百瀬・第1話

「ただいま」

「おかえりなさい」

霧斗がアパートに帰ってきたのは日付が変わる間際だった。電気がついているのはわかっていたが、もしかしたら晴樹は寝ているかもしれないと、静かに玄関を開けて小さく声をかけた霧斗だったが、思いがけずすぐさま返事があったことに驚いた。

「晴樹さん、起きてたんですか?」

「いつもこれくらいの時間なら起きてるでしょ?それに、きりちゃんのことも心配だったし」

リビングから顔を出した晴樹の言葉に霧斗は苦笑した。

「お仕事?」

「はい。いつからかはまだ決めてませんが、もしかしたら数日かかるかもしれません」

「お店のほうは心配しないで。きりちゃんはそっちが本職なんだから。でも、怪我には気をつけてね?」

心配そうに言う晴樹に霧斗は小さく微笑んで「はい」とうなずいた。


 シャワーを浴びて部屋に入った霧斗は高梨から預かってきた資料に目を通した。

 資料の中には病院のパンフレットもあった。入院設備はあるがそれほど大きくはない病院。建っている場所にも特に問題はなさそうだった。

 それから今まで派遣された術師たちの報告書を読む。だが、どの報告書でも気づいたら病院のベッドの上だった、という記述だった。ただ、ひとりだけ、意識を失う前にかすかに赤ん坊の泣き声を聞いたような気がすると書いている術師がいた。その術師は今回派遣された中で唯一女性だった。

「赤ん坊…嫌な感じだな」

霧斗は呟くとため息をついた。

「青桐」

「何用だ?」

呟くように呼ぶとすぐに返事がある。姿を現した青桐に霧斗は「狩りをしてこい」と言った。

「近々仕事が入る。狩りをして腹を満たしてこい」

「わかった」

獰猛な笑みを浮かべた青桐がすうっと闇に溶けるように姿を消す。青桐の気配が去ると、霧斗は机に向かって白い紙を取りだし札を作り始めた。

「向こうからは誰がくるんだろうな。聞いとけばよかった」

護星会から派遣されるのは誰なのか、面倒くさい相手でなければいいと思いながら、霧斗は仕事を始める前の準備に取りかかった。


 霧斗が高梨に連絡したのは翌日だった。可能であれば明後日病院に行きたいという霧斗に高梨は確認したあとで折り返すと言った。

「あ、そういえばそちらからくる術師は誰か聞いてもいいですか?」

電話を切る前、思い出したように尋ねると、高梨は「百瀬夏樹さんです」と言った。

「百瀬さんか。わかりました」

「ご存知なんですか?」

「直接会って話したことはないですが、名前だけは知ってますよ」

霧斗の言葉に高梨は妙に納得してしまった。百瀬は術師としての腕は一流で、失敗したことがないという噂話があるほどだった。本人の容姿も美しく、言い寄る男は数多だが、そういう男は完膚なきまでに叩きのめされているという噂も聞いたことがあった。

「悪い人ではありませんし、実力は保証しますので」

「わかってますよ。百瀬さんとは直接病院で顔を合わせるんですか?」

「ご希望があれば事前に顔合わせの席を設けますが?」

高梨に言われて霧斗は少し考えた。仕事の場で初めて会って反りが合わないでは困る。事前に会ったほうがいいだろうかと思った。

「では事前に会っておこうと思います」

「わかりました。病院へ確認したあと、その報告と会わせて顔合わせの日時をお知らせします」

「よろしくお願いします」

了承して霧斗が電話を切った。カフェのバイトは今日から休みをもらっている。もう少し札を作っておこうかと霧斗はまた机に向かった。


 高梨から折り返しの連絡があったのはそれから数時間後だった。

「病院に確認したところ、明後日で大丈夫だそうです。ただ、仕事は夜間に行ってほしいとのことです。夕方、仕事に入る前に病院長との面会の予定です」

「わかりました。1日で終わるといいですが、そうとは限らないということを先にお伝えしておきます」

「それは先方も仕方ないとおっしゃっています。ただ、これまで失敗続きでしたので、こちらに不信感はお持ちです。申し訳ありません」

謝る高梨に霧斗は「謝る必要はありません」と笑った。

「不信感を持つのは当たり前のことだろうし、かといって護星会の術師に落ち度があったとも限らない。この場合は仕方ないですよ。死人が出なかっただけマシでしょう」

「ありがとうございます。それから、百瀬さんとの顔合わせですが、明日の午後ではいかがでしょうか?場所は護星会の事務所のひとつと思ったのですが、百瀬さんからは喫茶店をご希望です」

「喫茶店?」

「はい。なんでも個室がある最近できたお店だとか」

そう言われて霧斗は思い当たる店があった。喫茶店なのに個室のようなブースがあり、客は周りを気にせずゆっくりできる。面白い店だと晴樹が言っていたのだ。

「そこなら俺も気になってたんで、そこでもかまいませんよ」

「そうですか?では、明日の午後2時に喫茶店ラビリンスで」

「わかりました」

場所と時間をしっかりメモして霧斗は電話を切った。

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