第十五話「幼稚」
社長の指標はお金である。それは明確な指標があり利便性に優れているが、ときに短絡的で子供じみているような幼ささえ感じてしまう。
もっと他に見るべきものはあるのではないだろうか。
そうは思っても口にできない私は、もっと子供なのかもしれない。
利益至上主義は、決して悪いことではない。現にこの会社はここ数年で飛躍的な成長をしているし、従業員の待遇も向上している。それに異議を唱える人はいないだろう。
私もその一人で相応の仕事量と給料は受け取っている。結果主義ではあるが、分かりやすい指標は仕事への意欲にも繋がっている。
しかし社長の金銭感覚はときに私には理解できない。
「どうしてこれは、こんなに利益が低いのに続けているの?」
「年々、市場の規模が縮小していまして……」
「それだったら、四半期で利益率が上がらない場合、打ち切るしかないわね」
「もう少し様子を見てもいいのでは……」
「続けたいなら結果を見せて。それ以外、納得しないわ」
また社長は社員を地獄に落とした。一般的に考えて、四半期で利益率を上げることは難しい。
確かに市場規模は縮小しているが、この会社に安定して利益を生んでいることも事実である。
それなのに責任者にあそこまで強く言う必要もない。
ビジネスライクといえば聞こえがいいが、社長の本質はただの守銭奴である。従業員の待遇がよくなっているのは、次の利益を生むための先行投資にしか思っていない。
その社長の本質的な部分は秘書である私とごく限られた一部の人間しか知らない。
「こちらの書類に印鑑とサインをお願いします」
「この古めかしい文化、早くなくならないかしら」
「我社はデジタル化を勧めていますが、やはりなかなかなくならないですね」
契約書にサインを貰うと秘書室へと戻った。そこではみなが忙しなく動いており、他人を気にしている様子はない。
高待遇で福利厚生もしっかりとしたこの会社の離職率は低い。その反面なのか時折、忙しなく働いているさまは、アンドロイドにも思えて人間味を感じないことがある。
相手からも同じように映っているのだろうか。
そう思いつつ、次の業務へと取り掛かった。
この人ももう少し傾向と対策を練ればいいのに。
そうは思っても秘書の手前、口出すことは許されていない。最終的に選ばれた二つの企画の内、どちらが選ばれるかは明白だった。
「同じような内容なら、こちらを採用しましょう」
そう言って社長は、利益の薄い企画を不採用にした。
内容は全く違うものだった。しかし一方はコストが低いが安定した企画で利益は低く、もう一方は前者よりコストは掛かるがハイリターンを見込まれるものだった。
こういったとき、決まって社長は利益が高い後者を選ぶ。それは当初からぶれることはなく、今まで一貫した考えを貫いている。
分かりやすい人。
そう内心では嘲笑してしまう。
ただし尊敬する部分はもちろん大きい。
社内公募する際、公平を期すため、発案者の名前は伏せられている。それは社長自身が”女性だから”という特別扱いを嫌うからである。
従業員に対してもそのような扱いしない。だから社長は慕われる。
社長が珍しく欲しがった案件があった。金額は決して安価なものではなく、またそこまで固執する理由も分からない。ただ子供のように欲しがり、財布の紐が緩んでいるようだった。
相手の言われるがまま条件を変えていき、会社の利益はどんどんと薄れていった。普段ならば絶対に起きないことが起きていた。
もうひと押しで契約ができると思っていた矢先、全てが白紙になった。それは誰が悪いわけではない。ただ最終的な折り合いがつかなかっただけである。
温厚で頭の切れる相手の社長は、確かに迷っていた。金額的にも内容的にも好条件を提示したが、相手が保守的な方法を選んだ結果だった。
こちらも譲歩したが、契約まで持っていくことはできなかった。
もう少しだけ金額を上乗せしていれば望む結果まで持っていけただろう。
最終段階で社長のお金への厳しさが出てしまった。節制といえば聞こえがいいが、本気で欲しいのであればもう少し粘ってもよかったのではないだろうか。
「どうしてそこまで固執していたんですか? 珍しいですよね」
「あそこの社長と仕事をしてみたかったのよ。私の憧れなの」
確かに相手の社長は、悪い噂を聞いたことがない。私も実際に会ってみて興味が湧いたことは事実である。好奇心をかきたてる相手と仕事することは必要なことなのかもしれない。
節約が好きな社長でも唯一お金を使うものがある。それは甘いものである。
ただしそれもコンビニスイーツのような手軽なものでなく、高級感あふれる世間的価値のあるものに限られる。
月に一度、老舗の高級カフェを訪れる。目の前にはフルーツがふんだんに使われ、まるで装飾品かのように美しいパフェが置かれている。記録として写真を撮ると至福のひとときを満喫する。
この店でパフェを食べている社長は、普段見せないような柔和な表情をみせる。部下に厳しい指示を出している姿からは決して想像がつかない。
「本当に好きですよね」
「芸術品を食べているのよ。飽きるはずがないじゃない」
そう微笑む社長は、一口を愛おしそうに運んでいく。
確かにそうなのかもしれない。華美な見た目だけでなく、バランスの取れたパフェは他では味わうことはできないだろう。
価値のある逸品なのだ。たとえそれがフルコースと同じような金額のものだとしても。
庶民の私には理解できない抽象的な概念がそこには込められている。価値を感じながら、私もスプーンを進めていく。社長の秘書をしていてよかったと思える瞬間である。
社長秘書としていくつかの取引先に同行し、いくつもの案件を確認してきた。社長が優先して選ぶのはやはり利益が高いもので、傾向を掴むことは容易だった。
今回も断られるだろう。
利益は薄く、特にメリットのない話だった。そう思いつつも契約書類を社長の元へと持っていった。一瞥した後、先方にアポイントを入れるように指示をされる。
「どうしてそんなに驚いた顔をしているの?」
「いえ、社長は金銭面にシビアな印象があったので」
社長は誇ったような顔で私を見据えた。
「たとえ薄利でもブランディングに必要なら受けるわよ。そんなに子供じゃないわ」
表面上に出さないようにしていたはずなのに隠していた考えは見抜かれていた。
お金で動く社長は幼くも浅はかでもなかった。しっかりとした信念は大人そのものだった。
それ以上に私がいといけない。
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