第5話 死体の温度

「人のせいにするなよ」

金崎かなさきくん、やめたまえ。しかし、今の段階では私はどちらの味方もできんね。何か決め手があればいいんだが」

三代川みよかわさん、追加の結果が出ました。実は……」


 険悪な空気を発している男たちをよそに、若い男性が部屋に入ってきた。彼は迷うことなく、三代川に近づいていく。


「え、それ本当!?」


 話を聞いた三代川が、驚愕の表情で男の持ってきた書類をめくっている。


「三人目の被害者がしていたブレスレットから、指紋が出たの。……烏賀陽うがやあかねの」

「ええっ!?」

「あの社長の!?」


 これはどういうことなのか。あかしは、一瞬思考が混乱した。


「じゃあ、あんな顔してたのに……実は、あの社長が犯人?」


 しゃあしゃあと水道水をすすめていた彼女の顔。それを思い出すだけで、灯の背筋が冷えてきた。


「それが最も可能性が高い。最大限、烏賀陽に好意的な見方をするなら、彼女が触ったパーツを誰かが利用したってことになるけど……」

「だが、彼女はもう現場に立っていないんだろう。パーツに触れることなど、そうないはずだ」


 正則まさのり管理官と三代川が、目を見合わせる。


「となると、それができるのは彼女とかなり親しい人間……」


 それを聞いて、常暁じょうしょうが勝ち誇ったような笑みをみせる。


「やはり俺は正しかったな。あの社長がよこした書面には、本人はもちろん個人的な知り合いの記載は全くなかった。彼女が犯人でないとしたら、全く思い当たらないほどの鈍感か、犯人を隠したがっているのか……」


 常暁が元気になるのとは反対に、金崎の顔からは生気がなくなっていった。


「そ、そんな……」

「さっきの勢いはどうした? ありもしない失敗を並べ立てて人を責めていたことに対し、何か言うことは?」

「分かったよ、ごめんなさい!!」


 口調は荒いが、ちゃんと謝るところが金崎の人の良いところだ。三代川もそれが分かっているのか、にこにこしている。


「そうなると、捜査も大きく様変わりするな。明日、社長に話を聞きに行ってもらおう。黒江くろえくんの同席はないが──常暁、頼めるか」

「ああ。何故嘘をついたのか、きっちり聞き出してくる」


 そう言う常暁の目は、完全にすわっていた。


「……俺が言うのもなんだが、暴走させないように頼むぞ」


 金崎が耳打ちしてきたので、灯は黙ってうなずいた。




「さて、今日は何にしようかな」

「俺が金を出すと言った途端、強気だなお前は」


 署からほど近いところに警察学校があり、寮の部屋があいているというので、灯たちはそこに泊まることにした。部屋が足りないので、一人はベッドで、もう一人は床で寝ることになる。


 狭いが完全個室で、ちゃんとエアコンがついている。隣の公用スペースに申し訳程度のキッチンはあるが、時間も遅いので出前をとることになった。


「……忘れてないか? これから殺人事件の話をするんだぞ。お前、前は死にそうになってただろ」

「写真ならある程度大丈夫です。それに──あの子を殺した奴を捕まえるために、体力つけとかないと」


 殺人という大事に立ち向かうのなら、自分が万全の状態の方がいい。灯は、そう思うようになっていた。


「ピザ五人前と寿司十人前でいいですか? この中華の出前も美味しそうですけど」

「……言っておくが、俺は生臭は食わんからな」

「あ、そうか」


 結局、常暁用にマルゲリータと中華の炒め物を確保して、灯は自分の食べたいものを注文した。


「じゃ、資料を見ましょうか」

「被害者は六歳の女児、野村さやか。二番目の被害者と同じ年だが、学校が同じといった共通点はみられなかった」

「住んでた地域も、かなり違いますね」


 一番目と二番目の被害者。彼女らの住んでいた街は直線上につなげるが、三番目のさやかが住んでいたところはその反対側に位置していた。


「三番目の子は、ショッピングモールの近くに住んでたんですね」


 自宅の場所にもよるが、車なら十分もあれば着けるだろう。


 さやかは発見される二日前、近所の友達の家を出てから行方が分からなくなっていた。


「その時、友達と喧嘩してたんですか。調書に書いてありますね」

「ああ。母親にねだってやっと買ってもらったおもちゃを、友達が壊してしまったらしい」


 灯より事情に詳しい常暁が言った。


「それは揉めますね……」

「その後の対応によって、より一層もめたようだ」


 あまりにもさやかが激しく泣くので、友達はついこう言ってしまった。


『それ、まだ売ってるよ。ママにまた買ってもらえばいいじゃない』と。


 シングルマザーの全てが困窮しているわけではない。しかしどうしても、二親の家庭より経済的に厳しい家庭が多いのは事実だ。そして野村家も、幸運な方ではなかった。


 さやかはその言葉に反論するより先に友達の家を飛び出し、そのまま行方がわからなくなっていた。


「そうすると、行方不明になってから一日以上は生きていたようだな」

「そんなこと、どこで分かるんですか」


 問う灯に対して、常暁は書面を指さした。


「ここだ。直腸温」

「チョクチョウって、お尻の中ですよね? 普通体温っていったら、脇の下なんじゃないですか?」


 最近は額や口の中で計るタイプの体温計も出ているが、尻で計るのは聞いたことがない。灯は顔をしかめた。


「直腸温は誤差が少なくて、死後冷却速度が安定してるからな」

「シゴレイ……?」

「人は、死ぬと体温が徐々に下がっていく。この減り方が安定していると、いつ被害者が死んだか特定できるんだ」


 通常、直腸温度は三十七度五分前後。体の中心に近いため、脇より高くなるのだそうだ。


「これが気温や条件によって、異なる速度で下がっていく。三代川ならもっと詳しく計算するんだろうが、俺はざっくりとしか分からん」


 秋の今くらいの気温で、一時間に一度下がっていく。それが標準的なペースなのだそうだ。


「直腸温は三十三度……ってことは、死んで四時間くらいたってるってことですか」

「そうなるな。死斑の移動もみられたそうだし、大きくずれてはいないだろう」


 人は死ぬと、血液が巡らなくなる。液体は体の最も低い部位にたまっていき、これが暗赤色になって見えるものを死斑という。


 この死斑は死んで十数時間たつと、血管外にもしみ出て完全に固まってしまう。それ以前だと、沈殿が完成していないため、死斑は動くのだ。


「そうなると、一日近く犯人と一緒にいたんでしょうか」

「捜査本部はそうみてる。胃の内部にわずかに固形物があった。彼女の所持金はわずかだったから、犯人が食べさせたんだろう。縛られた痕跡はなかったから、犯人に気を許していたのかもな」

「そうか……犯人はどんな奴なんだろう……」


 灯がつぶやくと同時に、玄関のチャイムが鳴った。ピザが届いたのを皮切りに、次々と料理が運ばれてくる。

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