第24話 実験対象
「はあー」
敦を見送った席でビールをあおると、龍生は息を吐いて天井を仰いだ。
「疲れたー」
頭の回る子どもの相手は疲れる。
会話の内容に対する吟味だけでなく、歳相応の気遣いをしなければならないからだ。
しかも同席しているのがいまいち手綱を握れない若い新人とくれば、なおさらであった。
正面の席に移動した伊織は、龍生の飲酒を止めもせずに最初のコーヒーをちびちび舐めている。
ビールといい、コーヒーといい、もしかしたら苦いものが苦手なのかもしれない。
「志摩さんさー」
ふと、口から問いが滑り出る。
「君、お父上で実験をしただろう」
一つ、瞬きをしただけで、伊織は反応を見せなかった。
否定も肯定もせず、驚きもしない。
まるで瞬間的に全てのリアクションを凍結したように、伊織がじっと動きを止める。
「志摩さんが口にする嘘花の理論は、普通に管理していただけでは到底到達できない領域だ。嘘を回避する方法一つとってもそう。何がセーフで何がアウトか、まるで端から順に試したみたいだ」
伊織の確信めいた理論は、普通に会話を重ねて気付けるような領域を遥かに超えているように思われた。
嘘花は言ってみれば嘘発見機をつけられた状態だ。
しかしそれは、口にした内容が嘘かどうか分かるというだけで、どのような心理で選ばれた言葉かを知るには至らないのだ。
「没交渉気味とはいえ、俺にも嘘花の身内がいるから、分かる。君が引き合いに出した情報は意図的に実験でもしない限り得られない内容ばかりだ。──志摩さん」
コーヒーに視線を落としたままの伊織を覗き込んで、龍生は尋ねた。
「それは同意の上のこと?」
ぴくり、と伊織の頬に緊張が走る。
「そうじゃないのか」
「利害の一致はありました」
ようやく口を開いた伊織の声は、責め立てられた罪人のように固かった。
ガラス玉のような大きな瞳を龍生に向けて、伊織が言う。
「終末期までは管理者を降りて葬儀屋に持ち込んだりしない、という条件で協力を得ました。合意がなければ内面のことなど聞き出せるはずがありません」
それは合意ではなく脅迫だ。
喉元まで出かかった言葉を飲み込んで、龍生は別のことを聞いた。
「君はお父さんが嫌いだったの」
例え相手が嘘花であっても、情があればそこまで思い切った非人道的な扱いはできない。
伊織の突きつけた条件には、憎しみにも似た非情さが感じられた。
ぎゅ、と眉根に力を入れて、伊織が一瞬傷つけられたような顔をする。
「最初に利用したのは向こうです。たった二年、私が利用して何が悪いの」
囁くような小さな声だったが、ここにきて初めて龍生は伊織が感情的になる所を見た。
「志摩さん」
追い詰めたいわけではなかった。
徐々に人ではなくなるものの生命を繋ぎ、それでも確実に死へと向かっていく過程を見つめ続けるのは周りが思う以上にしんどいことだ。
ましてや家族関係のこじれまで介入するとなると、安易な評価は避けるべきであった。
そもそも嘘花は人ではない。極論を言えば、何をしても罪に問われることはないのだ。
ひっそりと昂っている伊織を宥めようと口を開きかけた、その時。
テーブルの上に伏せていたスマートフォンが煩く震え出した。
「はい」
反射的に電話に出ると、聞き覚えのある声が特別収容所の職員を名乗る。
『お待たせいたしました。本日、御堂様が管理されている嘘花に花が咲きましたので、そのご報告です。葬儀屋へは先ほど回収依頼をかけました』
親切そうな声に告げられたその言葉を、龍生はしばらく処理できなかった。
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