第31話

河井さんが帰った後の部屋に僕じゃない匂いが混ざっていた。

やけに気になった。


初めて人を僕の部屋に入れた。

河井さんの話を聞いた後、僕は一体どんな縁を持っていたのか考え、真っ先に幼馴染みの梅本啓介と吉浦早紀を思い浮かべる。


今頃二人は何をしているだろうかと思いを馳せた。

彼らに僕は今海外で仕事をしていると伝えていた。


ふと昔、オカルト好きな啓介にこの世の中にはセカイの本当の歴史というものを代々語り継いでいる者がいるという都市伝説を聞かされたことを思い出した。

今更になって、もしかしたら啓介がアクツと繋がっているかもしれないと思い始めた。

よく分からないアクツが僕を選ぶよりも、オカルトや超常現象が好きな啓介の方がアクツと相性が合う気がする。


僕がアクツと出遭った神社は啓介の家からそう遠くない。

そう思うと余計にアクツと啓介が繋がっている気がした。

問題解決の糸口はこんなに近くにあったのかと唖然とする。


恐らく彼らは今40歳前後の歳だ。

出世して会社の重役をやっているかもしれないし、個性的な趣味にドハマりして全く別人になっているかもしれない。

高校生姿の僕がどんな風に会って、何を話したらいいのか全く分からない。


下手に本当のことを教えてしまうと記憶を消す羽目になりかねない。

僕のことに気づかないかもしれないし、啓介にアクツや“歴史渡り”についてのギリギリな話題を出すのも難しい。

それでも啓介の実家へ向かうことが僕に新たな変化を巻き起こす気がして、気分は悪くなく、足取りは自然と軽い。


土曜日の朝であり、流石に啓介が実家にいることを期待する。

啓介の実家は神主をやっていて、すぐ隣には比較的大きな神社がある。

ひょっとしたらと思ってその神社に足を運ぶと、啓介はやけにあっさり見つかった。


啓介は神主を次ぐのが嫌で高校時代高専に入って、将来は神主を継がずに工学の道を進むと断言していた。

そんな啓介はこの土曜日の朝、白一色の作務衣を着、薄い緑色の袴をはいて境内の清掃作業や祈祷をしていた。

木々は丁寧に切りそろえられ、神社全体が明るくぬくもりを感じさせ、鳥のさえずりが清々しい気持ちにさせてくれる。


流石にこのまま会うのは啓介を困惑させてしまうだろう。

そう思った僕はオカルトや都市伝説好きな啓介と接触するためのある作戦を思いついた。


非常に頭の悪い作戦だったと思うがこれ以外に思いつかないので仕方ない。

僕は周りの白砂をどかしてくぼみを作り、どさっと大きな音を立ててうつ伏せになり倒れこんだ。


その音は神社内に広がるように響き渡り、後には静寂だけが残る。


幸い近くに人はおらず、啓介が倒れた僕のことを見つけるのに時間はかからないだろう。

案の定、僕のもとへと近づいてくる足音が一つ聞こえる。


「人が倒れてるじゃないか。おい、しっかりしろ。大丈夫なのか?」 


僕は袴姿の男に抱き起される。


「ああ?」 


と僕はひどく間抜けな声を出した。

眠そうな顔でその男を見る。


「なんでこんなところで倒れてたん…………だ?」 


啓介は僕の顔を見るや否や言葉を詰まらせる。

彼の記憶のどこかに僕の顔がヒットしたらしい。


驚いて長い間固まって動かない。


「あの、すみません。ここってどこですか?」 


初々しい声を頑張って出す。


「……うん? ここは八剣神社だけど……。なんか昔の俺の知り合いに似てる気がするな」


「そうですか。僕は今どこかの神社にいるってことか。因みに今日って何月何日ですか?」


「えっと八月の七日かな」 


「えっっ。どういうこと。僕はさっきまで確かに六月の雨の中にに打たれていたはずなのに」


啓介は僕の顔をじっと見つめては唸るように首をひねって考え込んでいる。


「神主さん、ありがとうございます。僕、古久根虎っていうんですけど、なんか周りが急に明るくなって気づいたらここにいました。……迷子みたいかもです」


啓介は【古久根虎】という言葉を聞いて明らかに驚き、動揺していた。


「えっっ。古久根虎?? どういうことだ? 今何歳なの?」


「十七ですけど。どうかしました?」


「じゃあやっぱりそういうことなのか? いやでも……。少し信じがたいけど。俺は梅本啓介っていえば何かわかる?」 


「えええ!!!」 


僕はあからさまに驚いてみた。


少し大げさすぎてわざとじゃないかと疑われないか心配なくらい。

それから啓介をじっと見つめる。


「僕の友達に同じ名前の啓介って人がいるんですけど……。僕と同い年だし、でもなんか神主さんに少し似ている気がしなくもないかも……」 


それを聞くと啓介の目が輝き始める。こいつのオカルト好きは健在なようだった。


ずいぶん身体が大きくなった啓介は力んだ手で僕の肩をぶんぶん揺さぶって存在を確認してくる。

少し痛いくらいだった。


「じゃあやっぱりそういうことだよ。時渡り? タイムスリップ? 詳しい原理は分かんないけど、実際こうやって起きてるわけだし。しゃちにとっては未来に来たんだよ!」


啓介の動揺はいつしか興奮へと変わり、目をギラギラさせている。

僕に話したいこと、聞きたいことがたくさんあるから少し待っていて、と啓介は神職としての朝の日課を行いに急いで戻っていった。


梅本啓介との接触は僕にとってかなりありがたい形になった。


一通りの日課が終わると拝殿の軒の縁側に啓介は来た。

今は神職としての正装をやめ、ラフな格好だ。

高校の頃より十センチは身長が伸びているような気がした。


「じゃあ虎は今、高校二年生なんだな」 


啓介は嬉しそうに尋ねる。


「そうだね。啓介はあれほど家を継ぐのを嫌がっていたのに今は神主やっているのか?」


「まあ色々あったんだよ」 


啓介は少し後ろめたそうに言った。

神主の威厳は今はなかった。


「神主、案外似合ってると思ったけどね。早紀の方は今どうしてるか知ってる?」


「あいつなら結婚して東京行ったよ」 


結構前の話だな、と淡々と付け加えて言う。


「そうなんだ! なら早紀はうまくやってるんだな。僕は啓介が結婚してないことに驚いたよ。僕らの中で一番結婚早そうだなって思ってたから」 


啓介は少しだけ顔をしかめる。


「今の俺を見て虎は正直失望したよな。高専のころの俺の掲げる理想と今の俺が違いすぎててさ。最近は早紀とも、それに大人になっているお前ともろくに連絡とってない。なんか俺だけ人生間違えてどんどん取り残されているみたいで、地元に取り残されてこのまま終わるのかなって思うと怖くてな。タイムスリップしてきたのが虎でよかったよ。もしあの頃の俺自身がだったら、今の俺が遇わせられる顔なんてないから」


神職姿の啓介は明るく清らかで、無邪気そうだった。

しかしいったん職衣を脱いだ彼は、昔を想像できないほどどこか疲れたように生きていて、乾いた笑顔を浮かべるようになっていた。

恐らくそうなってしまうような重要なきっかけが人生のどこかにあったのだろう。


「高専の後の啓介に何があったのか、どんな人生送ってきているのか僕は聞きたいな。そうすればどうして啓介は今こうなったのか分かるかもしれないし」 


僕はおずおずと言った。


「人に話せるほどの話じゃないけどどうしてこうなったかなんて聞かなくても簡単だぞ。普通に社会に挫折したんだよ。俺は高専の後、大学で三年間工学を学び、就職は少し大変だったけどそこそこ有名なところに入った。でもさ、会社も競争社会だったんだよ。会社には使いつぶされるし、上司だって平気で蹴落とそうとしてくる。……まあそのことはまだ何とかなっていた。でも、…………早紀が上場企業のお金持ちのエリートと結婚するってなってな。俺、誰にも言ってなかったけど早紀のことが中学のころから好きだった。それも凄くな。多分虎にも言ってなかったと思う。俺はいつも早紀に伝えたかったけど、そうしなかった。いやできなかった。そのうちすればいいと思っていた。けど大学も、会社だって忙しくなって自分の気持ちを後回しにしてた。それで早紀からの報告を受けたとき、なんか急に色々とどうでもよくなったわけ。会社を辞めて家で引きこもってた。しばらくは酒と睡眠に溺れていたし、親父が神職やめるっていうから俺が引き継いだ」 


そう言ってポケットから煙草を一本取りだすとライターで丁寧に火をつける。


「神職は楽しいよ。毎日、参拝客にお札を書いたり、地域で行事があれば祈祷やお祓いもする。赤ん坊の健康祈願のお祓いや結婚式にだって呼ばれるんだぜ。なんか俺、神職をやっている時だけは、周りに誇れる正しい俺でいられる気がするんだ」 


啓介はどっしりと構えて堂々と言っていたが、その目は楽しそうに笑ってはいなかった。

啓介の周りは悲壮感が漂っているようだった。

煙草を吸っては吐く啓介の息はひどく濁っていた。

それもやがて消え、透明になるが、悲壮感に溶け込むように加わって空気は重みを増す。


「虎は何のために俺に逢いに来たんだ?」

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