ひとりでに歩く人形・第2話

 翌日、霧斗はやはり筋肉痛になってしまった足を引きずってまた寺に続く長い石段を上っていた。

 筋肉痛の足が悲鳴を上げる。昨日と違い、何度か休みながらやっとの思いで霧斗は寺にたどりついた。

「あ、おはようございます」

寺の前では昨日と同じように女の子が箒で掃き掃除をしていた。女の子はやってきた霧斗を見ると驚きながらもやはり警戒心をあらわにした。

「ご住職、今日はいらっしゃいますか?」

霧斗が尋ねると女の子はこくりとうなずいた。

「こっちです」

そう言って案内してくれたのは本堂ではなく、住居のほうだった。

「お父さん!お客さん!」

玄関で女の子が呼ぶと、すぐに眼鏡をかけた作務衣姿の僧侶が出てきた。

「小峯霧斗です。小峰神社の宮司の紹介できました」

「あ、小峰先輩の!私はここの住職の館沢良光といいます。さ、どうぞ中に」

住職は人の良さそうな笑顔で霧斗を中に招いてくれた。

「昨日も来てくださったそうで、申し訳ありません。石段大変だったでしょう?」

「あらかじめ連絡をしていなかった俺が悪いですから」

苦笑した霧斗は居間に案内されると座布団に座った。

「小峰先輩にこんな立派な甥御さんがいたとは。先輩に相談してよかったです」

「俺は話を聞いただけなんで、実物を見てみなとなんとも言えませんが」

「それでも、こうして話を聞いてもらえるだけでありがたいです。私は僧侶ですが、今まで怪奇現象のようなものにあったことがなくて」

そう言って笑う住職に霧斗は納得したようにうなずいた。

 この住職は決して霊感がないわけではない。祓う力が強いのだ。その証拠に今日は青桐が霧斗から離れている。石段を上っている途中で青桐がこれ以上は近づきたくないと言ってきたのだ。穢れを無意識に祓ってしまうから怪奇現象の類いにあったことがなかっただけだろう。ということは、歩く人形は穢れているわけではないということになるのだった。

「ご住職は決して霊感がないわけではないと思いますよ。ただ、俺から見ても穢れを祓う力が特別強いです。無意識に、ご自分の周りの穢れを祓ってしまうから今まで怪奇現象のようなものにあわなかったんだと思います」

「そうなんですか?祓う力。そういえば修行先の寺の住職にそんなことを言われたような気がします。でも自分ではさっぱりわからなくて、気にしたこともありませんでした」

そう言ってにこにこと笑う住職に霧斗は苦笑した。

「では、早速ですが、依頼について聞かせていただいてもいいですか?」

霧斗がそう言うと襖が開いて女性が茶を持ってきてくれた。女の子に面影が似ている女性は住職の妻だと名乗った。

「実は、その人形の元の持ち主は妻の友人なんです。その友人の母親から妻が預かってきたものなんですよ」

「なるほど。その人形はなぜこの寺に持ち込まれたんですか?」

霧斗が尋ねると、住職ではなく妻のほうが人形について話し出した。

「あの人形は私の友人が子どもの出産にあわせて作ったテディベアなんです。妊娠がわかってから作り始めたんですけど、彼女、お裁縫は苦手で、それでも生まれてくる我が子に何か作ってあげたいからって一生懸命作ってました」

住職の妻の友人は悪阻で中断しながらも少しずつ人形を作っていった。そして、妊娠8ヶ月の頃にやっとできあがったのだそうだ。

「綿も入れて、あとはお腹に重さを調整するビーズを入れるだけだったんです。ビーズは子どもが生まれてきた体重と同じにしたいからって、彼女、最後までビーズは入れなかったんです」

「出産のときに何かあったんですか?」

霧斗が尋ねると、住職の妻は悲しそうな顔をしてうなずいた。

「出産時の出血が多くて、友人は亡くなりました。幸い赤ちゃんは無事だったんですが、旦那さんは奥さんを亡くしたショックで生まれたばかりの子どもに向き合うことができなくて、赤ちゃんは友人のご両親が育てているんです。友人がとても大切に作っていた人形だから、ビーズを入れて赤ちゃんにプレゼントしてはと言ったんですが、人形を見るたび娘を思い出して辛いから、寺で供養してほしいと言われて」

住職の妻はそう言うと目頭をハンカチで押さえた。

「なるほど。昨日、ここにきたとき、俺は人の強い思いを感じました。恐らくその人形からだと思います。実物を見せていただけませんか?」

「人形は本堂にあります。本堂にどうぞ」

住職がそう言って立ち上がる。霧斗も住職に続いて居間を出ると、ちょうど女の子と出会った。

「…あの人形、どうするの?」

警戒心はそのままに女の子が尋ねる。霧斗が「どうするかはこれから考えます」と言うと、女の子はキッと父親である住職と霧斗を睨み付けた。

「あんな気味の悪い人形さっさと燃やしちゃえばいいのよ!お父さんもお母さんも変なもの預けられて!」

「こら、佳子!やめなさいい」

住職が咎めると女の子は顔を真っ赤にして走っていってしまった。

「申し訳ありません」

「いえ。でも、何かあったんですか?」

「人形が歩き出したとき、妻の友人の両親や子どもに何かあってはと、何も変わったことがないか尋ねたんです。そのとき人形が歩くことを話してしまって。それを妻の友人の母親が近所で話してしまったようで、噂になりまして。娘は言いませんが、学校で色々と言われるようです」

「なるほど。あれくらいの年齢の子は時として残酷ですからね」

霧斗が納得したように言うと、住職は困ったような顔をしてうなずいた。

「本当は、あの人形は受け継ぐべき赤ちゃんの元に返してあげるのがいいのだとは思うんです。ですが、面倒を見ている赤ちゃんの祖父母がどうしても嫌だとおっしゃって」

そう言いながら住職が本堂の扉を開ける。そこには本尊である阿弥陀如来が鎮座していた。

 霧斗は本尊に一礼してから本堂に入った。そして、住職が普段経を読む場所。その木魚に立て掛けられるようにしてテディベアは座っていた。

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