、言い分が嘘であると証明しました。それでも彼は自分がやったのではないと言い、アカウントの削除もしようとしなかった。最後に私は、それなら法的処置をとると言いました」

「……それで、どうなったんですか」


 あかしがおそるおそる聞くと、烏賀陽は艶然と笑った。


「目が泳いでました。元々気が小さい人だとは思っていましたが、あんなにわかりやすく動揺するとは思わなかった」


 だろうなあ、と思いながら灯はうなずいていた。捨てアカウントで嫌がらせをするような奴は、直接攻撃されると弱いのだ。


「嫌がらせはやんだんですか?」

「ええ。それからは女とよろしくやって、自分をなぐさめているようです。申し訳ありません、こんなのと結婚していたかと思うと恥ずかしくて……自分からは言い出せませんでした」


 烏賀陽が頭を下げる。


「では、彼の住所と連絡先を教えていただけますか?」


 烏賀陽は、近藤に目配せをした。近藤は名刺を取り出し、それにすらすらと住所を書き付けていく。


「どうぞ」

「ありがとうございます。他に心当たりのある方はいませんか?」


 今度は二人とも、素直に首を横に振る。本当に何も知らない様子なのを見て、灯は話を打ち切った。


 それを見た常暁が、指を緩める。女性たちが我に返った顔つきになったので、灯はあわてて名刺を隠した。


「もうお帰りですか?」


 常暁は立ち上がってしまっている。烏賀陽に軽く礼だけする彼を見て、灯はため息をついた。


「すみません、今日はこれで失礼します」

「あ、あの」


 近藤が遠慮がちに話しかけてきた。視線の先には、常暁がいる。


「常暁さん、でしたよね。ピエニの名前が報道されるのを止めてくださって、ありがとうございました」

「やったのは俺じゃない」


 常暁は、灯の方をちらっと見た。近藤は灯を見て、顔を赤らめる。


「……あ、あなたにももちろん感謝しています」

「いえ、どうも」


 明らかに刺身のツマ扱いされたが、灯は何も言わなかった。この女性、もしかして。


「良かったら、皆さんで召し上がってください」


 近藤からクッキーらしき包みをいただいて、灯たちはしずしずと外に出た。


「……はあ」

「何を浮かない顔をしている。俺は倒れそうだぞ」


 常暁が灯をにらんだ。この男、なにも分かっていないのである。


「そうですよね。モテる男って無自覚なんですよね」

「なんの話をしている。あの二人にはちゃんとしゃべった記憶が残っているから、後からしらを切られることはないぞ」

「はい、ありがとうございます」


 癪なので、灯は恋話は黙っていることにした。


「しかし、予想以上の収穫でしたね。最初に話してくれていれば、もっと速く話が進んだのに……」

「人間の見栄は怖いな」

「それに、元旦那の住所……ショッピングモールとも、殺されたさやかちゃんの自宅とも近いですよ」


 灯が言うと、常暁は薄く笑った。


「──そういうことなら、一番性格の悪い奴を連れて行かないとな」




「……と、常暁が言ってました」

「ご指名があったのは嬉しいですが、その物言いはいただけませんねえ」


 並んで歩く黒江くろえが、常暁の後頭部をはたいた。なす術なくそれをくらってよろめく常暁を見て、黒江はわずかに目を細める。


「まあ、事件解決につながるのならひと肌脱ぎましょう。来たがっていた、金崎かなさきくんのためにも」


 金崎は、地元のお偉いさんとの会合があって欠席となった。灯にも、ことの次第を教えるようアプリに着信がある。


「一時間に一回スタンプが入ってます」

「入り方まで彼らしいですね。あ、ここのようですよ」


 黒江が足を止めた。家族連れのために作られた、住宅街の一角。紺の屋根に白い壁で二階建て、という同じような建て売りがずらっと並ぶ通りに、烏賀陽の元夫の自宅はあった。


「……収入はそんなにないって聞いてたんですけど、けっこう立派なお家ですね。ちゃんと庭もついてるし」

「家はご両親のもののようですよ。結婚していた頃は奥様のマンションで生活していたんですが、そこを追い出されて出戻ったそうです」


 現在、弘臣の父は他界。母は存命だが状態が良くなく入院しており、長いこと家には戻っていないという。


「今は自身のわずかな収入と彼女の賃金、それに母親の年金で生活していますね。病院に、『母親を一日でも長く生かしてくれ』と頼み込んだのは有名な話だそうで」


 黒江の笑みが、暗黒神のように見える。


「……どこからそんな情報を聞きつけてくるんだ」

「近所の奥様方が、色々教えてくださいました。紳士にしていると、いいことがあります」


 黒江の物腰は俳優のようだから、マダムキラーになってもおかしくない。こういう方向に能力をフル活用されると、本当にタチが悪い人だ。


 黒江がチャイムを鳴らす。やや間があって、中から女が出てきた。まだ若い。灯より少し年下くらいだろう。ショートカットにされた彼女の黒い髪には、派手に寝癖がついていた。


「なによ」


 女は黒江をにらみつける。黒江のスマイルも、彼女には通用しなかった。


「こういう者です」


 黒江が身分証明を出すと、さすがに彼女の表情が変わった。

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