第十一話「清涼」

 人間には大分して、二種類の人がいる。結果を重要視する考え方と過程を大切にする考え方を持つ人である。

 社長は典型的な前者で、結果のためなら手段を選ばない冷酷さを持っている。それが合わないで辞めていった人もいるが、それが明瞭でいいと慕う人もいる。

 どちらかと言えば、私は後者の考え方である。結果を出すことは大切だが、同時に過程も大切にしたいと思っている。

 しかし辞めようと思ったことは一度もない。それはおそらく社長の仕事スタイルに起因している。

 休日に呼び出されることはなく、有給休暇も取りやすい。なによりも定時で終業できることは、私には合っていた。

 仕事は激務だが相応の報酬は貰っており、きちんと評価されることはやりがいを感じている。

 私が配属される前は人がよく変わる役職だった。それは社内でも有名で、やりたがる人はほとんどいなかった。

 そこになぜか私が抜擢され、今となっては秘書として板に付いてきている。決して社長と馬が合うわけではない。

「これ、あとよろしく」

「承知いたしました」

 書類を渡され、一礼をすると社長は会食へと出かけていった。

 大きく吐息すると書類を眺める。

 先日渡した企画会議の内容には、全てチェックが入れられ、再案を促す捺印がされている。それを私が企画部部長に戻しにいかなければならない。

 こういったとき、社長に対して僅かな憤りを感じる。ねぎらいの言葉一つあってもいいではないかと。

 社長自らが行くことではないと分かっている。それでも各々の長に小言をもらうのは私で、決して社長の耳には届かない。

 他人に興味がない社長と接点のない一般社員では、住む世界が違いすぎる。接点の多い私には、常々伝わってくる。

 手が空いているうちに企画部へと行くと相変わらずサンプルが山積みになっている。そこにはこの書類にも熱心に書かれていたものも含まれていた。

「部長。社長より先日の企画会議の書類を預かってまいりました」

「ありがとう」

 意気揚々と部長がページをめくり始めると表情が陰っていく。同時に怒りを覚えたのか、私を見る。

「一つも企画を通さないとは何を考えているんだ、全く」

「私に言われましても」

「君は秘書だろう。何かできなかったのか」

「そう言われましても決定権は持ち合わせておりませんので」

「……君はすごいな。社長直属は嫌にならないか?」

「勉強させていただいております」

 笑顔を貼り付け、軽く会釈をすると企画部を出た。

 エレベーターを待っていると軽く吐息する。企画部部長の言わんとしていることも理解できる。

 懸命に練り出した案を一つも通さず、ほぼ全てを訂正され再提出を求められれば、誰しも落胆と憤りを感じることだろう。

 やはり言いにくい社長よりも接点のある秘書の私に不平不満が集まってくる。社長直属で働くということは、そういった部分も請け負っている。

 時に嫌気がさすが、それ以上でもそれ以下でもない。私がどうこうできる問題だと誰も考えておらず、どちらが悪いとも思っていない。

 多くの場合、再案の方が遥かに良質なものが上がってくる。だからなのか次に会うときには綺麗さっぱり忘れ去られ、大方笑顔で挨拶される。

 この刹那性は、感情を振り回すには値しない。



 社長がどうしても欲しがっている契約があった。

 こういった場合、私は契約を交わすために多種多様な角度から調査する。相手企業の信念や歴史、人物像や趣向など有利になりそうなことは、ありとあらゆる手段を使って調べ上げる。

 これも秘書業務なのか疑問ではあるが、社長に言われればやるしかない。他部署に任せることもできるが、そういったとき、大概は社内秘で情報公開されているときである。

 社内でも極秘裏で行う場合は、やはり私が請け負うことがほとんどである。

 その際、社長の性癖までも調べる。何もそこまで調べなくてもと思う。別に知りたくはないし、契約のとき役立ったことがない。

 それでも情報不足部分があれば社長に鋭く指摘されてしまう。手段を選ばない社長は、どこまでもあざとく非情である。付け入る隙があれば、そこを徹底的に攻撃し、契約を成立させていく。

 傍らで見ているとこちらまで責められている様に感じてしまうこともある。

 相手の女性社長について調べていると面白いことが判明する。そのことを社長に報告すると想定した通りの指示が降りてくる。

 失敗はできない。だからこそ、慎重に事を進めるため、社員名簿を見ながら人選をする。

 何人か選んだ後、社長が選んだのは、入社して三年目の女子社員だった。

 有名大学のミスコン入賞経験があり、”秀麗”という言葉がよく似合う。しかし営業の経験が不足していることが、唯一の気がかりだった。

 プレゼンテーションや所作、服装まで完璧に整えて、商談へと送り込んだ。

 数日後、不成立の一報が届いた。緊張とざわめきが走る。

 デスクに座っている彼女の顔は能面のように表情がなくなり、思考が停止している。

 失敗は許されなかった。

 冷淡で冷酷で冷血な社長は、切り捨てるように彼女への興味を失った。ただ商談の決裂で減給や解雇はないものの、もう彼女にはチャンスが訪れないことは事実だった。

 これだけお膳立てしたのに次の商談まで繋げられなかった。人選ミスは否めないが、それ以上に喪失したものも大きかった。

「社長、いかがなさいましょう」

「時期を見て、また仕掛ける」

「承知いたしました」

 相変わらず表情は読めない。ただ言えることは、そのジュエリーブランドに固執していることに対しては理由があることだけだった。



 社長の趣味はシックだった。

 いつも上質でシンプルなスーツと小ぶりなアクセサリーを身に着けている。使っている小物も洗練されており、”理想のキャリアウーマン”を体現しているようだった。

 結婚はしておらず、現在は恋人もいない。

 ワーカーホリックで、休日も関係なく仕事をこなしている。稀に休暇を取得するが、長期休暇を取ることはない。

 社長のそばにいて分かったことは、意外とこちらの意見も聞き入れてくれることである。筋立てして話せば納得してくれるし、細かな社員からの要望も取り入れてくれる。

 普段から表情は少ないものの、時折見せる人間らしさは、冷たさよりも温情を感じた。

 決して従業員を物として捉えてるわけではない。福利厚生は整っているし、ミーティングルームやフリースペースは惜しみなく利益を還元している。だからこそ、社員は仕事上、厳しい意見を突きつけられても邁進していく。

 ある日、社長が車を出して欲しいというので、同行したことがある。

 行き先は入り口にドアマンがいるような高級ブランドだった。ダウンライトされた店内にはスーツが優雅に並べられ、奥から品を漂わせた女性が姿を現す。

「ようこそいらっしゃいました。今日は何をお探しですか?」

「ちょっと秘書にスーツをあつらえて欲しいの」

「承知いたしました。奥へどうぞ」

 戸惑いながらされるがままに採寸され、見るだけで分かるほどの美しいシルエットと繊細な生地で織られたスーツを流されるまま試着した。

 自分が普段から愛用している数着のスーツとは、桁が違う。決して普段では手の届かないそれは、背中に冷や汗をかかせ、促されるまま鏡の前に立つ。

 まるで別人のようだった。見慣れているはずの体型も顔も全てが格上になったようで、お洒落という言葉では言い表せられない品をかもし出していた。

 ワンランク上のフォーマル。すべて計算された曲線美と無駄を省いたデザインは、高級感だけではなく華やかささえ付加されている。

 それを見た社長はブラウス数枚とパンプスを用意させると悩むことなく即決し、会計をすませてしまった。

 ウエルカムドリンクを飲みながら、スーツが包み終わることを待っているとき、やっと社長と話すことができた。

「あの、どういうことでしょうか?」

「私の傍らで仕事するのなら、一着くらい上質なスーツが欲しいでしょう。次の商談のとき、着てきなさい」

「心遣い感謝いたします」

 ドリンクを飲み終えた頃、準備ができたと声を掛けられた。ソファから立つと出口まで見送りされ深々とお辞儀をされる。スーツは車に乗るこむまで、手にすることはなかった。

 最後に社長が受け取ると桁が違うスーツは、身分不相応に思いながら、そっと私に渡された。高級ブランドの紙袋は、何もかもが重かった。



 また社長は同業者の企業を買収した。合法的な手段だが、半ば強引な姿勢は敵を作りやすい。

 企業買収して大きくなっていく会社は、傍目から見れば悪者にしかみえない。その驚異は次は自分かもしれないと戦々恐々とする企業すらある。

 もう少しだけ穏便にすませられないかと思いながらも言うことはない。不必要と思えばすぐに切られ、居場所を失う。

 企業買収に反対しようものなら、自分の立場が危うい上に相手企業に肩入れすることになってしまう。

 相当な覚悟と理由がなければ、反対することはない。これもまたビジネスなのである。用意周到に準備を重ね、逃げ場を失くしたそれは、気がついたときには買収以外の選択肢は残っていない。

 毎回、そうである。事細かに相手を調べ上げ、絶妙なタイミングで買収を仕掛け、成功せている。

 非情である。

 買収後は、いらない部分を肉のごとく削ぎ落とし、理想の形にしていく。

 このとき何人の部下が辞めていっただろう。そして何人の人を切っただろう。

 私には理解にも及ばないが、相当の人員が去り、切られていることは事実である。

 どうしてこんなことができるのか。もう少し情けをかけて、友好的な買収はできないのだろうか。

 しかしこれはおままごとではない。分かっている。秘書としてサポートしなければならないことも頭では納得できるが、時に感情が追いついていかない。

 社長の考えが不透明なことに耐えかねて、聞いたことがある。

「どうして社長は、わざと敵を増やすようなやり方をするのですか?」

「別に増やしているつもりはないわ。ただ知らないうちに敵になっているだけ」

「辛くなりませんか?」

「ただ会社に必要か、不要か。重要なのはそこでしょう」

 一貫した態度に冷ややかさを感じる。

 ただそこにあるのは、自分が見ているビジョンだけなのである。

 冷酷と言われようと薄情と思われようとも関係ない。

 ただそこにあるのは、真っ直ぐな感情。

 これをなんと比喩すればいいのだろう。

 薄荷の清涼感が鼻を伝う。

 あぁ、あの方はただ正直なのだ。自分が考えた理想に。

 曲げることのないそれに清々しささえ覚える。

 冷淡で冷酷で冷血で無慈悲であるが、実は誰よりも情熱的なのかもしれない。



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