ひとりでに歩く人形・第1話

 霧斗は田舎の小高い場所にある寺に向かって石段を上がっていた。

 今回の依頼主はこの寺の住職ではなく、霧斗の叔父だった。この寺の住職と霧斗の伯父が知り合いで、たまたま相談事をされた伯父が霧斗に依頼を持ってきたのだ。

 長い石段を上がりきり霧斗がハアハア言っていると、本堂の前を箒で掃いている女の子と目があった。女の子はまだ中学生か高校生くらいに見えた。髪をひとつに結って眼鏡をかけた女の子は霧斗を見ると驚いたような顔をしていた。

「あの、この寺の人ですか?」

「…ここの住職の娘です」

女の子の言葉に霧斗はホッとした表情を浮かべた。

「小峰神社の宮司の紹介で来た小峯霧斗です。ご住職はいらっしゃいますか?」

霧斗の言葉に女の子の表情がみるみるうちに強張る。女の子は警戒心をあらわに箒をぎゅっと握りしめた。

「父は、町内会の集まりで出掛けてます」

「そうなんですか。何時頃お帰りになりますか?」

「わかりません」

取りつく島もない様子に霧斗は内心困り果てながら今上がってきた石段を見た。

「わかりました。じゃあ、明日また来ます。突然来てすみませんでした。これ、名刺だけでもお渡しいただけますか?」

そう言って霧斗が名刺を差し出すと、女の子は胡散臭そうにしながら名刺を受け取った。霧斗は女の子に会釈すると上がってきたばかりの石段を下り始めた。


「無駄足だったな」

霧斗が石段を下りていると影の中から青桐が笑いながら声をかけてきた。

「なんだか警戒されてたな。っていうか、この石段長すぎ。足が震える」

「主は鍛え方が足りんのだ」

そう言って笑う青桐に霧斗は「帰ったらもっと鍛練する」と宣言した。

「ところで、青桐はあそこに何か感じたか?」

「ふむ。特段妖気の類いは感じなかった。だが…」

「人間の強い念は感じた?」

言葉を切った青桐に霧斗が続きを言う。それは霧斗も感じていたことだった。

 この寺の住職から霧斗の叔父への相談事は夜な夜な歩き回る人形だった。それは供養してほしいと持ち込まれたもので、住職はその人形を本堂におき、朝夕経を読んで供養していたそうだ。だが、そのうち朝本堂に入ると人形の位置が前日と変わっているようになった。本堂は防犯対策のために夜は鍵をかけて家族も入らない。誰かが人形を動かすはずはないのだ。

 それでも毎日人形の位置は変わっていた。だから、住職はある日、夜中に誰もいない本堂を覗いた。すると、あろうことか人形はひとりで立ち上がってふらふらと歩いていたのだ。

 本尊の周りを歩いたかと思うと本堂の扉の方にやってくる。だが、ある一定の場所からそれ以上は行けないようで、また本尊の周りに戻っていく。それを何度も繰り返し、空が白み始める頃になるとパタリと倒れて動かなくなった。

 毎日人形の位置が変わっていたのは本堂から出ようと歩き回っていたためだったのだ。だが、住職は不思議だった。なぜある一定の場所からはそれ以上進めなくなるのか。残念ながら霊感のようなものがほとんどない住職はこういうことに対処したことがなく、寺と神社ではあるが高校の先輩で今でも親交のある霧斗の叔父に相談したというわけだった。

「あれは人の強い思いだ。実物を見てないからなんとも言えないけど、その人形は行きたいところがあるんだろうか」

「死んだ人間の魂が入り込んでいる可能性もあるな」

青桐の言葉に霧斗は静かにうなずいた。

「青桐、入っているのが人間の魂だったら、今回は喰うなよ?」

「わかっている。まだ冥府に行ける魂を喰ったりはせんさ」

青桐はそう言うと影の中に戻っていった。霧斗はまだ半分以上ある階段にため息をつきつつ、筋肉痛を覚悟して足を動かした。


 霧斗が今回の宿にしたのは寺から近い場所に建っている老舗の温泉旅館だった。土曜日ということもあって客が何組かいて忙しそうだったが、さすが老舗旅館だけあって客への対応は丁寧だった。

「ここがお部屋になります」

霧斗が通されたのは部屋は少し狭いが風呂がついている部屋だった。

「ここのお風呂は温泉ではありませんから、温泉に入りたいときは大浴場のほうへどうぞ。お夕食は18時頃お持ちいたしますね」

案内してくれたのはまだ若い仲居で、彼女は一通りの説明を終えると茶をいれてくれた。

「お客さま、おひとりでご旅行ですか?」

「ええまあ。ひとり旅が好きなんです。寺とか神社とかをよくまわるんですよ」

霧斗がにこりと笑って言うと、仲居の女性は「それならあそこがいいですよ」と言ってさっき霧斗が行ってきた寺を教えてくれた。

「石段が長くて上るのは大変なんですけど、あそこにお参りするといいことがあるって言われてるんですよ」

「そうなんですか。早速明日行ってみます」

霧斗が愛想よく笑いながら言うと、仲居の女性は「じゃあ時間になったらお夕食をお持ちしますね」と言って部屋を出ていった。

「いいことがある、ねえ」

ひとりになった霧斗は呟くと熱い茶をゆっくり飲んだ。事前にネットでこの辺りのことを調べたが、特に伝承や心霊スポットのようなものはなかった。妖絡みというよりは、本当に人の念が人形に入り込んだための事象のように思えた。

「とりあえず明日実物を見てみないとな。今日は温泉に入っとくか」

確かこの旅館の温泉の効能に筋肉痛があったはず、と思いながら霧斗は久しぶりの旅館を楽しむことにした。

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