第22話
次に僕が学校に登校した日、聞くところによると藤城は河井さんと話し合い、別の脚本でいくことになったらしく、今日がその脚本担当を決める日ということだった。
河井さんは昨日やその前は来ていたらしいのだが、今日は生憎欠席のようだ。
僕たちはなかなか学校では会うことができない。
「古久根、この前河井に何話したの? あいつ急に雰囲気変わってびっくりしたんだけど」
隣の席に座るやいなや、岩屋さんは少し厳しい口調で僕に訊いてくる。
どうやら内心は凄く気になっているようなのが見てとれた。
指摘すると怒られそうなのでしなかったが。
「これといって何か話したわけじゃないけど」
「ふーん」
岩屋さんは僕から視線をさらすと興味なさそうなふりをしている。
「岩屋さんって河井さんのこと嫌いなの?」
「別に。嫌いじゃない。気にくわないだけ」
それどう違うんだろう、とその横顔を見ながら考えていると朝のチャイムが鳴った。
「新しい脚本についてなんだけど、このクラスが他のクラスより遅れているのは間違いない。だけど、劇の発表は八月末で今はまだ六月末。時間はまだたくさんあるし、まだまだ余裕はあると思う。何かの小説を劇風にアレンジするのもいいし、もちろんオリジナルでもいい、誰か脚本を担当してくれないか?」
しかし誰も手を挙げる人はいなかった。
藤城は苦虫をかみつぶしたような顔でクラスを見回す。前回の時もそうだったが、今回は河井さんのものを没にしたのもあって、次作の期待値が上がり、手を挙げるハードルも上がっている。
期末テストも近い中で誰もやろうとしなかった。
だから僕が手を挙げた。
おおーっ、と言う声は瞬く間に、ええーっだの、大丈夫かよ、だのと心配する声に変わる。
河井さん同様に欠席が多い僕がクラスであまり信頼されていないことは少なからず感じていたが、別の人に任せた方がいいんじゃないか、と言う声まで聞こえてきた。僕でもそれは流石に傷つく。
「こんなことを聞くのもあれだけど、脚本を古久根君に任せても大丈夫? 河井さんみたいにはならないでよ?」
僕だけを悪く言われるのは我慢できた。
今まで何十人もの信用を失ってきたのだ。それに脚本を心配する理由も理解できる。
だが、河井さんを引き合いに出してはいけなかったのだ。
それも失敗例で問題児のような扱いは。
僕は後数秒で藤城の胸ぐらを掴みかかっていたことだろう。
僕は自分を抑えようとしなかった。
お前は河井さんの何を知って、そんな口がきけるんだ。
しかも藤城が小馬鹿にしたように笑って言ったのには腹すら立っていた。
「藤城。だったらあんたが書けばいいじゃん。河井も古久根も立候補して、書くって言ってくれてんのにさ。こんな皆の目の前で人を悪く言うもんじゃないね」
岩屋さんの力強い声が教室内で透き通るように響き渡り、ざわついていたクラスがすぐさま静まりかえった。
岩屋さんの鋭い視線を向けられた藤城は少しおびえた目でクラス全体を見渡す。
そして決心と覚悟をごちゃ混ぜにしたような顔をして、脚本は古久根に任せる、と短くきっぱり告げた。
一限の時間が終わり放課になると、岩屋さんの机の周りには女子たちが集まっていて、岩屋さんを囲むようにして喋り合っていた。
岩屋さんの柔らかな笑い声が聞こえてくる。
気になって横を見てみると、どうしようもなく困ったような顔で照れていた。
恐らく女子たちからさっきの態度を褒められているのだと思う。
そんな集団を横目に見ていると、片山は僕の席まで来て、岩屋さんもかっこよかったけど、しゃちにもびっくりしたぞ。まさか脚本立候補するなんてな。と僕の肩を強めに叩いて笑う。
「お前にこんな野望があったなんてな」
「いやいや。片山と同じように毎日のほほんと何も考えずに生きてるよ」
「だよなー、って俺はのほほんとなんて生きてないぞ。……ところで河井とは上手く話しあえたのか?」
「……おかげさまで」
僕が素直に礼を言うと、俺の言ったことは間違ってなかっただろ、と片山は得意げになる。
クラスのためだし、河井さんも少し元気そうになって良かった、と嬉しげでもあった。
昼休憩中に岩屋さんにタイミングを見計らって先ほどのお礼を言ったのだが、別に古久根のために言ったわけじゃないと言われてしまった。
脚本、私も期待してるし、応援してるから頑張れ、とも言われた。
席に戻ろうと背を向けると、あっ、ちょっと待って。と言われ服を掴まれた。
一体何だと思って振り返ると、岩屋さんはさらに僕に近づいてくる。
そして僕の耳元にそっと口を近づけると、今日私がしたことは絶対に河井に言うなよ、と低い声で釘を刺された。
僕は驚いて視線を岩屋さんに向けた。
重なった。
その距離は思った以上にとても近かった。
岩屋さんはえっ、と少しうわずった声を出し、すぐさま怒った目でもう一度強く僕を見つめる。
そしてすぐに視線をそらし、近くの女子の輪の中に入る。
僕にはもう届かない場所へと消えた。
僕は家とは反対方向へ二駅電車に乗る。
ただクラスの机に置かれているだけでもう誰も読まなくなった河井さんの脚本を携えて駅から十五分程の距離を歩く。
そして目的地に着くとインターホンを押す。
三日前の時と同じくらい驚いた顔で河井さんが出てくる。
最近は学校に行けていたんだけど、今日はしゃちと入れ違っちゃったみたいだね。
そう言って彼女は笑顔を見せた。
「今日は学校で何かあった?」
「新しい脚本の担当を決めた」
それを聞いた河井さんは少しだけ悲しそうな顔をした。
しかしそうなることは分かっていたとばかりにすぐさま明るい笑顔を見せて、劇が進んでるみたいで良かったと言った。
「誰になったの?」
「僕」
一瞬、間が開いて、河井さんは驚いて開いた口をパクパクさせる。
言葉通り、言葉を失っているようだった。
何度も大きく深呼吸して息を整えている。
「しゃちって小説書いたりしてたんだ」
「いや、一度も無いよ」
「………………。じゃあなんで?」
素朴に疑問に思っているようだった。
彼女の手は無意識的にせわしく動き、端から見て河井さんの頭上に疑問符が具現化しているくらいの動揺っぷりだった。
自分の中の小悪魔が笑みを浮かべるくらい見ていて少し気持ちが良いものだった。
僕はそんな表情を表には出さず、何も言わずに2冊のノートを河井さんに手渡す。
1冊は河井さんが書いた劇の脚本で、もう1冊は僕が書いたメモ書き。
「僕は小説を書いたことないし、多分書けない。僕が思うにあのクラスで脚本を書けるのは河井だけだと思う。それに河井にはまだ書きたいことがあったんだろ。そういう情熱は僕よりも河井にある。河井がこのままだと絶対心残りになるし、その脚本だって中途半端な形で終わっちゃだめだと思う」
「えっ。何の話?」
河井さんは話の行方が分からない様子で間の抜けた声を出す。
僕は脚本に立候補したときから考えていたことをもう一度だけ精査した。
それから自信を持って言葉にする。
きっと今の真剣な河井さんなら引き受けてくれることを信じて。
「僕は河井が一度書き始めたことを、河井が納得いく形で話を書き上げてほしい。河井の創った彼はこんな物語を歩みたかったのか?」
河井さんは驚き、自分の書いた劇の脚本を見つめる。
「しゃち、変わったこと言うね。…………確かにもし彼に心があって私に物を言えるのなら、絶対私に抗議するだろうね。私だってこんな物語歩みたくないもん」
「じゃあ、なんでこんな物語にしたんだよ」
僕は笑ってつっこむ。
「それは三日前の私に聞いて。小説っていつ書くかでどんなふうに物語に転がっていくのか私にも分からないの。たとえしっかりあらすじを考えてもね。登場人物たちがどうでもいい場面で好き放題しゃべり出して、勝手に動き出すんだもの」
弁解するように小さな声で訴えかけるように言った。
「それだけ会話にレパートリーがあるってことなのか? 僕にはさっぱり分からないけど、それってすごいことだと思うよ。……僕は一応脚本担当になったけど、クラスの脚本は河井が書いてほしい。いや河井がやるべき。絶対その方がいい」
「でも私、一度書いたものの何をどう変えればいいのか」
河井さんは自信なさそうに言う。
「いつ書くかによって物語は変わるって言わなかったか?」
「うっ……。しゃち、そんなに揚げ足とってるといつかは嫌われるよ。何か今日のしゃち、いつもと違う」
「そんな数日の間に変わったりしないよ」
「確かにそうだね。…………最近私は何を書きたいのか分かんなくなっててすぐに手が止まっちゃうんだ。まだ自分のことで手一杯だから」
河井さんは心配そうに言う。
「助けになるかは正直自信が無いんだけど。もう1冊のノート見てみて。僕が河井の脚本を読んで思ったこと、感じたこと、疑問点や改善点を書いてみた。ストーリーについても僕が思っていることを書いた。それに河井がよく話してくれる“私ならこうするのに”みたいなやつも考えてみた。まあ結局書くのは河井だから、僕のを参考にでもしてみて。今の話に納得いってないなら、別の視点で考えるのもありだし、まるっきり書き直してもいいんじゃないかな。僕で良ければ相談に乗るよ。立場で言えば担当編集みたいなところ。実際の担当編集がどんな仕事なのか僕は知らないけどね」
僕は少し照れながら言う。
河井さんはパラパラとノートをめくって、真剣にそこに書かれている文字を目で追っている。
それから僕を尊敬するように、半ば恨めしそうな視線で見つめてくる。
「小説一度も書いたことないって言ってたじゃん」
「小説を一から書くのと、もうあるものの改善点を見つけるのは全然違うから」
「物語を書くって自分の考えや感じ方をそのまま反映してる感覚。なんかしゃちに無断で私の深淵に、それも土足で踏み入れられた気分」
僕のノートを胸の前で大事そうに抱えている。
「どうせ河井もそのノート見て僕の深淵をのぞき込めるだろ。おあいこだって。まあ僕は河井が物語の最後を書き終えるまでは付き合うつもりでいるからさ。脚本引き受けてくれないか?」
僕は真剣味を込めてそう言った。
「……ここまでされたらやるしかないじゃん。本音を言えば劇の脚本に心残りはあった。もやもやしてたし、書き直したいって思ってた。聞いたからね。書き終えるまでは付き合うって。約束だから。いい作品完成させようね。今度は私も自分の脚本の手綱をしっかり握ることにする」
即答だった。
約束って言うのが最後まで付き合う方なのか、いい作品を完成させる方なのか。
河井さんはこれまで僕に見せた笑顔の中で上位に入る程嬉しそうに笑っていたからどっちの意味なのか改めて訊くのは野暮だと思った。
どっちも……、なのかもしれない。
今日も家上がっていく? と訊かれたが、今日は遠慮しとく、と断った。
少し残念そうだったが、こうしちゃいられないとばかりに興奮を抑えきれずどこかうずうずしていた。
二日後にまた来る、と言って別れた。
今は河井さんが一人で考える時間が必要だと思った。
それにそろそろ家の食材が尽きそうなので、買い出しに行かねばならなかった。
帰り道を夕陽が照らす。
夏の気配を覗かせる空に高く積み上がった入道雲を見つけた。
一部を夕陽で夕焼け色に染めているが、広大な空に一際存在感を放つ雄大な乱雲の中に何かを隠しているのではないかと疑いたくなる程の真っ白さは未だに健在だった。
河井さんも普段この道を通って同じことを感じているのだろうか。
しかし彼女は入道雲よりも群青色へと変わり始めている空の局地の方に興味を持つような気がした。
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