第1話 私自身の祝福をお前に与えたい(創世記27章4節)
1.12月4日 9:00
警視庁の白露俊輔はある殺人現場にいた。大阪某所の工事現場の足場の下、被害者の生々しい血液が散っていた。
「被害者は大阪府内在住の17歳の手塚大和さん。高校生です。見つかったのは今朝8時頃です。」
「死亡推定時刻は?」
「昨夜18時頃です」
現場は工事中と書かれたフェンスの内側、防音シートの内側だった。薄暗く、通行人からは何も見えないだろう。
「恐らく自殺でしょう。死亡推定時刻と彼の学校の下校時間は一致します。そして、現場の監視カメラには自ら工事現場のフェンスの中に入っていく様子が映っています」
「第一発見者は?」
「第一発見者は3人います」
1人目が八幡直哉さん。42歳で全体的に分厚い。決して太っているという訳ではない。無駄な脂肪がなく、体積を持った筋肉で体が包まれていた。
「たまたま行き道で秋原と土岐に会ったもんだから、3人で現場に向かったら、嫌な臭いがしたんです。行ってみれば、人が倒れていて頭から血を流していました。特に土岐は取り乱していましたね…。『見たことある顔だ』って。」
パイプ椅子に座って下を向きながらボソボソと話す様は、体格からは想像できないくらい弱々しかった。
「12月3日、退社するときにはその、嫌な臭いは感じなかったんですか?」
「はい、何もなかったですね。一応現場を全て確認してから帰るので…」
やはり彼はボソボソ話す。俺の隣に立っている部下の谷崎和花奈は耳を澄ませているが、やはり聞きにくいのか眉間に皺を寄せている。
「分かりました。ありがとうございました。」
そう言うと、彼はこれまた弱々しく「もう一ついいですか?」と立ち上がった。
「どうしました?」
「さっきも言ったように、土岐は被害者のことを知っているようでした。被害者のことを調べるなら土岐に聞いてみるのがいいかもしれません」
「アドバイスありがとうございます」
内心、そんなこと分かってる、と思いながら頭を下げる。
2人目は土岐優斗さん。19歳ということは大学を出ずに高卒で雇われたのだろう。金髪にピアスという如何にも軽薄な風貌の彼だったが、聴取には快く対応してくれた。
「八幡さんの証言より、土岐さんと被害者に面識があったようですが、どのようなご関係で?」
「高校が一緒だったんです。俺が高3だったとき…去年ですね、被害者と同じ学校に通ってて。喋ったこともなければ面識もないんですけど、時々見る顔だったので。」
なるほど。後輩か。
「どんな人物でしたか?」
「いつも顔色が悪かったのは覚えています。逆に言えばそれくらいしか…。あ、でも、すごい優等生でしたよ。制服も崩さずキッチリ着てましたね」
八幡さんに比べて、彼はハキハキと話した。谷崎のペンの進みも軽やかで、眉間の皺も消えていた。
3人目は秋原夏樹さん。小柄だったが、作業の様子を見ていると重そうな物も軽々持っていたので意外と力はあるのかもしれない。暗めの茶髪に短髪、如何にも真面目そうな見た目だった。
「被害者と面識はありましたか?」
「いえ。」
「不審な点は?」
「分かりません。」
「何か気づいたことは?」
「何も。」
怪しい気配はない。怪しくはないが、妖しい。どこか人を惹きつける魅力がある人だった。しかし、情報はゼロ。谷崎のペンが動くことはなかった。
現場は関係者以外立ち入り禁止のところであり、作業員はこの3人しかいなかった。遺書はなし。
自殺と断定してもよさそうだった。
2.12月4日 19:37
俺は帰宅した。自宅の玄関を開けると、ゴールデンレトリーバーのきなこが出てきてくれた。娘も小さい時は一緒に出てきてくれたものだが、20を超えた娘はさすがにきてくれない。子の成長とは早いもので、気が付けば彼女は働いていて、家計に貢献するような年齢になっていた。
リビングへ入ると、ダイニングテーブルに妻と娘が座っていた。
「おかえりなさい。夕食にしましょ」
妻が優しい笑顔で言った。
「お父さん遅いよー」
少し拗ねたような口調で言うのが娘。
「悪い悪い」
頭を掻きながらコートをハンガーにかけ、座るのが俺。
家族が揃ったところで、みんなでいただきますの挨拶をする。20年以上続けている家族のルール。
「今日のお仕事、どんなのだった?李野くんの力いる?」
娘のめぐみは俺の仕事にいつでも興味津々だった。
「多分自殺だよ。工事中の現場から飛び降り。」
めぐみはじっくり考えた。普通の家庭なら、「ご飯を食べているときに人死にの話なんてしないで」と誰かが宥める場面だろうが、我が家でそれはない。
「現場の人はどんな風だったの?」
今度は妻が聞いてくる
「体格が大きいが気は小さい人、とにかくチャラい人、無愛想な人だ」
「人間関係ややこしそうね」
妻は微笑む
「アリバイは調べたの?」
「調べるまでもなく自殺らしかったんだよ」
「私は他殺な気もするけど」
彼女がこう言うとき、大抵根拠はない。めぐみが中学生のとき、「根拠は?」と聞いたことがあったが、返ってきた返事は「刑事の娘の勘」と言われたことをよく覚えている。
「ところでめぐみ、その、他殺である根拠は?」
「刑事の娘の勘」というのを期待していたが、回答は違った。
「オンナの勘。」
娘は成長した。期待とは別方向に。
正直な話、俺はめぐみも警視庁で働かせたかった。自分の娘ながら頭はよく、物分かりもよく、記憶力もよい。しかし、本人に嫌がられてその理想は実現することなく、彼女は小さな探偵社に勤めた。
その探偵社は李野探偵社といい、先代の社長は俺の友人でもあった。現在は探偵を引退して夫婦で田舎暮らしをしているそうだ。あの夫婦の頭脳は非凡そのものであった。警視庁が捜査に難航していても、彼らはいつでもすぐに解決してしまう。一度、警視庁の刑事にならないか、と誘ってみたが、警察は規則が多いから嫌だと断られてしまった。そんな風変わりな両親の子が、李野拓真だ。彼も彼でなかなかの変わり者であることは重々承知しているし、彼が両親には劣るものの常人離れした頭脳を持っていることは確かだった。度々警視庁も彼の力を借りているが、さすがに公にはできないので、『警視庁専属非公式探偵』という名でこの界隈では有名なのである。
話が大きく逸れてしまった。めぐみの他殺説についてだが、これは子どもの戯言と片づけるのが大人の役目である。父親として、刑事として、溺愛する娘の意見を捜査に反映させるわけにはいかないのだ。
しかし、ここで李野くんが関わってくれば話はややこしくなる。彼が他殺と判断すれば、事件は他殺であり、彼が自殺と判断すれば、事件性のない自殺である。
さて、めぐみ。君はこの事件をどうする。
この心の中で娘へ向けた問いの答えを俺は実は既に気づいている。
めぐみは今日のことを李野くんに伝えるだろう。そして李野くんはこれを他殺と判断する。
この直感はどこからくるかって?そんなの簡単さ。
『刑事の勘』です。
3.12月5日 9:00
「おはようございまーす」
いつもの挨拶にいつものように布団を剥ぐ。
「李野くん、今回は真面目な事件だから起きて」
彼はそんなこと言っても起きないということを私は知っている。
「はいこれ写真」
彼が寝るソファの付属品だったテーブルに事件当時の写真を並べる。実は昨夜父の仕事用携帯から写真を抜き取って印刷しておいたのだ。
「被害者は高校2年生手塚大和。3階相当の高さから転落、頭に大きな傷。それによるショック死。それで、」
新たに3枚の写真を増やす
「この写真の人が、現場の八幡直哉さん、これが土岐優斗さん、これが秋原夏樹さん。第一発見者はこの3名。警察は自殺と判断」
李野くんは布団の中から大きな黒目だけを出して情報を見る。
「これは他殺だな」
彼はそれだけ言って布団の中に戻った。
「だよね!?」
数秒の沈黙後、私はそう叫んでいた。
「お前も分かってたの?」
布団が喋る。
「もちろんよ」
「どうせオンナの勘やら刑事の娘の勘とか言ったんだろうけど?」
図星である。
「何でわかったの…」
ギリギリと彼を見ると、「お前はそんなに頭よくない」と弾かれてしまった。
なんと失礼な。とは言うものの否定できないのがまた悔しい。
ひとまず、そんなことはどうでもいのだ。
「捜査に協力してくれる?」
彼は返事をしない。
「ねぇ。」
布団に話しかけても返事は来ない。
「めぐみは、さ。」
布団から顔だけ出して李野くんはこちらを睨んだ。
「この極寒地獄の中に僕を放り出して見ればすぐに分かるような事件の解説をしろっていうの?こんなことも分からないほど日本の警察は莫迦じゃないでしょ。つまり名探偵の出番は今回無しってことぉ。何でこんなに寒いところに偉大なる名探偵が身を投げなきゃいけないのさ。なんならめぐみ1人で行けばいいじゃん。僕の助手を8ヶ月もしてるんだからそろそろ仕事分かるでしょ」
そしてすぐに引っ込んだ。
私は知っている。こうなった李野くんを引っ張り出すのは至難の業であることを。彼は一度自分で決めたことは基本曲げない。面倒くさい性分なのだ。
「いいんだね?解決したらスッキリするかもよ?」
「そもそもムズムズすらしてないから結構でーす」
こうなれば諦めるしかない。最早李野くんを誘い出す手は尽きた。いくつになっても永遠のイヤイヤ期なのだ。ご両親を見習え、と言いたいのを必死に堪え、私は仕方なく1人で探偵社を出た。
出口のドアから出るまでに実に4回以上は「本当にいいんだね?」と聞いたと思う。そのたびに李野くんは「お疲れー」と布団から手だけを出していた。
4.12月5日 11:00
電車で7駅、バスで20分。探偵社からかなり離れたところにある、今回の現場である工事現場。
足場に防音シートが掛かり、さらにその上から警察の黄色と黒色のテープが重なっていた。空は灰色一色で、その陰鬱さを強調させていた。
「めぐみ、来たか」
「うん、来たよ」
父…白露俊輔がこちらに手を振る。
「李野くんは?」
父はなんとなく事情を察したようで、「分かった。言わなくていい。」と手で私を制止した。
「本当にあのでくのぼうは何をしているんだ」
「客人用ソファを自分のベッドに仕立て上げて冬眠中」
父はボソッと「本当にあの李野夫妻の息子かね」と呟いた。それは私も共感する。
「李野くんは何か言ってたか?」
「間違いなく他殺だろうって言ってた」
「根拠は?」
「さぁ」
父としても、李野くんが言ってることは根拠なく信じられるのだろう。なぜなら彼は本当は理由を持っているからだ。それを私たちに言ってないというだけで。
「恐らく、彼が言うことは正しいのだろう。だが、根拠がない限りはどうにもできん」
以前も李野くんは警察の事件に関わった。しかし、すぐには結論や根拠を出さず、「他殺だ」と断言してからは何もしなかった。結果的には警察が李野くんから情報を買ったのだった。この、李野くんが情報を吐くまでの期間が警察側としては最もむずがゆい期間だったりする。そして、ここで発生する料金が李野探偵社存続の命綱なのだ。
「李野くんが動かない限り事件は何も進まないね」
「ああ。警察として情けない限りだよ」
私は父から今まで分かっていることを聞いた。
死亡推定時刻は12月3日18時頃で、この工事現場の建物5階相当の高さの足場から転落死。死因は頭をぶつけたことによるショック死で、頭部から血が流れた状態で発見。被害者は東英高校2年生17歳の手塚大和さん。下校時間と死亡推定時刻はほぼ等しく、警察は自殺と見たが、李野探偵社社長李野拓真が他殺であると判断し、捜査は混乱中。
ざっとこんな感じだ。
「彼の発言がなければ、事件は闇に葬られていたでしょうね」
私に詳しく教えてくれた谷崎さんという女刑事の言葉には「無駄なこと言わなければ仕事が片付いたのに」という意味も含んでいる気がする。言わないけど。
「そうですね」
私は苦笑いで言った。李野くんは基本他人の意見に興味はない。自分の意見が正しいと思うならそれを貫くし、自分の意見が間違っていると思うなら正しい答えが見つかるまで頭を捻る。ある意味真っ直ぐなのだ。
「発見者の3人と会いますか?」
谷崎さんは愛想のいい笑顔で言ってくれた。
「お願いします」
私の目の前に座る3人は不思議そうな目で私を見た。恐らくだが、「こんな若造に何ができるんだ」とでも思っているのだろう。確かに私や李野くんは22歳だし、大学を卒業してから1年も経っていない。見た目も、特に私は童顔で低身長なので、更に幼く見えるかもしれない。
「まずは、初めまして。今回捜査に協力させていただく、李野探偵社の白露と申します」
頭を下げると、彼らもペコリと一礼してくれた。
「皆様のお名前を教えていただけないでしょうか?後は被害者との面識についてと、12月3日18時頃にどこで何をしていたかもお願いします。」
もしかしたらもう既に話していたかもしれなかったが、もう一度聞いておきたかった。
「八幡直哉です。被害者と面識はありません。一昨日の18時頃は駅前のレストランで1人で食事をしていました。証拠なら店の監視カメラで分かると思います。」
アリバイの証拠まで言ってくれた。手間が省ける。
「土岐優斗です。被害者は俺と同じ高校でした。時々すれ違うくらいでしたけど…。3日の日のその時間はえっと、何してたかな…。あ、駅前のゲームセンターにいたと思います。多分。」
ざっくりし過ぎていないか?だが、彼のアリバイも八幡さん同様、店の監視カメラを見ればすぐに分かる。
「秋原夏樹と申します。被害者と面識はありません。12月3日18時はホテルにいました。自宅が耐震工事で住まえない状態なので、数週間ほどホテルに1人で滞在しています。」
この3人の証言から分かること。全員アリバイがあり、全員のアリバイの証明は監視カメラを確認すれば分かるということ。
「証言、感謝します。今後も捜査に協力していただくことになると思いますので、よろしくお願いします」
私が次にすること。それは彼らが口々に言うレストランやらゲームセンターやらホテルやらに行くことだ。
まず私が行ったのは、八幡さんの証言にあったレストランだった。
「こちらがその日の監視カメラ映像です」
カメラ映像を見ていると、18時3分頃、証言通り八幡直哉さんの姿があった。
「ありがとうございました。またお邪魔するかもしれません」
次に行った、ゲームセンターやホテルなどでも同じだった。そもそも、犯行はこの3人にしかできないのだろうか。
色々な疑問が数珠繋ぎのように脳内に広がった。
5.12月6日 9:00
「めぐみ!捜査資料と現場の写真!早く!」
探偵社のドアを開けると、珍しくやる気に満ちた李野くんが凄い勢いで飛び出してきた。
「今回は何に釣られたの?」
「僕は釣られてなんかない!」
呆れながら封筒から写真や昨日メモした手帳や録音機を渡す。
「ありがとう!すぐに解決できる」
私は肘をついて彼の働きっぷりを見ていた。そして、案の定置かれていた青色の紙を手に取った。
『拓真へ 今回の事件を私たちより早く解決できたら、今までお前に秘密にしていた家族の事を1つ教えてやろう。 父さん・母さんより』
なるほどね。
物欲やお金への執着がない李野くんにとって、最も欲していること。それは、数々の難事件を難なく解決してきた両親から認められることであり、家族の秘密を教えてもらえるということは、彼にとって自分も才能のある人の仲間に入れてもらえる、という意味なのだ。
「ご両親に認めてもらえたらいいね」
笑顔でそう言うと、彼は作業の手をピタリと止めてこちらに向き直った。
「ああ」
それだけ言ってまた考え出したけど、彼の口角は上がっていた。
「12月6日9時54分 犯人が分かった」
探偵社に沈黙が流れた。
「え?もう?」
「ああ」
彼は駆け足で携帯電話を見た。そこに書かれたメッセージは1つ。
『未読メッセージ1件』
「うっ、違いますように…」
彼は恐る恐るその未読メッセージを開いた。
『12月6日9:22解決』
「うわああああああああああ!!!!」
絶叫しながら反り返る姿を私は白い目で見ていた。
「まぁそうだろうね」
冷静になれば当たり前なのだ。警視庁も一目置く李野夫妻が自分の息子に手加減する訳がない。
自分のデスクにつき、私は仕事を始めた。
「で、犯人は誰?」
彼の方を向かずに問うたが、項垂れて返事のひとつもされなかった。仕方なく私は李野くんのご両親に電話をかけてみた。
「もしもし、李野探偵社の…」
『その声はめぐみちゃんね?いつも拓真がお世話になってます』
優しい声が聞こえた。多分お母さんだろう。
「いえいえ、こちらこそいつもお世話になっています」
『何かあったの?』
「犯人を教えていただきたくてお電話しました」
『犯人なんて、拓真ももう分かっているはずよ』
ふふっと彼女は微笑む
「それが、ご両親との推理勝負に負けたのが相当悔しかったらしくて、何も教えてくれなくて」
『まったく、本当に手のかかる子ね』
お母さんはまた微笑んだ。
『答えの分かっている推理小説はおもしろくないわ。自分たちで答えを見出してみなさい』
彼女は優しく私に語りかけた。こう言う時、彼女は何も教えてくれないことを私は知っている。
「分かりました。頑張ってみます」
結局答えは聞けなかった。あれだけやる気に満ちていた李野くんはしぼんだ風船の様にデスクに突っ伏していた。
『めぐみちゃん?拓真がいるなら電話代わってくれないかしら?』
「了解しました」
私は無理矢理李野くんに電話を持たせた。
「うん、うん、えー…、うん…」
お母さんと話すうちに李野くんは元気を取り戻していった。割と単純なのかもしれない。
「分かった。ありがとう」
そして、通話は切られた。
「頑張れる?」
今の彼にはそれで十分だと思った。
「ああ。」
李野くんはどこでもないところを見つめていた。
普段彼は自分勝手だが、やる気スイッチが入った時、彼の目は怖いほどに据わっている。
鹿と羊 綾川鏡花 @moki0794
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