第7話 死を護る神

その刀はリミエールの背中から腹部を貫いた。

刺さっている刀から熱がこもった血液が滴り落ちる。


ひたりひたりと空中から落下していくそれは、頭がおかしくなりそうなほど赤く、脳を焦がされる錯覚に襲われる。


「か──ぁ」


リミエールの唇からも血液は滑らかに滑り落ちる。


「やったか……!?」


天使と言えども腹を貫かれて動けるはずがない。

腹部から広がるその痛みはきっと僕の想像を絶するものだろう。考えるだけでも嫌な気分になる。


空中に留まり、動かないリミエールの前に浮かぶキリを見やる。


「……いえ、まだです」


「え……」


どくん。


リミエールの翡翠の髪が風になびく。

──月光の下に輝いて、白く宝石のような輝きを放つ。


どくん。


血に濡れた唇が動く気配を感じる。

──温かみ籠る息は、闇に白く霧散する。


どくん。どくん。


剣を握る腕がより力強く動く。

──白くきめ細やかな肌は血に濡れて。


天使は翼を大きく広げる。


「死神──。お前だけは絶対に殺す」


冷ややかで、貫くような声が響く。


どくんどくんどくん。


心臓が、五月蝿い──。


刹那。

本当に、ほんの一瞬だった。声も出せないぐらい。


足から地面に崩れ落ちた。いや、足そのものが崩れたと言った方が正しいだろう。


地面に崩れ落ちながら見えた、膝から先はスッパリと切断されていて、いつの間にか右腕も無くなっていた。

やがて体から地面に倒れ、


そして──


「死んで」


後頭部から脳ミソに剣が入る感覚を味わった。


異物が頭をぐちゃぐちゃにして、視界も捻れ、何も考えることができない。

それは有り得ない程の吐き気だった。

しかしそんな事実に思考が追いつかないまま、僕の意識は完全に暗闇に落とされた──。



❖❖❖



「千寿さん!!!」


翡翠の剣で貫かれた千寿さんの頭からは脳髄が飛び出ている。


「あ、あああ……」


キリは闇に落とされる感覚を味わった。

これが絶望だと。そう自覚した。


「あっはは、あっはははは!!」


刀が腹に刺さってなお活動を続け、殺戮を続ける天使のその顔は醜く笑っていた。


その瞬間、世界がピタリと止まった。


これはきっと錯覚だ──。



❖❖❖



そこは深い闇の中──。


体なんてなくて、自分と空間の境界がない。


まるで体が溶けているよう。


僕の体はどこまでもぬるく落ちていく。



❖❖❖



止まる世界の中で、頭の中を1つの記憶がよぎった。


私は1度だけ篠田さんに聞いた事がある。


死神が何故存在するのかと。



❖❖❖



意識をすることは出来て、けれど考えることができない。

頭には大量の情報が流れてきて、だからこそ体で感じる感覚は無になる。


まどろみに落ちる感覚と、胡乱なままの意識で、僕は自分の今を考える。


ただただ暗闇で見つけたのは、一筋の光だった。



❖❖❖



『まず初めにだが、知っている通り天使は人の寿命、つまり命を吸い、それを己の力にする』


『それと反対する精神を持った者がいる。それが死神だ』


『彼らは──』


記憶が脳を走る。


途端、ピタリと止まっていた世界が活動を再開した。


ぐちゃり。ぐちゃり。と、気色の悪い音だけが絶え間なく私の鼓膜に届く。

目の前では、刀を腹に刺されたままのリミエールが何度も何度もその剣で千寿さんの頭を切り刻んでいた。


「やめ──っ」


やめてください。そう叫ぼうとした途端、身体中に痛みが走る。

考えたらそれは当たり前で、私の身体は至る所の肉が引きちぎられていて、出血量も尋常ではないのだ。


彼を守れなかった私が情けなく、とても不甲斐なかった。

彼が死んでしまった。私が殺してしまった。その事実だけが頭の中を反芻する。


やがてリミエールはこちらを向いて、歩み寄ってくる。

その剣は血に塗れ、翡翠の輝きはとうに失い、どす黒く光を奪っている。


リミエールは私の傍に立ち、剣を私の首筋にツッと当てる。


皮膚が切れ、血液が漏れる。


途端、頬に雫が垂れた。

その量もだんだん多くなる。


そして私は大きな声を上げて泣いてしまった。



❖❖❖



暗闇の中に光が差し込む。


そこの奥からは、誰かの泣き声が聞こえた。


透き通るような、少女のような声だった。


その泣き声を何故か美しいと感じてしまった。


今はただ僕に感じれるモノはそれだけ。



「──」


「────」


──、違う。


この声は──



❖❖❖



『彼らは死を司る神などではないんだ』


篠田さんはたしかそう言った。


『彼らはな、

生命の、そしてなんだ』


護る。その言葉の意味がわからなかった。


『だから死神という存在は天使の逆に位置する存在なんだよ』



❖❖❖



違う。


この美しい声は、彼女の声だ。


白くて美しい天使少女


キリ。たしか彼女の名前はそうだった。


未だに脳何に響く声に懐かしさを感じた。


ただ暗い闇の中に温かさを感じる。



❖❖❖



『どちらかと言えば人間の敵は天使だろうね。しかし今までに恐れられてきたのは死神の方だ。その恐怖という感情が彼ら死神自身にも大きな影響を与えたんだ』


『恐怖が、ですか』


『ああ。彼らは元は君たち天使のような美しい姿をしていたそうだ。しかし、人間の恐怖という感情が死神自身の精神を歪めてしまったんだろうな。自分たちを、醜い、残酷、冷徹、畏怖と信じてしまったんだ。その自分自身への極端な思い込みから彼らの姿は今のように黒く、簡単に言ってしまえば醜い姿になってしまったんだ。

天使はその逆で色々な宗教で崇められる存在になっている。だから今までも、そしてこれからも更に美しく、優美になっていくだろうな』



❖❖❖



だんだんと、考える。という行為が出来るようになってきていた。


──、そうだ、僕はリミエールに殺されたんだ。


なら、キリは、キリはどうなっている──



❖❖❖



『そして、逆の位置に存在するということは、案の定、互いに敵対していた。いや、今もしているのか。やはり人間から崇拝されている天使の方が力は圧倒的でな。死神はすぐに殺される。だから今この世界には3人しか死神はいないとされているんだ』


『結局のところ、今は既に死神は殺される為にいる。と言っていいのかもしれんな』


殺される為に存在する。そんな悲しいことがあっていいはずがない。

私はそんな偽善かもしれない気持ちを言葉にせずに胸にとどめた。


『しかし、彼らもを護る神としての力もあるし、能力もある。やるときはやるような存在さ。前にも言ったろう、死神は天使の獲物でもありなんだ。今も生き残っている3人の死神の祖先は、使から生き残れたのだからな』


『つまり、どういうことですか』


『つまりな──』



❖❖❖



僕は何も出来なかった。何も。


彼女をただ見ていただけだ。


一緒にいると決めたのに。



──けど、僕は諦めていない。


負けたのならもう一度戦って勝てばいい。

そう、死んだのならもう一度生きて勝てばいい。


だって僕は──



❖❖❖



『つまりな──』



使ということだ』



❖❖❖



だって僕は──


のだから。



❖❖❖



途端、咆哮が轟いた。

地を揺らし、空気を裂くようなその咆哮は、何故か嫌な気分がしなかった。


ズッ。と、リミエールの後ろで何かが動くのが見えた。

漆黒。その一言だけでその生物を表すことが出来た。


やがてリミエールもその影に気が付き、踵を返してソレを見やる。


やがてその影は、黒い肉と骨で構成された口を開き、


「──キリ、一緒に生きよう──」


優しい声でそう言った。


「はい──」


私もそれに力を振り絞って全力で応えた。



❖❖❖



「リミエール。僕はここでお前を斃す」


「……まだ生きていたのね、早く死んでくれると嬉しいのだけれど──!」


刹那、いやすごく遅く感じられた。

風の刃が僕の目に完全に映った。


それを左に避ける。

そして地面が風の刃に抉られる。


「…なかなかやるのね」


「今はもうお前に負ける気がしない。僕はここで勝たせてもらう。そのために生き返ってきたんだ」


体がすごく軽い。

筋肉が最大限の力を発揮していることが簡単に感じられる。

頭の回転も異常な程に早い。


再び風の刃が迫る。

それを再び避け、足を力強く踏み込みリミエールの背中に回る。


「なっ、」


間抜けな声が聞こえた。

けどもう遅い。


「キリ、少し貸してもらう──っ!」


そして、リミエールの体に刺さっている白刃の刀を抜き取る。


「いったいっ!!」


風の刃がリミエールの周囲を舞う。


後ろに飛び退いて体勢を立て直す。


そこでゆっくりと後ろを見る。

そこにいるのは体中を血に濡れされ、ボロボロになっている天使だ。

キリ。白く、美しい少女。僕は彼女とずっと一緒にいると決めた。これからずっと。

そのために生きるんだ。


「1人にさせてごめん。それから、ありがとう。

次は僕が戦う番だ──」


「……千寿さん…!!」


柔らかく、やはり懐かしい温かみのある声だで、


「頑張ってください──」


笑ってそう言ってくれた。

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