百瀬・第2話

 翌日、午後1時50分。霧斗は顔合わせの場所である喫茶店ラビリンスの前にいた。ステンドグラスを嵌め込んだ扉は重厚な作りに見えたが、思ったより軽く扉は開いた。

「いらっしゃいませ」

店に入ると声をかけてきたのは若い女性店員。クラシカルな裾の長いメイド服を着た女性は霧斗を見るとにこりと笑った。

「お客様、おひとりですか?」

「いや、人と待ち合わせなんですが」

「あ、高梨さんという男性のお連れですか?」

高梨が予め言っておいたようで女性がパッと笑う。霧斗がうなずくと、女性は「こちらです」と個室ブースに案内してくれた。

「ご注文が決まりましたらボタンで呼んでくださいね」

「わかりました」

霧斗がうなずくと女性は頭を下げてカウンターに戻っていった。

 個室ブースは廊下側に大きな磨りガラスが嵌めてあり、ある程度中の様子がわかるようになっていた。案内されたブースにはすでに2人の人影が見える。霧斗は軽くノックしてからドアを開けた。

「お待たせしました」

「いえ、時間前です」

霧斗が中に入ると、高梨が立ち上がって一礼する。その隣には長髪の美女が座っていた。

「小峯霧斗です」

「百瀬夏樹よ。今回はよろしくね?」

名乗った霧斗に百瀬が笑顔で手を差し出す。霧斗も小さく微笑んで軽く握手した。

「今回はこっちの尻拭いを任せちゃってごめんなさいね?」

「いえ、そちらにはいつもお世話になってますから」

首を振った霧斗に高梨がメニューを差し出した。

「どうぞ。私たちは注文は済ませましたので」

「ありがとうございます」

メニューを眺めた霧斗はボタンを押して店員を呼ぶとカフェオレとマカロンを注文した。

「甘党なの?」

「仕事のときは糖分がほしいんですよ」

意外そうな顔をして尋ねる百瀬に苦笑しながら答える。先にふたりが注文したものがきたが、高梨はコーヒーだけなのに対して百瀬は結構大きなパフェも頼んでいた。

「これ、ここのおすすめメニューなのよ。ずっと食べたかったの」

「はあ」

満面の笑顔で食べ始める百瀬に霧斗は調子抜けしてしまった。

「百瀬さんはマイペースな方ですが、仕事はしっかりこなしていただけますので」

高梨が取り繕うように言うのがまた面白かった。

「ねえ、あなた、どうして組織を抜けたの?本当に組織に属することが肌に合わなかっただけ?」

もくもくとパフェを食べていた百瀬がいきなり尋ねてくる。その内容に高梨は青くなっていたが、霧斗は驚きながらも小さく笑った。

「そうですね。組織というものは、どうしても組織の利を最優先に考える。それは仕方がないとわかっているけど、俺はそれをしたくなかった、というだけのことです」

「なるほど。言いたいことはなんとなくわかるわ」

霧斗の答えに百瀬は満足そうに笑った。

「資料は見た?何か気になる点は?」

「ひとりだけ、赤ん坊の声を聞いたと報告している人がいました。それが気になりましたね」

「あの病院は産婦人科もあります。夜なら赤ん坊の泣き声が響くのでは?」

「それでも、やはりそこが気にかかりました」

「奇遇ね。私もよ」

首をかしげる高梨とは違い、百瀬も同意を示す。高梨はふたりの術師が気になるという赤ん坊の声について何か追加情報がないかパソコンを開いた。

「たぶん、女性が一緒のほうがいいと思うんで、正直百瀬さんが一緒に行ってくれるならありがたいです」

「あら、嬉しいわ。今回私はあくまであなたのサポート役。好きに使ってちょーだい?」

「贅沢なサポート役ですね。本気でやりあったら、俺なんかより強いでしょうに」

「買いかぶりよ」

百瀬がクスクス笑っていると、高梨がパソコンの画面をふたりに見えるようにした。

「赤ん坊の声についてですが、あの病院、こんな噂があるようです」

そう言って見せた画面に映っていたのはとあるネット掲示板だった。そこには病院の名前は伏せられていたが、場所や特徴などから今回仕事をする病院が、違法な中絶手術を行っていると書いてあった。

 未成年の中絶には保護者の同意が必要だが、同意がなくても手術をしてくれる。中絶可能週数がすぎても中絶できる。そんなことが書いてあった。

「これ、警察は動いてないの?」

「一度だけ調査が入ったようですが、証拠不十分で特に何もなかったようです」

百瀬の問いに高梨が答える。霧斗は掲示板の書き込みを読みながら、安易に妊娠し、安易に中絶を選ぶ女性や、中絶を迫る男性の多さにため息をついた。

「外に生まれていなくても、命は命だというのに」

「本当ね。きちんと弔っていればよかったかもしれないけど、この様子だと弔ってなさそうよね」

「どうしますか?」

険しい表情の霧斗に高梨が尋ねる。霧斗は「予定どおりで」と呟くように言った。

「予定どおり、明日の夕方病院のほうに行きます。まずは場の確認をして、夜を待つことにしますよ」

「わかりました。先方には改めて連絡しておきます。病院の職員の多くは何も知りません。我々のことを知っているのは院長と事務長、あとは警備員だけです」

「わかりました。余計なことは言わないようにします。では、百瀬さん、明日はよろしくお願いします」

霧斗が百瀬に頭を下げると、百瀬はにっこり笑ってうなずいた。

「こちらこそ。明日、病院の前で待ち合わせましょ」

「はい。では俺はこれで失礼します」

そう言って霧斗が立ち上がり、会計伝票を取ろうとすると、先に百瀬の手が伸びて持っていってしまった。

「会計はこっちでやっておくわ。必要経費で落ちるから大丈夫」

「え、でも…」

困ったように霧斗が高梨を見ると、高梨はいつものことなのか諦めた表情をしていた。

「かまいませんよ。一番高いのは百瀬さんのパフェですし」

「じゃあ、ごちそうさまでした」

霧斗は高梨に頭を下げると先に喫茶店を後にした。

「青桐、彼女の匂いは覚えたな?」

雑踏を歩きながら誰にも聞こえないほどの声で呟く。すると、霧斗の耳元で低く笑う声が聞こえた。

「ああ。問題ない。美味そうな女だ」

楽しげな青桐の声に小さく笑って霧斗は帰路についた。

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