第21話 クリア
十一ターン リンカ。五十五パーセント
十二ターン イトナ。六十パーセント
十三ターン 紅蓮。六十五パーセント。
十四ターン リンカ。七十パーセント。
今は十五ターン辺りだ。
安全権利とやらは七十パーセントを超えて、これをクリアすれば七十五になるところだった。
つい少し前に降り注ぐ凶器に頬を切り裂かれたリンカに心配されていると、イトナが声をかけてきた。
「次は口を出さないでくれ」
「え、おい……」
固い声で言い放ったイトナが、マスの前に立つ。
天井を警戒しながら。視線を鋭くして一瞬だけこちらを睨みつけてくる。
その視線の意味が分からない。
詳しく聞こうと思ったけれど、始まる前にへたな事をいって集中をそぎたくない。
イトナは何を考えているのだろう。
この時の僕は、ただ不思議だった。
胸の内にはわずかに嫌な予感がくすぶっていたものの、まさかあんな事をするとは思わなかったのだ。
あの時、僕が一言でも声をかけていれば、もしくは何か聞いていれば……。その後の展開はまるで変わった物になったかもしれないというのに。
しかし、もう遅い。
試練の舞台に立って、始まりの合図が告げられてしまえば、もう時は戻せない。
気づいた時には遅かった。それは、防ぎようがない行為だった。
『では、こちら側十五ターン目です』
合成音声と共に、イトナは降り注ぐ凶器の中、マスを踏み続けた。
四つ、五つ、六つを越えたところで慌てて声をかける。
聞こえては、いるはずだ。
けれど、相手の様子は変わらない。
「お前っ、何してるんだよ!」
イトナは耳を貸さないまま。
無視をしているのだ。
視線の先にいるイトナは、行動を止めない。
致命打となるだろう行為……僕から見れば悪手としか言いようがない手を打ち続けていく。
合計二十もの数字のマスを踏んだところで、彼はようやく止まってみせた。
振り返ったイトナは、冷たい表情で淡々と言葉をぶつけてくる。
馬鹿にしている、という声音ではなく、ただ事実を述べているといった風に。
「君は馬鹿か。俺は何も間違った事はしていない。四つ以外マスを踏んではいけないというルールは無かっただろう」
その言葉にかっとなる。
「僕はそういう事言ってるんじゃない! そんな事したら……」
ゲームの画面を見つめる。
そこにあったのは最悪の結末だった。
紡がれてしまったシナリオは戻せない。
時は戻らない。
(駄目だ……)
絶望的な心境だった。
ユニット達はマスを覚えていなかった。
ばらばらに動くユニット達は、マスの上を右往左往するのみだ。
おそらく、今までの僕達の行動で予断していただろう。
だから、危機感を持って覚えていた人間がいなかった。
それなのに、ここに来てのイトナの行動。
ゲーム迷宮にいる彼等が、なんの心構えもなく二十もの物事を覚えられるわけがなかった。
ほどなくして、迷宮に合成音声が流れる。
『クリア失敗しました。安全権利七十パーセントの守備範囲外の者はリタイアです』
絶望的ではない。正真正銘の絶望だ。
終わりだ。
敗北は実にあっけなかった。
こんな形で幕引きになるなんて、一体誰が想像できる。
僕以外の誰かなら、想像できたというのだろうか。
なら、僕が間抜けだった。
思考が乱れる。
あまりの事に思考が追いつかない。
「行こう、紅蓮君」
「……」
何も考えられないままリンカに背中を押され、白い部屋を出る。
彼女が扉を閉めた所で、思考が動き出した。
言いたい事が、聞きたい事がたくさんある。
疑問が、憤りがあふれ出てくる。
僕は、ようやくイトナに詰め寄った。
「何であんな事したんだ!」
そいつの襟首を掴んで、睨みつけた。
でも人を殴った事なんてないからどうすればいいか分からなくて結局怒鳴りつけるだけになってしまう。
いつも考えるより先に行動しているようなクラスメイトを馬鹿にしていたが、今ほど心のままに動けたら、とそう思う事はない。
イトナは、こちらをじっと見ながら言葉を紡いでいった。
その表情は、おかしくてたまらないといった様子。
「何でだって? それはこっちのセリフだ。見ず知らずの他人の為に何で俺達が危険な目に合わなきゃいけない。俺達は力のないただの子供で被害者なんだ、自分の安全を優先して何か悪い事でもあるのかい?」
でも、とは言えなかった。
言いたかったのに。
どうしてか、そんな言葉は出てこなかった。
僕だってわかっている。
イトナの言っている事は正しいのだと。
イトナは悪くない。きっと事情が分かれば多くの人が責めないだろう。
それが分かるだけの理性はある。僕の頭はまだ冷静だ。心は今にも噴火して、爆発してしまいそうなのに。頭の中のどこかは冷静なまま思考を続けている。
イトナは、悪くない。
イトナを、悪く言えるやつはいない。
でも、それならあいつらだって悪くなかった。
あいつらを助けられるのは自分達しかいなかった。
僕にはイトナのようにはできないし、考えられない。
そんな風に簡単に自分の安全と引き換えて、切り捨てるなんてできるわけがない。
やりきれない思いと共に、言葉が零れ落ちる。
今となってはもう、なんの意味もない言葉が。
「だからってあんな事したら、僕達が頑張らなかったら……」
「紅蓮君、もうイトナ君を責めても仕方ないよ」
拳を震わせているとリンカに仲裁に入られた。
腕を掴まれて、イトナから引き離される。
気が付くと、僕は拳を振り上げようとしていた。
リンカの顔を見ると、彼女に首をふられる。
自分でもどうしてそうしたのか分からない。
同じ気持ちだよと言ってほしかったのか、喧嘩はだめだと叱ってほしかったのか。
僕の腕を掴んだリンカから、震えが伝わってくる。
彼女自身も悔しそうにしていた。
この気持ちは僕だけの物ではない。
リンカだって同じ気持ちなのだ。
それでも彼女はぐっとこらえているのに、僕がそれ以上怒鳴りつけるなんて出来るはずがなかった。
それを見てイトナが話しかけてくる。
「分かってくれたのならいい。俺は、本当はもっと前に余計なリスクを負う前にリタイヤしたかった。凶器は増える一方だし、君だって危ない時が何度もあったじゃないか。彼女は怪我をした。二十%が三人のうち誰を示しているのか分からなかったから、我慢して三人分貯まるまで、ここまで頑張ってきたんだ」
リアル迷宮にいる人数の分が溜まるまで我慢していた、と悪びれる様子もなくイトナが告げてくる。
(じゃあ、つまりこいつは、最初からユニット達を見捨てるつもりだったのか……?)
その言葉を聞いて、消えかけていた憤りが再燃しそうになるが……、
そこでリンカが僕の気持ちを代弁するように述べてくれた。
悲しげな表情で、僕の前に出て。
きっと僕とこいつを争わせないようにしてくれているのだろう。
「イトナ君、自分の安全を最優先に考える……、それもきっと間違ってはいないと思うよ。だけど、もうちょっとぐらい頑張っても私は良かったと思うよ」
だがそれに対して、イトナは表情を歪めて言い返す。
「後だしで説明を追加するような奴らなんだ。時間が経つにつれてどんな不利な条件を飲まされるか分からない。それは君達だって分かっていた事だろう」
そんな事、十分すぎるくらい分かってた。
当然だ。警戒してない方がおかしい。
犯人には何度も煮え湯を飲まされてきたのだから。
だけど今まで、なんだかんだ言っても上手くやって来たんだ。
だったら次もきっとうまく行く、そう希望を持って何が悪い。頑張れるはずだと思って何が悪い。
(リンカとだけだったら、きっと上手く行っていたんだ。こいつさえいなければ……)
こんな事になるなら、イトナを攻略の仲間に加えるべきではなかった。
しかし、次の瞬間にイトナに言われた言葉を聞いて、そんな後悔も胸の内から吹き飛んでしまった。
「犯人がどんな事を考えている危険な奴か分からない。だから、君達が偽名を使っているのだって、もしもの事を考えてのことなんだろう」
「……偽名って何の事だよ」
頭が真っ白になった。
それは図星をつかれたかれではない。
何を言っているのか分からなかったからだ。
答えを求めてリンカに視線を向けるが、彼女はひどく戸惑っている。
彼女は、困惑した様子でイトナの顔を見つめていた。
「私は、そんなつもりでこの名前を使ってるわけじゃ……」
けれどイトナはとりあわず、厳しい声音でこちらに畳み掛けてきた。
「グレン、君だってそうだろ。犯人に本名を悟られない為にとか、僕達の事が信用できないから、犯人のスパイである可能性もあるから、そういう理由で本当の名前を言わないんだろう?」
遅れて、その言葉の意味を理解し、愕然とした。
根本的な所から、意識が違っていた。
イトナと僕達は、最初からどこかボタンを掛け違っていたのだ。
「何、言ってんだよ、これは僕の本名だ。馬鹿にしてるのか……お前」
いっそ冗談だと言ってくれたら、どれだけ良かっただろう。
けれど、イトナは笑い飛ばす事も、撤回する事もない。
本気で、そう考えているようだった。
「本名だって? それを証明する方法はあるのか? 後からならいくらでも言える」
探るような視線を受けて、心の底が急速に冷えていくような感じがした。
信じていたはず、なんてない。
それなのに、なぜか裏切られた、と思ってしまった。
イトナの姿に両親の姿が重なってくる。
本当の姿を見てくれない。
気にもしてくれない父と母の姿が。
(どうすれば、良かったっていうんだ?)
僕は、間違えた。
致命的に。
迷宮攻略を進めるよりもまえに、まず仲間を探すべきだったのだろうか。
リンカと話して、心を交わしてきたように、同じ境遇の者がいないか捜索してもっと会話を積み重ねるべきだったのだろうか。信頼を積み上げるべきだったのだろうか。
碌に仲間とミュニケーションを取らずに一人でここに来てしまったイトナ。
当然、僕達と彼の間に信頼や絆といったものは皆無だ。
ただの協力者の関係でしかなかったために、こんなにも状況がこじれてしまった。
それはゲームばかりにかまけていて、周囲の人間と接することなくたまにかけられる気遣いや心を蔑ろにしてきた僕には、当然の失敗だったのかもしれない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます