第4話 開幕

「千寿さん、見てください」


「え、何を」


「あなたの体ですよ」


「あ──」


僕の目に映った、僕の体は、死神の体ではなかった。


死ぬ前の洋服を着ていて、腕は少し焦げた肌色に、手のひらは見慣れてきたものと同じだった。

爪も普通の人と同じ。


「すごい!元に戻ってる!」


心から込み上げてきた喜びを抑えられなかった。

それに一緒にキリも喜んでくれた。


「でも、なんで……」


「……千寿さん、私はね、天使なんです──」


その言葉に声が出なかった。

天使。そう、天使だ。

僕が殺さなければいけない、天使だ。


「私は篠田さんに1度殺されかけました。けれど篠田さんは、私を保護してくれたんです」


「だから私は人に危害を加えませんし、もちろんあなたの味方です。天使だって殺します」


「そっか…わかった」


彼女が天使だからなんだって言うんだ。

彼女は僕を必要としてくれた。

そう、思った。


「今あなたが元の姿に戻れているのは、私があなたの、『死神』という力を、私の『天使』という力で相殺しているからです。つまり──」


「今の千寿さんは普通の人間で、私も同じく普通の人間になっているんです。でもこれはお互いが互いの体に侵入することを深層心理で許しているからこそ出来ることなんです」


その状況は何となく理解ができた。

僕がマイナスだとしたら彼女はプラス。

そのイコールは0なのだ。

つまり、0イコール人間。


「だから千寿さん──」


「うん…」


「これからあなたは私とずっと、一緒にいてください……」


キリは頬を赤らめてそう口にした。

俯いたその顔はよく見えない。


答えは決まっている。

僕自身が彼女を必要としている事にはもうとっくに気づいている。


「もちろん。──キリ。これから僕と一緒にいてくれ」


「ありがとう、ございます──」



◈◈◈



目を刺すような明るい朝日で目が覚めた。


「朝、か……」


まだ覚醒していない脳で周りを見渡す。


「夢じゃ、なかったんだ」


そう、夢ではない。

死神ななった僕。そして天使のキリ。


そして、これから天使を殺す仕事をするということ。


部屋から廊下に出る。

廊下も部屋と同じように木造で床には赤い絨毯が敷かれている。


「あ、千寿さん、おはよう、ございます…」


「あ…お、おはよう!!」


正直気まずい。

お互いそれをわかっているからこそなお気まずい。


そして沈黙が続く。


「…せ、洗面所に案内します」



◈◈◈



冷たい水で顔を洗うと脳が覚醒していく。


「千寿さん、今日から天使狩りの仕事です。初めてで気乗りしないと思いますが、頑張りましょう!」


後ろからキリがそう元気づけてくれる。

キリとはだんだん普通に話せるようになっている。


ふと鏡を見ると、首をぐるりと1周する赤い紋様が描かれていることに気づく。


「なんだこれ」


「あ、それは、契約の証みたいなものです」


「契約って?僕はそんなものした覚えはないんだけど」


「私と千寿さんが今、互いの力を相殺して、普通の人間に戻っている状態を、契約をしている状態だと考えてくれると簡単だと思います」


「なるほど」


理解は簡単だった。

これが、契約の証。か……。



◈◈◈



「やあ起きたかい千寿。おはよう」


「あ、おはようございます篠田さん」


篠田さんはリビングと思われる部屋のソファに座って、煙草を咥えながら新聞を読んでいた。


「おはようキリ、朝食はもう出来ているか?」


「おはようございます篠田さん。朝食はもう出来ています」


キリが広いテーブルの上に、白い皿に載せられたこんがりと焼かれたトーストを置く。


皿にウィンナーと目玉焼き。そしてサラダ。


いかにも朝餉というものだった。


「キリ、僕も手伝うよ」


「あ、ありがとうございます」


2人でテーブルの上に皿を運ぶとすぐに片付く。


「それじゃあ頂くよ、キリ」


篠田さんはいつの間にかソファからテーブルの近くに置かれた椅子に座ってそう口にした。


「はい、どうぞ。千寿さんもどうぞ」


「じゃあ、いただきます」


手を合わせてそう僕も口にする。


トーストを口に運ぶと、サクッと心地よい音が響いた。


「千寿、今日から天使を殺してもらう。いいな?」


ごくりとトーストを飲み込む。


「……はい。できる限り頑張ってみます」


「キリ、千寿に最大限のサポートを頼む。今日から2人はタッグだからな」


「分かりました。私も頑張ります!」



◈◈◈



「今回の天使は神坂駅周辺に出現するとの情報が入った」


神坂駅。それは僕が天使に操られた男に刺されたビル街のすぐ近くにある駅だ。


「今までは手探りと気配で探してきたが、今回は違う。こちらには死神がいるのでな。あちら側から接触してくるだろう」


「そうですね。そう言えばその天使は何に天使なんですか?」


住んでいる。とはどういうことだろう。


「風だ。千寿、天使っていうのはな、それぞれが何かに住んでいるんだ。例えば炎や水とかだな。そいつらは住んでいる物によって攻撃手段が違ってくる。それが奴らな厄介なところだ」


「なるほど。それで、その風っていうのはどんな感じなんですか?」


頭を柔軟に使えばありえないことも把握できるようになる。

もう僕の住んでいる世界は、今までの常識は通用しない。だからこそ今までの価値観は全て捨てて、『ありえないこと』を『ありえること』に変えなくてはならない。


「風は少々手強い。空中に見えない刃を発現させてくる。それはもう人間の五感では感じ取れない。つまり千寿死神キリ天使の力で感じるしかない。意地でもな」


「……」


その時にやっと実感した。

これは殺し合いだ。僕は生きるために殺し、天使は強くなるために殺す。


「大丈夫です千寿さん。私に任せてください!」


「…うん、ありがとう」


キリのその一言で安心することができた。


「戦いは絶対に人目に着いてはいけない。公になると千寿だけではない。キリの命まで危なくなる。だからそれだけは絶対に守ってくれ」


「「わかりました」」


「それでは決行は夜の9時だ。2人とも、心して挑め」



◈◈◈



「寒い──。キリは寒くないのかい?」


12月26日、午後9時過ぎ。

吐く息はいっそう白くなっており、肌を撫でる風は痛いぐらいだ。


「私は大丈夫です。私こう見えても強いですからね!」


頬と鼻を紅く染めながらキリは笑ってそう言う。


「じゃあ頼りにしてるよ」


「任せてください!」


──、

────、


何かが変だ。


何かがおかしい。


まるで世界が静寂に包まれているようだ。


耳に入る音は僕とキリの足音だけ。


やがては声を出すことさえ許されないことのように思えてくる静謐。


「……」


その異変に気づいたのはキリだった。


「おかしいですね。人が全くいません」


そうだ。人が全く居ないのだ。

夜と言えども今はまだ9時。そして駅前。

人は溢れかえるようにいるだろうに、今は全くその気配がない。もとより生気というものが感じられない。


「これは、篠田さんがいた方がよかった雰囲気がしますね……」


篠田さんは自ら天使狩りに赴くということは滅多にしないらしい。主に情報の収集や、キリが討伐出来なかった天使を狩る時などしか動かないらしい。


ふと気になったことがある。


「そう言えば、篠田さんは何者なの?」


そうですね。と呟き、

「篠田さんは世界に4人しかいないホンモノの天使狩りです。その他のことはあまり知りませんが、凄く強いです」


何となく強いっていう予感はしてたけど、やっぱりそうだったのか。


その時、


「──!」


心臓を掴まれるような感覚があった。

緊張とかそんなものではない。心臓を握りつぶされるような強い圧迫。

そして体に降りかかる圧倒的な重圧があった。


「──、結界です」


「け、結界?」


「はい。ここはもう私たちの知っている神坂駅周辺ではあません。私たち以外の第三者が作り上げたもう1つの世界です。こちらの世界に侵入できるのは、その第三者が侵入を許した者、第三者が結界に閉じ込めようとした者、そして、その第三者より圧倒的に力が強い者のみです。」


まるでゲームとかアニメの世界の話しだ。


「そして私達は2つ目に当たります。きっと天使でしょう。完全に先手を取られました」


「じゃあこれってもしかして、結構やばい状況だったり、する──?」


「……はい」


刹那。

地面が爆ぜた。

いや、爆ぜたと言うより抉れたというのか。

コンクリートの地面は大きな爪に引っかかれたようなあとを残している。


「な、なんだなんだ!?」


「千寿さん!天使の攻撃です!私から離れないでください!」


「──来ます!」


咄嗟に僕の腕を掴んで右にはね飛ぶ。

そして僕が立っていた地面は再び抉られた。


──これが篠田さんの言ってた見えない刃。


そしてそれが何度も襲ってきた。

飛んで避けて、飛んで避けて、飛んで避ける。

その繰り返し。

キリがいなかったら僕は何度死んでいただろうか。


その時、頭上に光が見えた。

神々しく、目眩がするような眩しさ。


「──なによ、死神だって言うのに、避けるだけじゃない」


声が聞こえた。


それは翡翠色をした、明らかな天使だった。

髪は綺麗な翡翠色。顔の輪郭はすらっと通っていて白い。背中には大きな白い翼。目は髪と同じく綺麗な翡翠色をしている。しかしその瞳はどこか闇が差している。


「なによ、凄くつまらないじゃない。とっとと死んでちょうだい」


その天使はそう語りかけてくる。

瞳の下には緑の紋章が現れる。


「あれが、天使……」

僕はただただ見つめることしか出来なかった。

しかしそれにキリは、


「──あなたが風に住む天使ですね。枯らせていたただきます!」


と、威勢を示す。

そして僕に向けて小さな声でこう言った。


「千寿さん、契約を解きます。私は天使に、千寿さんは死神に」


わかった、と頷く。


「初仕事、頑張りましょう」


「了解!」


瞬間的に力が入る感覚があった。

そしてキリの背中に風の天使と同じく大きな翼が生える。

僕の体は黒く包まれて、やがて死神になる。


「風の天使!私達はあなたを討伐します──!!」

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