第8話 たった一つの励ましの声



 目の前に現れた少女は、リンカと名乗った。

 僕より三つ年上の少女らしい。

 こちらと同じゲーム機を持っているのを見せてもらったので、僕と同じような立場なのだろう。

 自分達以外にも攫われてきた人間がいたなんて。

 知り合い以外の人間を初めて見た。


 彼女はおそらく、僕と同じようにユニットを使って危険を回避し、ここまで辿り着いたのだろう。


 話を聞いていくと彼女も蜃気楼に呑まれ、この迷宮に連れてこられた様だった。




 通路の隅、白い部屋の前で、紅蓮達は二人並んで話をする。

 僕が狼狽して混乱してるから、とリンカが座らせて冷静になれるまで話をしようという事になったためだ。


 少しだけ落ち着いた僕は、彼女にここに来るまでに至った経緯を話していた。

 しかし、途中で話が脱線。

 なぜか、愚痴になってしまった。


「実加は馬鹿なんだ、うっとおしいけど憎めない奴で。前に落とし物を拾ってやっただけなのに、こっちの事うっとおしく構ってくるし」

「うん」

「他の奴らも頭悪いけど、嫌な奴じゃないんだ。ドッチボールとか……一緒にした事はないけど、アイデア出してやったら喜んでさ」

「うん」


 こちらが先程知った真実は、もうすでに知っているようだった。だけどそれなのに彼女は、すごく落ち着いている様に見えた。とても少し年が離れただけの女の子には思えない。


 僕は愚痴が途切れた合間に、首に巻いているものを見せる。


 存在を示した指にあたたかな温もりが宿った。


「このマフラー、実加のなんだ。あいつの落し物がこれだった」

「そっか」


 リンカは、何と言うか年上だった。

 おだやかな雰囲気で、話す声も柔らかくて、傍にいるだけで不思議と心が落ち着いてくるような、そんな少女だった。今までに接した事のないタイプである。こういうのは希少生物、と言うのだろうか。

 

 数分もすると、そんな風に下らない事を考えられるくらいの余裕が出てきた。

 そうでもしないと、進めそうになかったから、無理矢理出した分もあるだろうけど。


 何にせよリンカのおかげだろう。


 もう大丈夫だと、そう示す様に立ち上がって見せると、リンカは満足そうな笑みを浮かべる。


「二人で協力して、ここを出よう。男の子なんだからいつまでも泣いてちゃ駄目だよ」


 そして、そう言ってこちらの手を取って励ましの言葉を掛けてくれる。

 年上ではあるのだが、リンカの手は小さくて細かった。そして肌が白い、あとなんか温かくて柔らかい……。


「……」


 一瞬、変な事を考えそうになったので、慌てて頭の中から振り払う。いや、変な事ってなんだ。


「お前、怪我してるのか?」


 だから、そんなリンカの手の甲に赤い筋が付いている事に気が付いたのは、必然だった。


 彼女は自分の手を見つめて、なんともない顔で言う。


「これ? 大丈夫だよ。ここに来る前に転んで怪我しちゃっただけだから、最初の部屋を出る時にね。これはかさぶたが剥がれちゃっただけみたいだね、平気だよ」


 バンドエードとかがあればいいのだか、生憎とそういう衛生用品みたいなアイテムはここにはないらしかった。現実の方のリアル迷宮では怪我に繋がるような目に遭わなかったから、必要ないのだろう。


 例え危険な目に遭う事になっても、それはおそらく即死のもの。

 手当なんてする必要がないから……。


 この迷宮にあるのはゼロか一。

 生か死の二択しかない。


 少女は怪我の事は本当に気にしてないで、とこちらを安心させるように微笑みかけた。その後彼女は、僕の手を引いてすぐ傍にある扉の方へと向かっていく。


「さぁ、サクッとクリアしてこんな所から脱出しちゃおう」

「リンカは凄いな。僕なんか、すごく情けないし……みっともないのに」


 子供だけど、僕にだって意地はある。

 相手の方が年上とはいえ、女の子に情けない姿を見せてしまった事が恥ずかしい。


 けれど、リンカはこんなおかしな状況に置かれていても、ちっとも堪える様子を見せていない。男として自分の事を情けなく思ってしまうのだが、それと同時に彼女の事を尊敬してしまう。


 すると、彼女は少しだけ照れながら話してくる。


「私は凄くないよ。尊敬する人がね、「強い思いがあれば、きっと最後には何とかなる」……って言ってくれた事があるから、それをすっごく信じてるだけ。私って結構単純だから」

「それでも、凄いと思う」


 泣いて不安がっててもおかしくないはずない。彼女の操ってるユニットだって、知り合い達かもしれないとのに。そんな事実を突きつけられても、前を向いていられる姿が眩しくて仕方がなかった。


「そのゲームの中のユニット、知り合いなんだろ」

「そうだね。でも大丈夫」


 僕は、ユニット達を……クラスメイト達を手にかけてしまったかも知れなくて、それを後悔している。どうやたって、その事実が頭から離れないし、気を抜いたらまた落ち込んでしまいそうなのに。


「紅蓮君、私は許すよ君の事」


 リンカは僕に向かってそれこそが真実であり、正義であり、絶対であるかのように語った。


「君は悪くない。悪いのはこれを仕組んだ悪い人だよ。私は悪くない人を責めないよ」

「……あ、ありがとう」


 言葉がまっすぐに心の中にすいこまれていくようだった。


 乾いた大地に水が流れるように、すっとしみこんでくる。


 正しいとか間違ってるとかは分からない。

 けれど、その一言で僕が救われた事は事実だった。


 久しく人に言ってなかった感謝の言葉を口にした後は、猛烈に気恥ずかしくなった。






 一人の少年が泣いている所を偶然出会った年上の女の子に励ましてもらうという……割と格好良くない場面があった後、紅蓮達の迷宮攻略が再開される。


 リンカは、ああ言ってくれたけど、僕はもう決めていた事がある。


(もう絶対犠牲は出さない……)


 そう、誰かを犠牲にするような進み方はもう封印するべきだ。

 これからはユニット達に頼らない方法で迷宮を進んで行かねばならない。


 胸の中に熱い火を宿して、決して消えないように……忘れないようにと灯し続ける。

 それはいつか、ずっと昔にやったゲームの中で登場人物に教えられた事だった。

 

 何かに迷いそうになった時、心がくじけそうになった時、そういう時は消えない火を胸に灯せばいいのだ、と。

 そうすればきっと。

 心の迷路から抜け出せる日が必ず来ると、そう。教えられたのだ。


 僕はその登場人物が割と好きだった。

 まだゲームにも慣れてなくて、右も左も分からなくて、攻略一つ満足にできなかった頃に出会った人物だが、不思議と心に残ってずっと忘れられなかった。

 

 もし、それに意味があるのなら、力を借りようと思う。

 存在しないはずの仮想の命に助けを借りるなんて、馬鹿げているとしか思えない。以前だったら考えもしなかった。

 けれど、必要だと今ばかりはそう思ったのだ。


 だから、僕は真っ赤に燃える紅蓮の火を己の胸に灯して、固く誓う。


(犠牲は出さない。これからはただの一人も……)


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