第38話 香典返し
黒いネクタイを外してタクシーを降りる。
仰々しいマンションのエントランスに入ると、龍生は目当ての部屋のチャイムを鳴らした。
「はいはい……げ」
「ご挨拶だなぁ、小宮山さん。せっかく来たのに」
カメラに映るよう持っていた紙袋を掲げると、ややあって深いため息が返された。
「入れ」
がちゃん、と音がしてオートロックの鍵が開く。同時にぶつりと切られた回線に肩を竦めて、龍生はマンションの中へ入って行った。
高層マンションの低層階。その一角が小宮山の自宅である。
「小宮山さーん。特事課ですよー」
どんどんと戸を叩くと、ガチャリとドアが開いた。同時に何やら砂粒のようなものを叩きつけられて、龍生は一瞬及び腰になった。
「うるさいっ、騒ぐな! あとそれ、ちゃんと落としてから入ってこいよ」
口に入った砂粒の味に、撒かれたのは塩だと理解する。
お浄めのつもりだろうが、カップ一杯分の量は明らかに嫌がらせだ。
「このやろう」
忌々しげに呟いて塩を払う。
一言言ってやろうと顔を上げたところで、小宮山と目が合った。
ボンレスハムにそっくりだった体軀は一回りほど痩せ、偉そうに腕組みする腕には生毛のようにいくつもの芽が頭をのぞかせている。
露出している首や頬の一部にも同様の発芽が見られ、さながら春の山のようだ。
龍生の反応を見た小宮山が唇を歪めて笑った。
「俺も大概見栄っ張りだからな。嘘が多い人生だ。一々引っこ抜くのも面倒になって最近じゃそのままにしている」
上がれ、と素っ気なく招いて、自分はさっさと部屋の中へと引っ込んでしまう。
誰もいなくなった玄関で革靴を脱ぐと、龍生は小さな山を追って部屋に踏み入った。
「人の多い葬儀でしたよ」
不揃いのカップに急須でざばざばと茶を注ぐ小宮山の手元を眺めながら、龍生は言葉少なに報告した。
葛野司弦の葬儀についてである。
「預かった香典も、ちゃんとあんたの名前で渡してきました。まったくねぇ、ある日突然職場宛に現金書留なんか送ってくるから、びっくりしましたよ。はい、これ小宮山さんの分の香典返し」
嘘花を恐れ、屋上から飛び降りた葛野の葬儀は、人のごった返す賑やかなものとなった。
親族はしめやかな式を想定したようで使われた会場もこぢんまりとしたものだったが、実際には多くの参列者が列を為し、敷地の外にはみ出す始末だった。
嘘ばかりの人生、と嘆いた葛野だったが、彼の人生には彼を失って嘆く人間がこれだけいたのだ。
──馬鹿だな、お前は。
生前より痩せて見えた棺の中の葛野を思い返して、心の中で呟く。
馬鹿で、愚かだ。
だけどその愚行を止められなかったのは自分だ、と返す刃で自責を深める。
小宮山にも思うところがあるのか、重苦しい沈黙がリビングに影を落とした。
「日野晃という人は」
唐突に話題を変えて、小宮山が口を開く。
「日野先生は、大学の頃お世話になった教授だった」
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