第十話「潔白」

 社長は女好きだ。綺麗な女性がいれば、積極的に話しかけ、口説き落としてしまう。

 惜しげもなく、高価なプレゼントを渡し、次から次へと渡り歩いていく。

 彼女曰く、浮気ではないらしく、結婚していないことから不倫でもないらしい。

 同時に何人も関係を持っているときもあるが、次第に熱は冷め、また新しい関係を結んでいく。

 まるで映画などで見かけるイタリア人のようだった。常に甘い言葉と共に行動に起こしている。

 社長に問いかけてみると「いいじゃない。綺麗な人に“綺麗“と言って何が悪いの?」と悪びれる様子もない。

 半ば呆れながら社長を眺めつつも“無類の女好き“の部分を除けば、尊敬する部分しか存在しない。

 先を読む力も頭の回転の速さも器量の大きさも出会った人の中で、一番だった。加えて秀麗さも。

 現に業績は伸びているし、ジュエリー業界ではブランディングが確立されていた。そんな人の元で働ける私は幸せ者だと思う。



 社長が珍しく機嫌が悪く、近付くことも躊躇するくらいだった。

 しかし秘書の業務上、無視するわけにもいかない。直接尋ねるわけにもいかず、そっと紅茶を差し出した。

「一息ついたらいかがですか?」

「……それもそうね。ありがとう」

 キーボードを叩いていた手を止める。

 紅茶を一口、口にすると深い吐息を漏らした。

 憂いを帯びた美は、思わず見惚れてしまうほど琴線に触れる。毎日見ている顔なのにどうしてこの人は、時として人の心を動かすのだろう。

「どうかなさいましたか?」

「なんだか悔しくて。私ももっとできたはずなのに」

 そう言って社長は、半年前にオープンしたセレクトショップのホームページを開いた。

 噂ではマーケティング戦略もブランディングも抜けがなく、右肩上がりの売上を維持しているという。同時期に新作を発表しているこちらとしては、動向が気にかかっていた。

 ホームページのインフォメーションでは、新着情報が上がっている。

 そこには新たな試みとして、印象的な極彩色の花をモチーフにした写真家がプロデュースしたカフェメニューとオリジナル商品が販売されることが発表されていた。

 上手だな、と思う。若い世代に受け入れさせてから、さらに人気の高い写真家を使い、話題を尽きさせない貪欲さが垣間見える。

 おそらく、社長は嫉妬している。上昇志向の上に負けず嫌いな性格は、秘書として傍らで感じてきた。

「一度、セレクトショップに行ってみてはいかがでしょう。何か知見が得られるかもしれませんよ」

「スケジュール、調整できる?」

「承知いたしました」

 遠方のそこは、数時間の空き時間だけは往来ができない。

 なんとか早いうちに行きたいと社内会議とアポイントを調整すると二日後に空きを作ることができた。

 それを社長に告げると二つ返事で、現地視察に行くこととなった。

 新幹線とカフェの予約を取ると周辺の名店も調べ上げた。



 当日、予約した時間になるまで周辺の名店で時間を潰すと目的のセレクトショップへと入っていった。

 そこは正に“洗練された上質な空間“が体現されており、唯一無二の世界観だった。

 カフェメニューもさることながら、和洋菓子も雑貨も他にはない斬新さと老舗の歴史が刻まれている。

 社長は落ち着きながらも鋭い観察眼で、店内を隅々まで見回していた。

 自分用のお土産に買った雑貨には、シルバーのリボンにネイビーのロゴが印字され、男女共に受けそうな洗練されたデザインだった。

 それには老舗の新たな船出を感じ、店名はラテン語で『はじまり』を意味する辺り、正にその通りだと納得するほかなかった。



 現地視察を終えた翌日から、社長の女好きは猛威を振るった。

 取引先の受付嬢には「美人だね」とそそのかし、会食ではセレクトショップのお土産を配り回った。

 何人か目にかけている女性にもプレゼントを贈ると新たな女性を口説き始めた。

 仕事終わりには、綺麗な女性と料亭へ出向き、逢瀬を重ねているようだった。

 出張も増え、その度にシルバーのリボンが付いた大量の雑貨は少しずつ減っていった。

 別に社長が考えを持ってやっているなら問題ない。しかし何かの箍が外れてしまったような印象にため息を吐かざるを得ない。

 どうしようかと考えていると噂を嗅ぎつけた企業が新規事業の話を持ちかけてきた。

 社長の女性好きは業界内では有名で、訪れる重役たちはこぞって美人の担当者をつける。

 今回もまた大学のミスコンで優勝していそうな華やかな美人が社長の元を訪れている。

「当社と致しましては、御社に力添えを致したく……」

 堂々と雄弁に話す様は、訓練されているかのようで、隙がない。

 初めて対面している割に緊張は感じ取れず、なんとしても契約を取りたい一心が伝わってくる。

 ただし、スーツのスカートは短くタイトで、シャツは胸元が開いたデザインそしており、社長に取り入ろうと必死さも垣間見える。

 隣で見守りながら、話を聞く。

 柔和な微笑をしながら、プレゼンテーションを聞いていく。

 適宜、質疑を重ねると社長は頷き、約束の時間が過ぎた。

「それでは、社内で検討を重ねた上、連絡させていただきます」

 女性が帰った後、紅茶を淹れると再度資料を見直していた。

 内容としてはよくある話で、女性も社長の好みだった。今後、どう付き合っていくかは社長が決めることだが、聞いていた限りビジョンが甘い。

 読み終えた社長は、紅茶を飲むと空を見上げた。

「この話は社内で検討する内容ではないわ。後日、断る」

「承知いたしました。ただ美人な方でしたね」

「そうね。でも綺麗ではなかったわ」

 そう言って、紅茶に口付けた。

 確かに社長は女好きではあるが、選別はしているようだった。公私混同を気にかけていたが、心配するまでもなかったらしい。

 おそらく社長の“綺麗“は、内面まで含めて表現している。先程の女性には惹かれるものがなかったのだろう。

 軽蔑に似た感情が和らいでいく。

 飲み終えたティーカップを回収すると自分のデスクへと戻った。



 視察から季節が一つ移り変わり、春の芽吹きが感じられる季節になった。

 あれ以来、精力的に仕事へ取り組んでいる社長は、休日返上で働いている。体調を心配するも「大丈夫」の一言で片付けられ、私はただ業務をこなすしかできなかった。

 そんなとき、社長が女性を連れて戻ってきた。

 またか。

 社長は気に入った女性を見つけると社長室へと連れてくる。冷笑しながら迎えると垢抜けた品のある女性は、一礼をした。

 今度はどんな人だろう。

 興味本位で見定めながら、挨拶を交わした。

 女性が告げた務めている社名と名前は、聞き覚えのあるものだった。脳内で検索をかけると衝撃的で、もしかしたら勘違いしているのかもしれないとさえ思えた。

 同席を許可され、隣に座っていると嘘ではないと思い知らされていく。

 社長の手腕を疑いながら、新規プロジェクトの概要を聞いていくと視察へ行ったセレクトショップが脳内に広がった。

 社長は玄関まで女性を送り届けると私に言った。

「面白くなってきたと思わない?」

「一体、繋がりのなかった会社をどうやって口説き落としたのですか?」

「企業秘密」

含み笑いをしながら、早々とプロジェクトチームの選抜をしていた。



 また季節が移ろいだ。

 これから本格的なクリスマス商戦になろうとしている頃、セレクトショップに我が社の限定品が並ぶことが、プレスリリースされた。

 すぐにSNSでは話題になり、期待の声が高まっていく様を目撃した。

「これ、あなたにあげるわ」

「珍しいですね、私に贈り物とは」

「あなた、私のこと女好きだと冷笑しているでしょ?」

「事実、女性の方がお好きだと存じ上げております」

「さすがね、やっぱりあなたを秘書にしてよかった」

 社長が浮かれている。

 女好きだと知って警戒していたが、ついに私まで手が伸びてきたのか。

 光沢のあるゴールドのリボンを解くとネックレスが輝いていた。そこには緑かかったイエロートルマリンがついており、真意を確かめずにはいられない。

「それはサンプル。あなたに似合うと思って、あえて崩さず残しておいたの」

「いただけません」

「ねぇ、どうして受け取ってくれないの?」

 肩の力を抜き、一呼吸置くと言葉を紡いだ。

「私まで社長に落ちてしまっては、仕事にならないでしょう」

 可笑しそうに笑う社長は、返そうとした箱を押し戻す。

「そういう意地っ張りで潔白のところが、誰よりも好き」

 愛おしそうに眺めてくる視線に耐えきれず俯くと社長がソファから立ち上がる。

彼女の行動には常に後ろ暗さは感じられない。伝わってくるものは、何一つ曇りのない真っ直ぐで清い感情だけである。

女好きと揶揄するが、本質は誰よりも潔白で綺麗なのかもしれない。

 忘れかけていた初心が、ふと鮮明に蘇る。

 あぁ、そうだった。だから私はこの人ついて行こうと決めたのだった。

 この人以上に綺麗な人を私は知らない。




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