第16話 最後の試練
起きたその異変は唐突だった。
ゲーム迷宮のグラフィックに変化はない。
だが、ゲーム機のスピーカーからは不穏な音が聞こえてきていた。
何かが駆動するような、工場にあるような巨大な機会が作動するような重々しい音だ。
「何だろう、この音」
「何なんだ、今まで何もなかったのに……」
異音の正体は程なくして判明する。
クラスメイト達の呟きが、異変を如実に示していたからだ。
「天井が」「動いてるよ」「どうしよう、潰されちゃう」「やだ、ここから出して」「逃げないと」「大変だよ」「どうなってるの?」「何で動いてるの」「逃げたいよ」
そう、ゲーム内で天井が動きだしたらしいのだ。
平面的な場所しか映し出せないこのゲームのグラフィックではどう考えても分からない場所で。
「俯瞰図しかない場所で天井のしかけを作動させるなよ……!」
「これじゃ、みんな上が気になって作業に身が入らない」
天井の動きを受けて、ゲーム迷宮にいる者達は、己の身に降りかかるだろう危険をこれでもないくらい明確に見せつけられた。そのせいで、作業スピードを大幅に落としてしまっていた。
心理的なプレッシャーがかかっている中で精密作業をさせるなど、とんでもない無茶だ。
先程までは余裕だったのに、一気に状況がひっくり返されて追い込まれてしまっている。
(――というか、天井が落ちてくるのが早すぎなんじゃないのか!?)
問題はまだある。
メール文面を読みこめば、落ちてくる天井はもう、クラスメイト達の頭上数十センチまで来ているらしいのだ。これでは、タイムリミットが来る前に、彼らが犠牲になってしまう。
「紅蓮君、ユニットの数人をパズルの作成組から離して! 指示を出すの! 方向キーは押さずにただ「押す」指示だけを!」
「指示を出すって、どうして!?」
「いいから!」
声は急いだ調子だけれど、彼女はまだ冷静に思考できている。うろたえている僕とは違う。その様子を見て、息を一つ吐いた。そうだ、混乱してなんていられない。まだ時間はあるのだから。肺に酸素を送り込めば、頭の中も次第に落ち着いてきた。
(きっと何とかなる。大丈夫だ)
きっと……だなど、希望的観測を信じ込むなんて僕らしくない。だけど、今はその思い込みで心に余裕を生む事が必要があった。
滑る様に指を動かしてボタンを押し込んでいき、クラスメイトの数人を選び出して即座に指示を出していく。
どの道このままでは完成が間に合うかどうか分からない。
だからリンカに言われた通りにしてみた。
すると、パズル作成をやめたクラスメイト達の数人がぴたりとその場を動かなくなった。
ほどなくして。
「紅蓮君、これで少しは時間を稼げるようになったよ。天井は大丈夫」
「え? 天井が、止まった?」
「止まったってわけじゃないけど、止めてる感じかな」
リンカがメールの内容を見て、ゲーム迷宮の様子を伝えてくる。
そこで僕は、リンカの指示の真意に気づいた。
内部にいる者達が呟いているのは、心配の声らしい。
「重そう」とか。「腕が疲れるんじゃないか」とか。
まさか……。
「私達の意を汲んでくれたんだよ。こっちからは必要最低限の指示しか出せないけど、あの子達も色々考えてくれるから、こんな事もできるんだよ」
「そっか、あいつらが押さえてくれてるのか」
つまり、そう言う事だった。
また、彼女には助けられた。これまでユニットをただのゲームのコマとして扱って来た僕には考えられない発想だ。
取りあえず状況は持ち直した。
作業に遅れは出たものの、リンカの機転のおかげでピースは残るところあとわずかとなる。
残された時間は後一分ほど。
しかし、
パズルはあと一つのピースをはめ込めば完成となるはずだったのだが……。
「「ピースが二つも?」」
余ったピースはなぜか二つあったのだ。
本来なら一つしか残らないはずなのに。
「どっちかが偽物って事なのか、どうやって見分ければいいんだよ」
こちらからではアイテムのグラフィックは同じで、どうやっても見分けなんてつかない。
リンカがメールを覗いてみるが、ゲーム迷宮でも柄は同じだったらしい。皆、判断がついていないようだった。
「試しにどちらかをはめてみる」という選択があるが、実際にやってみて失敗になってしまったらと思うと怖かった。
最後の人ピースだ、用心するに越したことはない。
けれど、制限時間があるため、長々と悩んでいられない。
「どうすればいいんだ。リンカ……」
女の子を頼るとか情けないと思うが、期待せずにはいられなかった。
意地やらプライドやらには黙っててもらう。格好悪いとか気にしてられない。
今までも、どんな難題でもこなしてきた彼女なら、この状況を覆す一手を思い付いてくれるのではないか、とそう思って……いや、信じて。
「もしかして、あれを使うのかも!」
ふいに声を上げたリンカは。慌てた様子で入口の壁の方までクラスメイト達を移動させようとする。だが、彼女がやるより僕がやった方が速い。
「指示してくれ、僕がやる!」
「うん、とりあえず入り口に移動させて! だけど私たちからじゃ『押す』支持しか出せない。本当は『入れる』指示を出したかったんだけど」
もう猶予はそんなにないのだ。ミスはできない。
胸の内に焦燥が満ちていく。
緊張で間違えそうになる指で、ボタンを連打。
手のひらの汗で何度も滑りそうになった。
リンカに言われた通りに操作して、入り口付近へ連れて行ったクラスメイトに『押せ』と伝える。
操作する僕の横で、リンカは祈りを込めるようにゲーム機の画面を見つめていた。僕もゲーム内迷宮に彼女が期待したような何らかの変化が訪れるのを待つ。
「お願い、気付いて」
頼む、と僕もリンカと同じように心の中で祈る。
ここを超えれば、この試練をクリアできれば、きっとこんな迷宮からは出られるはずなのだから。
もう危ない目にも合わなくていいし、誰かが犠牲になる事もない。今までと同じ、平穏な日々に帰れるはずなのだから、と。
――――ややあって、
祈りは届いた。
ゲーム機の画面が突然暗くなる。
電源が切れたのかと思ったのか、違った。ゲーム機の画面は起動している時は、完全に黒くなったりしない。わずかに発光しているからだ。
その事実が示すのはつまり、ゲーム迷宮を照らしていた明かりが落ちたという事。
クラスメイト達も、画面に映し出されていた背景も、散乱していた小道具も全て見えなくなるが、唯一見えるままの物がある。それはパズルピースだ。
二つあった最後のパズルピース、そのうちのどちらか一つがぼんやりと淡く光っているからだ。
「そういう事か!」
「蛍光塗料が塗られているみたいだね。最初に部屋の入口にスイッチがあるってメールが来たから、どうしてだろうって思ってたの」
つまり、二つあるピースの内、正しい方を見分ける為の仕掛けが部屋のスイッチだったのだ。
「紅蓮君、もう一度『押す』だよ」
「あっ、ああ!」
そうだ。驚いてる暇はない。
残り時間を確認すればあと十秒しかない。
指示を出した瞬間、ゲーム迷宮の電気が再度点けられる。
内部にいる者が正しいピースを手にする。
パズルの最後のピースはあるべき場所へ収まろうとしていた。
もう僕達から、細かい指示は出す必要はない。
僕達が出来る事と言ったら、信じて待つ事ぐらいだろう。
一秒、二秒……。
時間が過ぎていくごとに、心臓を締め付けられるような緊張が襲い掛かって来るが、残り三秒となったところで、パズルは無事に完成した。
欠けたピースがはまった、完全なパズルが姿を見せる。その数秒後に、残り時間の数字がゼロとなった。
『0分』
現れたパズルの絵は、骸骨を持ち黒いマントを羽織った人物、手には大きな鎌を持った……よくあるファンタジーゲームで出てくる死神のような恰好の男性だった。
そんな風に内心で思っていたら一瞬後、部屋の対面にある扉が自動で開いた。
今までは、手動だったのに、最後だから特別なのだろうか?
何はともあれ、これで本当にクリアだ。
メールを見れば天井もちゃんと止まっているらしい。
「やった……!」
「やったね、紅蓮君!」
どちらからともなく、両手を挙げてハイタッチする。
迷宮内にある試練はこれですべてクリアできたのだ。
僕達は、これで迷宮から出られるはずだった。
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