第23話 選べなかった悪手
「あります」
ごく小さな声で、だけどはっきり伊織が断言する。
姿勢を正して、いいですか、と学生を諭す教授のように伊織が敦に持論を説いた。
「一番大切なことは、質問しないことです」
「質問しないこと……」
「はい。問いに対しては答えが期待され、応じようとすると答えにふさわしい言葉の中で自分の思いを決定づけなければならなくなります。特にイエスかノーかの二択を迫るのは危険です。人の心は曖昧ですから、どちらでもない、あるいはグラデーションであるという場合、どちらを答えても嘘になってしまう危険があります」
「なるほど……」
神妙な顔で頷く敦を視界の端に捉えながら、龍生は内心驚愕していた。
先ほどから伊織が言及していることは、これまで誰もが明言できなかったことばかりだ。
たった二年で処分される嘘花に実験の協力を仰ぐことは困難だし、何より嘘という個人的な認識を強制でサンプリングすることはできないからだ。
よしんば協力的な嘘花が現れたとしても一般化するには数と比較が必要になる。
そのことが分かっているからこそ、伊織も論文にはこのことを記載しなかったのだろう。
多くの協力者がいたとは思えない。
だとしたら一体どのようにして確信に至ったのか。
可能性を考えるうちに、ふと嫌な予感が龍生の頭をかすめた。
「ありがとうございます」
深々と頭を下げる敦を見て、我に返る。
今は仮説の根拠を探るより、希望を見出し、救われたような顔をする少年に釘を刺さす事の方が先決だった。
「敦君。紗良さんを好きだという君には酷なことだけど、あまり嘘花に入れ込んではいけません。あれは脳を支配する」
え、と敦が反応する。代わりに今度は伊織が押し黙った。
「嘘花は寄生した人間の脳を支配すると言われています。本能を書き換え、やがて実る種子を自分の子のように感じさせ、守らなければという使命感を植え付けます。そして周囲の人はこの嘘花の訴えにより、同じく種子を守らなければという洗脳状態に陥る」
自ら死を選んだ真木でさえ、最後の最後に「種子を守って」と言い残した。急速に訪れた死期を前に、抗い難い本能の書き換えがあったのだろう。
「種子を守ろうとする行動には、主に嘘花の逃亡幇助、種子の隠蔽が挙げられます。ですが法を犯してまで庇っても、嘘花本人はやがて土に還ってしまう。残された者の方が、長く罪に問われ続けることになるんです。万が一種子を隠蔽したり、どこかに撒いたりしたら、国家転覆を目論む内乱罪や外患罪と同様、終身刑もしくは死刑が科せられます。重罪だ」
敦は何も言わなかったが、その頬からは血の気が引いていた。
子どもに対して厳しい物言いになったが、子どもだからこそ、無謀な行動を先んじて封じておかなければならなかった。
「嘘花を逃した場合、警察と同時に葬儀屋も動きます。警察は主に対人用、つまり逃した人間を追いますが、葬儀屋は嘘花を追う。逃げた嘘花は人権を放棄したとみなされるので、見つけ次第即時処分されます。このため嘘花を追う葬儀屋には銃の携行が許されている。それがどういうことか想像できるでしょう」
世界は美しくなどない。非情で、残酷だ。
「本来ならお別れを済ませて葬儀屋の回収を迎えたはずが、周囲に重罪を背負わせ、自分は孤独の中で死んでいく。そんなのは不幸です」
そうだ。不幸だ。誰も幸せにはならない。
だから嘘花を庇うことは愛じゃないのだと、まるで言い訳するように龍生は説明した。
「いいですか。決して間違えてはいけませんよ」
それは自分が選べそうにない未来を、正当化するための押し付けだったかもしれないが。
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