泣き続ける赤ん坊・第2話

「大丈夫?顔、怖いわよ?」

病院を出ると百瀬が声をかける。霧斗は「はあ…」と息を吐くと頭をガシガシ掻いた。

「すみません」

「別に。殴りかからなかっただけマシでしょ」

百瀬の言葉に霧斗は苦笑した。怒りが渦巻いて余計なことを言わないように、早くあの場を離れるようにと気が急いて、だいぶ失礼な態度だったと思う。

「あの院長、これに懲りてくれるといいわね」

「懲りなければその身に己の行いに対する返しがあるだけです」

やっと落ち着いた霧斗が答える。百瀬は肩をすくめると時計を見た。

「さて、時間までに準備するものは?」

「そうですね。赤ん坊の人形がほしいです。できれば、リアルなやつ」

「それは私が用意するわ。おもちゃ屋に行けばあるでしょ」

「そうなんですか?」

リアルな人形がおもちゃ屋にあるのかと驚く霧斗に、百瀬はクスクス笑ってうなずいた。

「今の人形ってすごいのよ?まあ、人形のほうは私に任せてちょうだい」

「じゃあお願いします。では、0時頃に裏口で待ち合わせで」

「了解よ」

にこりと笑うと百瀬は手を振って去っていった。


 ひとりになった霧斗はその足で馴染みの寺に向かった。幸いそれほど離れてはいない。歩いて行こうと霧斗は歩きだした。

 寺は住宅地の中に静かに建っていた。門前で一礼して中に入る。本堂に人の気配を感じて中に入ると、本尊の前で経をあげる住職がいた。

 住職の邪魔にならないように霧斗は入り口の板張りの上に座った。そのまま軽く目を閉じて経が終わるのを待つ。ほどなくして読経を終えた住職は後ろを振り返るとにこりと笑った。

「久しぶりだね。どうしたんだい?」

「ご無沙汰しています。少々気が滅入る仕事が入りまして、仕事の前にお参りに」

高齢の住職の穏やかな声に霧斗の肩から力が抜ける。住職は穏やかに微笑むと手招きして霧斗を呼んだ。呼ばれた霧斗がそばに行って座ると、住職は霧斗の手をそっと握った。

「あなたが背負えるものは限られている。背負えないものまで無理に背負おうとするのは傲慢というものです」

「傲慢、ですか」

「ええ。できないことをできると言い張ってやることは双方にとって利にはなりません。共倒れしてしまいますよ。自分にできることを精一杯やればいいのです」

住職の言葉に霧斗はほっと息を吐いてうなずいた。

「ありがとうございます。なんだか楽になりました」

「それはよかった。御仏はいつも見ていてくださいます。悔いのないようになさるのがいいでしょう」

「はい。そうします」

不思議と住職と話していると心が軽くなる。霧斗は静かに微笑むと手を合わせた。

「少し、瞑想していってもかまいませんか?」

「もちろんですよ。お好きなだけどうぞ」

にこりと笑う住職に礼を行って、霧斗は本堂の隅に移動した。そのまま胡座をかいて目を閉じる。ゆっくり呼吸を整え意識を集中させた。

 霧斗が目を開けたとき、外はすでに暗くなっていた。

「ずいぶん長い間集中していましたね」

「長くお邪魔してしまってすみません」

自分でもここまで時間が経っていると思わなかった霧斗が苦笑すると、住職は微笑みながら首を振った。

「かまいませんよ。夕餉を一緒にいかがですかな?」

「よろしいのですか?」

「もちろんですとも」

住職の言葉に甘えることにして霧斗は本堂から庫裏に移動する。そこでは弟子である若い僧侶が夕餉の支度をしていた。

「霧斗さん、こんばんは」

時々ふらりとやってくる霧斗と顔馴染みになっている僧侶が気さくに声をかけてくる。霧斗が頭を下げると、住職は本尊に供える膳を持っていった。

「住職に誘っていただいて、夕食をごちそうになります。すみません」

「かまいませんよ。住職も霧斗さんがいらっしゃるのを楽しみにしていますし、私も普段は住職とふたりですから。お客様は大歓迎です」

にこりと笑った僧侶が膳を運ぶのを霧斗も手伝う。3人での食事は特に会話もないが、それでも霧斗にとっては心が穏やかになる時間だった。

「長居をしてすみません。ありがとうございました」

「なんの。またいつでもきてください」

住職はいつも笑顔で見送ってくれる。霧斗は高校まで一緒に過ごした叔父を思い出しながら住職に頭を下げて寺を後にした。


 午前0時に5分前という時間。霧斗は病院の前にやってきた。百瀬はすでにきており、霧斗が会釈すると手を振っていた。

「お待たせしました」

「私が早くきすぎただけよ」

そう言う百瀬の手には赤ん坊くらいの大きさの紙袋があった。

「それ、人形ですか?」

「そうよ。見る?」

「中に入ってから見ます。時間ですから、とりえあず中に行きましょう」

霧斗はそう言うと裏口から病院に入った。警備員に声をかけると特に怪しまれることもなく霊安室に案内される。警備員は案内を終えるとそそくさと戻っていった。

「百瀬さん、人形を見せてください」

「はいはい。これよ」

百瀬が紙袋から取り出した人形はシリコン製のとてもリアルなものだった。

「これ、本当に人形ですか?」

「だから言ったでしょ?今はリアルなのがあるって」

霧斗の反応に百瀬が苦笑する。可愛らしいベビードレスを着た人形は目を閉じており、まるで眠っているようだった。

「依り代にするにはちょうどいいでしょ?」

「そうですね」

霧斗が何をやるつもりか、百瀬は聞かなくても理解していたようだ。理解したうえでなるべくリアルな人形を探してきた。優秀すぎる助手に苦笑しながら霧斗は霊安室の祭壇の前にそっと人形をおいた。

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