第3話 迷宮
……。
人ならたくさん殺してきた。
仮想の世界の中で、ゲームの中で。
血が流れて、流れて、流れ続けた。
名のあるキャラクター、名のないキャラクター、魔物、悪役、仲間、全員、時には一般市民、様々な人間を仮想の命を、それはもう数えるのが馬鹿らしくなるほど、僕の指で刈り取って来た。
でも。
ゲームは好きだった。
けれど。
それ自体は好きでも何でもなかった。
そうしていたのは橘紅蓮として、僕として、そうするしか選択肢がなかったからだ。
……なぜなら、僕はそれ以外に居場所の作り方を知らないから。
互いに必要な事しか喋らない両親達は、僕と会話をする事はない。日常にあるのは情報伝達と言う名の、連絡だけだ。
ごく普通の一般家庭の子供が経験するような、賑やかな居間の空気や、暖かな食卓というものは、空想上の存在だった。
漫画やアニメでよく描かれる一家だんらんなんて、現実にあるものとは思えなかった。
だから、時々……うやらましく思う事があった。
普通の生活を送る事が願いだと、そう自覚する事もあった。
けれど僕は、生みの親である彼等に必要な存在と、認識されているわけではないから……。
だんだんと今の様な環境に、慣れきってしまった。
残酷で、けれど世界全体からみたらひどくありふれていて、つまらない様な事実に。
そんな事実を突き付けられたきっかけは、大した事ではなかった。それは、とてもとても些細な事だった。
形式上に与えられていた毎年の誕生日プレゼント。
その贈り物が祝われるべき主に贈られるのが、ほんの少し遅くなっただけ。
ほんの二、三分ほど、本来の日付より遅れてしまっただけ。
たったそれだけの事だった。
けれど、「たった」「それだけの事」の出来事で、僕は分かってしまったのだ。埋め合わせを事務的に口にする両親の姿、損失を補填する様に、後になって与えられた追加のプレゼント。それらを見て、自分は彼等にとって必要でない存在なのだと。
その出来事が否応なく現実を突きつけてしまった。
欲しかったものは、願った幸せは、永遠に手に入らない。
……と。
それが分かってしまってからは、もう現実世界に意味を見いだせなくなってしまった。
居場所を得る事を諦めて、作る価値などないとそう決めて。仮想世界へ逃避をする。
だって。
一番の願いが叶わない世界に執着する意味などあるのだろうか。
たった一つの命が、他の誰でもない自分の命が必要とされていない世界に、意味などあるのだろうか。
紅蓮は、その問いに対して、
偽物の世界なら、たとえ必要とされてなくっても「本物じゃないから」と言い訳が効く。
全てがまやかしなら、同じくまやかしであるゲームの
そうして、今日も明日も明後日も、手の平に収まる小さな世界に、血の雨を降らしていく。
……。
…………。
目を覚ましたら、見覚えのない部屋にいた。
「ここは……」
ぼんやりとした意識が徐々に覚醒していく。
ゆっくりと身を起こして、記憶をたどった。
どうして知らない場所にいるのか。
何があったらこうなるのか。
思い出さなければならないと、危機感を抱いた意識が記憶を引っ張り出そうとする。
意識を失う前は。
そう。
確か、普通ではなかった。
そうだ、いつもと違う異常な事が起こったのだ。
クラスメイトの実加に話しかけられて、それで蜃気楼が……ああ、そうだ自分達は飲み込まれたのだ、あの得体の知れない何かに。
「実加は……」
そこまで考えて、一緒にいた少女の事に思い至る。
しかし。
いない。
周囲を見回してもそれらしい姿はどこにもなかった。
僕がいるのは白い部屋だ。白い壁に白い床。天井も真っ白。目が痛くなるような光景。
だから、人が隠れるような場所はない。
人影がないというのなら、彼女はここにはいないのだろう。
なら、一体どこに行ってしまったのか。
考えようとしたが、部屋の中にポツンと置かれていた物体に気が付く。
白づくしの無機質な光景の中に、色を添える物はあった。
一つは……、
「ゲーム機?」
僕がいつも持っていたゲーム機とよく似た、小さな機械だった。
そして、もう一つは鮮やかな赤色のマフラー。実加が身に着けていた物だった。
マフラーを拾い上げて、立ち上がる。
温もりはない。
気を失ってから経った時間は数分ではないようだった。
「この部屋にいたのか……?」
けれど、彼女だけ移動したか、それとも移動させられた?
のだろうか。
じっとしてても意味はないので、部屋の中を歩いてみる事にした。
白ばかりの何もない部屋だと思っていたが、保護色で紛れ込みそうになっていた、扉を発見した。
白色のノブを捻ってみるが、扉は開かない。閉じ込められているみたいだった。
他にも何かないかと部屋の中をうろうろするが、それ以外の収穫はなかった。
唯一分かった事と言えば……、
「……寒いな」
暖房などが一切効いてない空間で、冬の寒さが直接体に染みると言う点だ。
悪いと思いつつ、実加のマフラーを拝借して暖を取らせてもらう。
柔らかな毛糸のそれを首に巻き付けると、内側に熱がこもる。徐々に温もりの恩恵が得られるようになって心地よかった。
不快さが減ったからか、少しだけ状況を動かすアテを思い付いた。
この部屋の中にあった品物。僕のゲーム機とよく似た機械を手に取る。
見ると、自分の物と同じように中央に四角い画面があって、両脇には、ボタンがいくつか付いている。側面には電源をつけたり音量を調節するらしいボタンと、スピーカーの穴。
「せめてここから何か手掛かりが得られれば」
祈る様な気持ちで、ゲーム機のボタンを押したりして試していく。
側面にあった最もそれらしいものを操作すると、画面を点灯した。
見慣れたゲーム機の光が画面からもれでて、こちらの目に届いてきた。
映し出された画面には、迷路らしきグラフィックと、文字。
中央に大きな文字で、「delete 迷宮からの脱出」とある。
そして、そのすぐ下に小さな文字で「start」とも……。
そこにあったのは、まるでゲームのスタート画面の様なものだった。
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