ひとりでに歩く人形・第3話

 霧斗は本堂に入るとすぐにテディベアに気づいた。木魚に立て掛けられて座っているテディベア。作った住職の妻の友人は裁縫が苦手だったそうだが、確かに目が少し左右対称からずれていたり、鼻が曲がっていたりしており、ビーズが入るように腹の辺りには布に余裕があった。それでも愛嬌のある可愛らしい人形だった。ただ、その可愛らしい人形からは昨日感じたよりも強い人間の念を感じた。

「ご住職、あのテディベア、いつもあそこに?」

「ええ。いつもあそこにおいて朝夕のお勤めを一緒にしています」

「では、あの人形が動けるのはどこまでですか?」

霧斗が尋ねると、住職は今霧斗が立っている板の間から畳に上がった。

「ここです。どうにも板の間までは行けないようで、いつもこの辺りでジタバタしています」

「いつも、ということは何度か見ていたことがあるんですか?」

「ええ。最初は隠れて見ていたんですが、今は時々この辺りに座って見ています」

そう言って住職が板の間との境辺りの畳に立つ。動く人形のそばに座って見ていると言われてさすがの霧斗も驚いた。

「今までこういったことには出会ったことがないとおっしゃってましたよね?怖いとか、気味が悪いとは思わなかったんですか?」

「それは不思議と思いませんでした。必死にどこかへ行こうとする姿がなんだか可哀想で、かといって私ではどうしてやることもできず。だからせめてもと一緒にいたんです」

そう言って合掌する住職に霧斗は尊敬の念を抱いた。自分に害を成すかもしれない、得体の知れないものを前にして、可哀想と言って寄り添える人は多くない。いくら僧侶だからといっても、逃げ出す人は少なくないだろうと思った。

「これが悪いものなら、あなたがそばにいるだけで祓われていたと思います。この人形の中にある人の念に穢れはありません」

霧斗はそう言うと今は大人しく座っている人形の前に膝をついてじっと見つめた。

「人形の中に、妻の友人の魂が入ってしまったのでしょうか?」

心配そうに尋ねる住職に霧斗は首を振った。

「魂そのものではないようです。この人形の中にあるのは魂ではなく念、作り主の強い思いです」

「強い思い…」

「生まれてくる我が子のために一生懸命作ったんですよね?作っているときから子どもへの愛情を抱いて、その思いを込めて作った。だから、この人形には子どもを愛しく思う母親の念が込もっているんです」

住職は霧斗の言葉を聞くと目を閉じてうなずいた。

「この人形の作り主は、結局我が子を抱くことも見ることもできずに亡くなりました。てっきりそれが無念で成仏できず、魂が人形に入ってしまったのかと思っていましたが、魂は無事に成仏できたのですね」

「この人形、子どもに会わせてやるのが一番だと思います」

「私からもう一度この人形の作り主のご両親に話してみましょう」

住職の言葉にうなずいて霧斗は本堂を出た。


「ところで、宿はどちらにお取りですか?」

本堂を出て住居のほうに向かっていると住職に尋ねられる。霧斗が寺から近い老舗の温泉旅館の名を告げると、住職はにっこり笑ってうなずいた。

「なるほど。もしよければうちにお泊まりになりませんかと言おうと思ったんですが、あそこなら料理もお風呂も我が家よりずっといい」

「料理や風呂はともかく、今夜は泊めていただけるとありがたいです」

「…あの人形が動くところを見たいのですか?」

霧斗の思惑に気づいて住職が尋ねると、霧斗は小さくうなずいた。

「実際動くところを見てみたいです。そして、どこに行きたがっているのかも確認したいです」

「わかりました。では今夜は我が家にお泊まりください」

「ありがとうございます。では夕方またお邪魔しますので」

霧斗はそう言って住職に頭を下げると一旦寺をあとにした。


 旅館に戻った霧斗は温泉で潔斎をすませると白い紙と筆ペンを出して札を作り始めた。

「主、何を作っている?いつもの札ではないな?」

寺の石段を降りた頃にそばに戻ってきた青桐が影から姿を現して尋ねる。霧斗は札を作りながら「住職に持たせる力封じの札」と言った。

「住職は無意識に穢れを祓ってる。青桐だって危ないと思ったからそばを離れたんだろう?でも、仕事のときに離れられてると困るし、住職に祓われるともっと困るから、とりあえず住職にこの札を持たせておこうと思って」

そう言う霧斗に青桐は苦々しい表情を浮かべた。

「あの住職。なんであれだけの力を持っていながら見えんのだ?見えれば力の制御もできようものを」

「そういう体質なんだろうな。まあ普通に生活してる分には困らないし」

苦笑しながら言うと、霧斗は出来上がった札を小さく折り畳んで白い紙で包んだ。

「これでよし。でも、前回といい今回といい、子どもや母親に関わることが多いな」

ポツリと呟いた霧斗に青桐はふんと鼻を鳴らした。

「どうした?珍しく感傷的だな?」

「別に。俺の母親はあの人形を作った人のように俺を思ってくれたときもあったのかなって思っただけだよ」

「なんだ、母親が恋しくなったのか」

「だから違うって」

苦笑した霧斗は筆ペンを片付けると軽く背伸びした。

「青桐、俺は少し仮眠をとるけど、お前はどうする?狩りに行ってくるか?」

「いや、いい。主のそばにいよう」

眠ると言う霧斗に青桐はそう言うと影に戻っていった。

 霧斗は布団を敷くとごろりと横になって目を閉じた。

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