第二話 おかげさま………①

 ………ッ、ピピッ、ピピピッ!


 布団から出した手でテーブルの上を探り、スマホやメガネをかき分けて目覚まし時計を止める。


 枕から顔を上げると、デジタル数字で五時十八分の表示。


 カーテンの向こうにはほとんど陽射しの気配もなかったが、また一日が始まってしまう。


 今日の現場は少し遠い場所にあった。


 しかも、仕事内容もかなりキツいはず。


 もう、起きないと………。 


 石渡ノボルは眠い目をこすりながらベッドから下りると、使い古した黒縁メガネをかけた。


 ◇ ◇ ◇


 太香間たかま神社。


 鳥居の上に掲げられている木枠の扁額を見ながら、一度、頭を下げる。


 それから、短い参道の左側を通って拝殿前まで行き、正面をあけたまま二礼したあとで、二回手を合わせる。


 ご利益があるわけでもなければ、有名なパワースポットでもない。


 境内にあるものといえば、ささやかな手水舎と、拝殿を守るようにその左右に立つ二本の檜ぐらい。


 そのうちの一本、右側のものは雷に打たれて裂けており、幹の根元の部分だけが残っている。


 そんなただのこぢんまりとした近所の神社でしかなかったので、訪れる人もほとんど見かけなかった。


 それでも、仕事前に必ず立ち寄って参拝するのが日課だったので、ノボルは今日もまたそうしていた。


 かといって、願いたいことは特にない。


 ほしいものも。


 単純に、朝の清く心地良い空気を感じたいだけなのかも知れない。


 でも、あえて言うなら、何の取り柄もない自分が、どうにか社会の隅でかろうじて生活ができている。


 それはある意味では、何か、もしくは誰かのおかげ。


 だから、なんとなく、こう思う。


 こんな僕を、生かしていただいてありがとうございます―――――。


 そして、最後にゆっくりと一礼をすると、また参道を引き返す。


 その際も、真ん中をあけて左端を通り、石畳の間から顔を出している草花もつぶさないように注意する。


 やがて鳥居まで戻ったノボルは、ふと顔を上げた。


 まだ夜の余韻を残す空に月が浮かんでいた。


 右半分が淡黄色に染まっている。


 どうやら、上弦をわずかに過ぎた頃のようだった。


 あと七日ほどで満月になるだろう。


 そうやって何百年、何千年、何万年と地球の側を回り続け、満ちては欠けてを繰り返している。


 地球上の人間にとって、月は最も身近で馴染みのある天体の一つだった。


 にもかかわらず、いつの頃からか、名称が変わってしまった。

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