第十六話「迷信」

 出勤が一緒でも怪しまれないことは、秘書の特権である。まず疑われることはない。

 もしものときはそれらしい理由をつけられるようにしているし、別の部屋も借りている。社長になってよかったと思う瞬間である。

「今日は射手座が一位だわ。いいことありあそうね」

「占いなんて信じて、相変わらず脳内がお花畑ね」

「いいじゃない、別に。好きなんだもの」

 そういっているうちに秘書の佳代子は、朝食を並べた。イングリッシュマフィンにサーモンとアボカド、卵が乗ったそれは、カフェそのものだった。ミネストローネもつけられて、彼女の料理上手さを物語っている。

 添えられたサラダにフォークを刺すと彼女も正面に座って食べ始めた。

 まだ部屋着の彼女に飽きることなく、特別感を抱く。こんな彼女を知っているのは私だけである。誰に見せるものか。自然と頬が緩む。

 付き合い始めの頃は別々に暮らしていたが、出社前に迎えに来ることも多く、同棲を始めた。

 世話焼きで気遣いができて、仕事もできる彼女は、誰よりも居心地が良かった。

 公私混同がはなただしい。分かりきっていてもやめられないのは、恋は盲目に過ぎないからだろうか。


 仕事中の佳代子は、オフィスカジュアルがよく似合う。それは全身コーディネートされており、醸し出す雰囲気も落ち着いて隙きのないキャリアウーマンそのものである。社内でも一目置かれており、それだけで鼻が高い。

 会議を知らせる通知が来た。今日は重要な会議でリモートではできない。準備を整え、会場へと向かった。

 デスクの上には、きらびやかで繊細なパフェやアシェットデセールが並んでいる。どれも老舗の高級感を彷彿とさせている。

 見た目としては悪くない。

 さっそく、試食として参加者に配られる。

 企画担当者の説明を聞きながら、スプーンを突き刺す。壊してはいけない儚さはかき消され、グラスの中で崩れていく。

 口に運ぶと芳醇な香りと爽やかな甘酸っぱさが絶妙にマッチしている。

 味も悪くない。

 ただしこれには、大きな欠点があった。

「パフェとしては合格だけど商品としてはどうかしら」

「そうですね、想定価格にすると利益率が大幅に下がってしまいます。販売価格を上げると平均顧客単価を大幅に上回りそうですね」

 痛いところをつかれたと思ったのだろう。企画担当者の笑顔が曇る。

 おそらく、原価割れは分かりきっていた。それなのに押し通そうとしたのは、前回の企画が押し通した上に成功したからだろう。

 その慢心がこの提案に繋がった。それを見逃すほど私は甘くない。

「想定している価格帯で提供できるものを用意して。何度も押し通せると思わないで」

 試食会議が終わり、社長室へと戻る。タブレットには、さきほどのパフェの企画書が開かれている。

 ボツにするには惜しいものだった。しかし利益が上がらない以上、商品として流通させるわけにはいかない。やはり経営するということは難しい。

「そんなに気に入ったなら、商品化すればよかったじゃない」

「だめよ。企画の度に何度も価格を調整しているようじゃ、成長しない」

「それもそうね」

 そういって、佳代子はコーヒーをデスクの上に置いた。

 試食のあとは、苦いコーヒーと決まっている。口直しというよりも気分転換に近い。

 商品開発の苦悩を知っているからなのか、反対意見は努力を否定しているようで虚しくなる。すべてを肯定したくなるが、それでは会社が成り立たない。

 濃いめのコーヒーは、荒んだ心を消毒してくれているようで欠かせなくなっていた。

 佳代子と付き合うまで、コーヒーは出てこなかったし、頼むこともなかった。

 プライベートと混在した秘書だからこそできる仕事の一つである。

 私達が付き合っていることは、秘密である。それは同性だからという偏見だけでなく、ただ単純に仕事のしやすさから来たものである。

 社内恋愛禁止のルールはないけれど詮索されるのは好きではない。


 入社当時の佳代子は、常務の秘書だった。何人か兼任でいたうちの一人で、第一印象は無難な人だった。

 秘書としての能力は悪くなく、人当たりも過不足ない相応な人だった。興味がわくこともなく、視界の端に止めておくに過ぎなかった。

 今となればそのとき私には専任の秘書がいたし、さして特に困ったこともなかったからかもしれない。

 当時、社長に就任して間もない私は、仕事の忙しさやプレッシャーに晒され、ただただがむしゃらだった。

 とにかく、しっかりと務めなければ。

 代々世襲制のこの会社は、古めかしい文化も残っており、縁故も多さも重圧に拍車をかけていた。

 父親の前社長は、還暦とともに勇退し、会長という名の最後の切り札のような存在となり、業務からは一線を降りた。

 跡継ぎ前提に教育は受けていたものの、実際に行うことは苦難の連続だった。女というだけで苦労したかと思えば、前社長の娘ということだけで贔屓されることもあった。

 そんな日常に嫌気がさした頃、第二秘書がインフルエンザで急遽十日間の療養が決まった。

 第一秘書がいれば、外交的な意味では業務に支障をきたすことはない。しかし大規模なイベントを控えており、通常を上回る仕事量だった。手が足りるはずがない。

 そこで一時的な手伝いのためにと第一秘書に候補者を上げてもらった。その中に佳代子がいた。

 特段、彼女でなければならない理由はない。ただ強いるならば、借りやすかったにほかならない。

「ここの配置だけど入れ替えておいて。あと招待者リストもお願い」

「かしこまりました。招待者リストは、すでに送ってありますので、ご確認ください」

 有無を言わせない優秀さだった。仕事は早く、察しもいい。なにより、ビジネスファーストな部分は、信頼が置けた。予想以上の仕事ぶりに安心感さえも覚えた。

 結局、第二秘書が戻ってきてもイベントが終わるまで、佳代子は社長付だった。

 何度か常務に「戻してほしい」と打診があっても理由をつけて断っていた。

 仕事の上で誰かに固執することはかつてない。それほどまでに佳代子は、私には異質の存在だった。

 このときはまだ恋愛感情はなく、ビジネスパートナーとして信頼を寄せていた。

 

 他の秘書が都合がつかず、急遽、佳代子が同席したときだった。雑誌の取材を受けていた私は、用意された質問に淀むことなく答えていた。

 写真撮影も終え、帰りの社用車の中で、決定的なことが起きた。

「社長、もしかして取材はお嫌いですか?」

「どうしてそう思ったの?」

「いえ、なんとなくいつもより雰囲気が固いように見受けられたので」

「そうね、好きではないわね」

 事実、私はメディア新進出はできればしたくない。それでも老舗企業に初の女社長という謎の不調和は、読者の関心を引くらしい。それならばとブランディング向上のために取材を受けるようにしていた。

 記者の手だれた感性は、自分の本質を見抜かれてしまいそうで、取材の度に気持ちが塞ぐ。

 しかし立場上、表に出さないように心がけていた。周囲の人にもらしてしまえば、おそらく相手にも伝わってしまうだろう。

 次第に孤独になっていく私は、心の拠り所もなくなっていった。

 そんなとき、佳代子に見透かされた。

 興味が引かれないはずがない。

 それから私は、正式に社長付の秘書として佳代子を迎い入れた。

 しばらくは同行することは稀で、会社に残り業務をこなす第三秘書のような立ち位置だった。

 第一秘書に任命したときは、時期的な人事異動と第一秘書の育児休暇に伴ったもので、私欲は含んでいなかった。

 本人はそれでよかったのか分からない。ただ事務的な返答をしただけで「改めてよろしくお願い致します」というだけだった。

 外出先で深夜になり、帰路についた。

 遅くなると分かっていたので、運転手は待たせていなかった。

 タクシーでの帰宅で、ふと隣にいる佳代子に視線を向ける。特に会話する素振りはなく、窓の外を眺める姿は、街灯のせいか憂いでいた。

 その姿に妙な欲情を感じ、言葉をかけた。

「家はどの辺り?」

「そうですね、ここから四十分くらいの場所でしょうか」

「遅くにそんな場所まで帰るなんて、休まらないでしょう。今日は家に泊まるといいわ」

「恐縮ですが、さすがにご迷惑になりますので……」

「大丈夫よ。気にしないで」

 驚愕している佳代子は目を見開いている。素の部分をのぞかせた表情に徐々に惹き込まれていく。

 有無を言わさない態度の私に折れたのか、諦めたようにまた窓の外を眺め始めた。

 部屋に人を招かない私は、それだけで胸が高鳴っている。

 プライベートな空間に佳代子がいる。

 想像するだけで呼吸が苦しくなった。

 早く、家に着いて。

 早く、二人だけにして。


 翌朝、「同じ服で出社するわけにはいかない」と言った佳代子に知らず識らずのうちに服を渡していた。

 それでも「一旦、家に戻る」というので、タクシーを用意して、ロビーまで見送った。

 出社してまもなく出勤してきた佳代子は、見覚えのある服を着ており、思わず頬が緩んだ。

「似合っているわ。あげてよかった」

「恐縮です。でもよかったんですか、このような高価なものをもらってしまって」

「いいのよ、気にしないで」

 下心を隠しつつ、ミーティングが始まった。

 自分が選んだ服を着ている佳代子は、いつも以上に艶めいてみえた。

 脱がせたいと思ってしまった自分の強欲さは、後戻りはできないことを示唆しているようだった。


 第一秘書として板についてきた頃、徐々に口調が柔らかくなっていくのを感じていた。

「これから取材がありますので、こちらのスーツに着替えてください」

「早く終わりそう?」

「さぁ、先方次第なのでなんとも。そろそろ取材嫌い直してくださいよ」

「それでもきちんと対応している私を評価してほしいわ」

「それが社長の勤めです」

 ブラックジョークのように笑いながら話す正論は、返す言葉も思いつかない。

 私に心を開いてくれていることは事実だろう。

 しかし私が抱いている好意と佳代子が感じている想いは別物だろう。

 決して口にすることはないに違いない。社長と秘書という関係は、強靭のようで脆くちぎれやすい。

 私用のスマートフォンを取り出し、検索をする。名前を入力し、画面をタップする。

”二人の相性はばっちり。運命の人かも”

 相性占いなんてどうかしている。一般的に男女で占うことを前提とされているし、占いは都合のいいことしか書いていない。

 分かっているのに占ってしまうのは、もう末期症状が出ている証なのかもしれない。

 用意された純白のスーツに着替え、迎えを待った。


 取材が終わったとき、外は赤く燃えていた。青かったはずの空はかき消され、オフィスを薄暗く陰らせていた。

「どうしてあのとき、止めなかったの?」

「社長ならば、うまく切り返すと思ったので」

「『現在、恋人はいるのでしょうか?』なんて、散々NGにしてきたことでしょう」

「申し訳ございません。ただ少し悪戯心が芽生えてしまいまして」

「どういうこと?」

「プライベートな部分を知りたくなった……ともいうんでしょうか」

「それなら、直接聞けばいいじゃない」

 言葉を口にした佳代子は珍しく視線をそらした。その反応は私欲を優先させたのだと物語っていた。

 鼓動がひとつ、大きく鳴った。

「現在、恋人はいるのでしょうか?」

「恋人にしたい人はいるわ。……目の前に」

 佳代子が俯いていた顔を上げる。今にも泣き出しそうな顔は、幼子のようで思わず抱きしめた。

 そのまま唇を重ねると佳代子の体温が移ったようだった。

 ここがオフィスだと分かっている。まだ勤務中だということも知っている。それなのに理性は衝動的で、抑えることはできない。

 デスクに押し倒しながら、ふと数時間前のことを思い出す。

 佳代子が私の運命の人。そんなことあるのだろうか。

 そう迷いつつも信じてみたくなる。

 たとえそれが一時の優しい嘘だったとしても。

 それを真実に変えていければ、それだけで迷信ではなくなる。佳代子となら、できる気がした。

 夕闇に消えていくオフィスで、佳代子の吐息を聞きながらつぶやいた。

「運命の人にやっと出会えた」


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