第五話 まさかの事態

 集合場所の綾津駅までは、楠川駅から約一時間ほどだった。


 改札を出ると人影はまばらで、空きテナントだらけの駅前の建物からは物寂しい雰囲気が漂い出ている。


 世間はクリスマスの賑わいだったにもかかわらず、この界隈にはそれらしい華やかさはないに等しかった。


 だからというわけではなかったものの、ノボルはどことなくイヤな予感がした。


 自分一人しかいないからだ。


 しかも、電車から下りてきた人も見当たらなかった。


 目につくものといえば、タクシーすらいない駅前ロータリーに停車している一台の車ぐらいだろう。


 しかも乗っている二人の男たちは、どういうわけか、まるで軍隊で使用するようなフルフェイスタイプの防臭マスクをつけているようだった。


 さらには、何かが匂う。


 その発生源がどんなものなのかははっきりと分からなかったが、かなりの臭気が漂っている。


 と、ノボルがうらぶれた駅舎の前で鼻をクンクンさせていると、その車が接近してきて止まり、運転席側の窓が開いた。


「お前は、どこから派遣されてきた?」

「いろはスタッフです………」

「他に電車から下りてきたヤツはいなかったのか?」

「はい、僕だけでした………」

「チッ! 他の会社には、あとで文句の電話を入れてやる!」


 防臭マスク越しに男の一人が乱雑にそう口にすると、隣の人物が言う。


「一人でも、いないよりはマシだろう。三人分働いてもえらばいい」

「はい」


 どうやら、助手席が上司、運転しているのが部下のようだった。


「現場に案内するからついてこい」


 そして、部下がそう言ったあとで窓を閉めると車が徐行で進み始めたので、ノボルは小走りであとを追いかけた。


 ◇ ◇ ◇


 建築系の資材、あるいは運送関係の荷物か。


 今回の案件の重量物について、ある程度の想定はしてきたつもりだった。


 ところが、予想は見事に外れた。


 運ぶものは糞尿だった。


 しかも、人間の。


 四区で短時間、しかもかなり高めの日給とくれば、どんな状況もあり得ると思ってはいた。


 だが、これはまさかの事態だった。


 こんなことになるとは………。


 実際、三区にもまだ水洗トイレのない地区はいくつもあったが、四区は最貧地区とほとんど同意語でもあったため、下水関連設備がないのが普通でもあった。


 そのため、排泄物を指定場所まで持って行って処理してもらうことが多かった。


 にもかかわらず、各地区を担当する職員の手が追いつかなかったり、そもそも集積所の数が極めて少ないことなどから、人々はそれぞれに置き捨てていくしかなかった。


 どうやら、ここもそんな不法投棄地の一つのようだった。


 そして、いつものごとく、案件メールにそんなことは書かれていなかった。


 具体的に内容を伝えてしまえば、誰も仕事を受けないからだ。


 ワーカー側が現場の場所と報酬で推測する、それが暗黙のルールの一つでもあった。


 ウッ………!?


 ノボルは粘膜に刺さるような汚物の匂いに思わず息を止め、タオルをより強く鼻に押しつけた。


 数分もいれば体中に染みついてしまいそうなほどの臭気だったが、他に用意してきたものは軍手ぐらいしかなかったので、どうすることもできなかった。


 だいたいどの現場にも他社から派遣されてきた人たちがいるのだが、今日は誰もいなかった。


 恐らく、みんな何らかの方法で事前に詳細を知って断ったのだろう。


 だからといって、ここで仕事を投げ出すわけにはいかなかった。


 スッポカシや途中離脱などは一発アウトだった。


 そのワーカーの情報は同業者内で共有されて、二度と仕事につけなくなるのだ。


「おい、手が止まっているぞ! 怠けずに仕事をしろ!」


 部下が拡声器を使って命じてくる。


 かなり離れた地点に車をとめ、まるで監視するように見ながら。


 ノボルは半ば観念して、鼻と口を覆ったタオルを首の後ろで縛った。


 それから支給されたスコップで汚物をすくい、バケツに入れ、一杯になったら大型トラックの荷台に積まれた大きなタンクに流し込む。


 タンクは五つあったので、それが全部満たされるまで作業を延々と繰り返さなければならないのだろう。


 まるで奴隷扱いだ………。


 極力呼吸の回数を減らして作業を続けながらも、ノボルはふと物悲しさを覚えた。

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