第23話

二日後は休日だった。

僕は自分の準備ができ次第、河井さんの家に向かう。


家に着くと河井さんはすぐさま書き直したところまでの脚本を見せてくれた。

読むからちょっと待ってて、と断って読んでみると数行読んだだけなのに、以前のものとは言葉の選び方とか場面転換の仕方がまるっきり変わってすごく良くなっていた。

流石に一日で書き進める量と集中力には限界があって、僕たちは適度に気分転換として場所を変えながら脚本を書き進める。


昼ご飯は二人で近くのファミレスに行った。

僕は普段人混みを避けてファミレスに行かないのだが、二人ならドリンクを頼めばどれだけでもいられることが分かった。

おしゃべりしながらお互いすべきことをこなしていく。

河井さんは書き進め、僕は今まで河井さんが書き上げたところを読んでは軽く修正案を出す。


見ると僕たちの周りには、僕たちと見た目が同年代のグループがいくつもあった。

僕たちは普通の高校生っぽく見えているだろうか。

周りの和やかな談笑に比べて、僕たちだけが凄く必死そうに見えているだろう。

これが普通の高校生なのかは少しシンキングタイムが必要そう。


でも時間はあまりない。

周りの騒音が程よい刺激にもなる。

脚本が完成したら二人でどこかもっと美味しいものを食べに行こうと約束した。


次の週も僕は学校帰りに河井さんと待ち合わせて、脚本を進めることにした。

僕が休んでいた二日の間に河井さんはもの凄い早さで物語を書き進めてくる。

できたところまで早く読んでほしいと言って、ノートを無理矢理にも僕に手渡す。


今週は残念ながらテスト勉強会と同時並行だった。

二人とも授業に出なかった期間がそこそこ長い。

だからすぐさま二人で相談しても解けないような問題が出てきて、思うようにうまく進まなくなってしまう。

結局いつの間にか脚本の方を主に進めることになってしまっていた。

二人でいくつかの役になりきって読み合い、雰囲気の確認もしたりする。

河井さんは書き詰まると、僕たちは場所をカフェに移したりもした。


「脚本完成するまでのお金は僕が持つから好きなやつ頼んでよ」


「なんか本当に作家と担当編集さんみたい。じゃあお言葉に甘えて。二つ頼んでもいい?」


「何個頼んでもいいよ。僕、お金持ちだから」 


僕は余裕を漂わせ、心配をさせないようにする。


「バイトしてるんだよね。片山君から聞いたよ。大変そう」

 

片山のやつめ。

誰にも言うなっていったのに。


僕は宮内庁からお金は自由に使っていいと言われているのだが、正直言って食材と日用品を買う以外の出費はほとんどしていない。

カフェ代なんて塵みたいな額だろう、宮内庁から見れば。


河井さんはチーズケーキやティラミス、フルーツがたくさん盛り付けられたパフェにカフェオレを頼んだ。

一体彼女の体のどこに入るのだろうと見ていたが、そんな心配は不要なようできらきらと顔をほころばせたまま、次々と口の中へと消えていく。

僕は河井さんが書いた脚本を読むのに集中したいので、自分の頼んだアイスコーヒーをストローで少しずつ飲みながら読んでいると、しゃちも少しは食べてみてよ、と河井さんは言って、切り分けたチーズケーキを僕の口に直接入れてきた。

確かに美味しかった。

僕が美味しいと言うと河井さんは、そうでしょ、と自分の口にもそのチーズケーキを運んで幸せそうな表情を浮かべる。


デザートが一通り片づくと、河井さんも脚本の方に取りかかった。

二人で今後の展開を議論するのはとても学生っぽいなと思った。

楽しい時間は過ぎるが早いもので、2時間はすぐに経っていた。

僕同様に、河井さんも誰かとカフェに来たのは初めてで楽しかったと言った。


「カロリーしっかり消費しないと」 


「あんなに食べるからだよ」 


僕が指摘すると、甘い物は無限に入るんだよ、恥ずかしそうに言う。

今日はジョギングで遠回りして帰ろうかなと、身体のストレッチを隣で始めている。

脚本のことよりも二人でお菓子を満喫していた時間の方が長かった気がするが、そこは目をつぶることにする。たまには息抜きだって必要だ。


じゃあまたねと言って、河井さんと別れた。

河井さんのジョギングについて行ってもよかったのだが、とてもじゃないが彼女のペースはついて行けるものじゃなかった。



計六回の会議を終えて、脚本はついに完成した。

期間にして、書き直しを始めてから2週間以上は費やした。


期末テストが全て終わったタイミングで、丁度良かったと言えばそうだし、藤城が立てた今後の計画に支障が出ないぎりぎりのタイミングでもあった。


ちなみに僕たちのテスト結果もギリギリであることは言うまでもない。

流石にやばかったので、一度僕と河井さんは片山にスパルタ勉強会を開いてもらって、何とか赤点は回避できた。

いつの間に七月に入り、梅雨が明け、蝉が鳴き始めたと思えばもうその騒がしさに耳は慣れてしまっている。


藤城は僕が河井さんの改訂版の脚本を持ってきたときはとても驚いていた。

まさか河井さんの脚本のアレンジを持ってくるとは思っていなかったようだった。

まあ僕がアレンジしたわけではないけど。


藤城は疑心暗鬼な表情で1ページずつ読み進めていく。

最後まで読み切った時、これならいけるぞ、と僕を見て言って笑った。


それからの藤城の行動は早かった。

クラス内に脚本のコピーを配り、配役、音響、舞台や大道具など諸々の役割決めをした。


僕はこのタイミングで脚本係を河井さんに譲った。

クラスの前でこの脚本は実は河井さんが書き直したものだということを正直に話すと、藤城は河井さんが脚本担当に戻るのを認めた。

河井さんの強い要望から脚本のコピーには脚本の欄に僕と河井さんの二人の名前が載せてある。

共同作ということになったがほとんど河井さんが書き上げたものだから、僕としては少し気恥ずかしかった。


元脚本担当(担当編集)としての務めを果たした僕は、裏方役をやらなくても良いと言われた。

クラス全員の役割決めは無事に終わる。

僕はお言葉に甘えて何の役にも就かなかった。

たまにしか学校に来ない僕にとってはクラスに負担をかけない最高の形だった。


授業はいったん区切りに入り、クラスは本格的に演劇モードになる。

僕は河井さんの補佐役をしようかと思ったが、今まで以上に、というか本来の自分を取り戻したかのように積極的に指示をし、藤城と連携のとれている河井さんを見ていると、必要ないようだった。

特にやることもないので、たまにクラスにアイスという差し入れを持って行く存在になっていた。

教室の冷房は弱く、アイスだけでクラスメイトの士気の上がりようは凄かったし、僕の落ちていた好感度も一気に上昇した。

所詮好感度なんて食べ物でどうにかなるなんて、高校生は安上がりで良いなと思った。


学校が終わると僕は河井さんの家で、劇の進み具合や変更した方がいい点を話し合う反省会を二人で行った。

正直僕がこの会に参加しても戦力になるとは思わなかったが、一人で考えるのとは全く違うから毎回必ず来て、と強く念を押されてしまった。


「しゃちって、こっちに転校してくる前の学校では付き合ってた子とかいたりしたの?」


今日はいつもより反省会が早く終わって、そのまま日常会話に移行する。前の学校と聞いて、僕は現役だった頃まで記憶を遡る。前の学校というのは僕にとってそういうことだ。


「いたけど長くは続かなかったな。別れ方も最悪な方だと思う」


「へえーーー! 何か意外。しゃちもひどいことするんだね」 


もの凄く興味津々な様子。


「そうそう。こんなひどいやつなんかと別れたんだから、元カノは見る目が合ったよ」


「それ、付き合ってる時点で見る目なくない? じゃあ私も見る目ないってことかな」


「そんなこと僕に聞くなよ、知らないって」 


僕は笑って応えた。


「出た。知らないでごまかせると思っているクズ男だね。女子はそんなに甘くないよ」


「じゃあなんて答えればよかったんだよ」


「そんなこと私に聞かないでよ、恋愛なんて知らないんだし、興味もない」

 

あっ、と言って河井さんは自分でも、知らないって言う言葉が不意に出たことに気づき、笑いをこらえられないでいる。

その顔を見ているとこっちまでつられて笑えてくる。


「私たちのクラスも可愛い子多いよね。私なんてちょっと背が高くて運動しか出来ない人だから、可愛いとかそういうのじゃないし。特に吹奏楽部の山下さんとかしゃちも可愛いと思うでしょ」 


どうなの、どうなのと目をキラキラさせて訊いてくる。


「さあどうだろう。僕、クラスで直接関わったことある人以外はどんな人なのか知らないから。その山下さんのこともよくわかんないな」


「じゃあ私って、結構レアケースってこと?」


「まあそうだね」 


少し嬉しそうな顔をして、河井さんは何かを考え込み始める。


「ふーん。そういえば、私たちの脚本にもロマンティックな場面あるじゃん。あの場面、本当に不自然じゃないかな」 「それって僕たち以外の誰かに聞いてみるしかなくない?」


 知らないよ、っという言葉が自然と口から出そうになるのを必死にこらえて僕は言った。


「じゃあさ。実際に私たちで試しにやってみるっていうのはどう? つい最近、劇の練習の合間の休憩時間にクラスの女子たちから、脚本について聞かれたから私の家でしゃちと二人で考えたってこと言ったら、私たちの関係についてめっちゃ追求されたんだよね。何でも言い合える関係って答えたけど。しゃちはどう思ってる?」


「えっとそうだなあ、学校休みがち仲間。それに何をどう試しにやってみるんだよ」


「なにそれ。そこはしゃちと一緒にしないで」 


ですよね。僕が先生に言われて否定したことを河井さんも否定した。それにしても何でも言い合えるっていう以上に何でも言い合えるけれど僕は何でもは話していない。僕は大人であり高校生に手を出さないと決めているからいいものの、普通の男子高校生ならその言葉は絶対勘違いすると思う。


「だ、か、ら、私たちの脚本にキスシーンあるでしょ。聞くところによると理想のキスの身長差があるって話知ってる? あ、その反応だと知らないね。男子は少し下を向いて、女子は少し上を向くくらいの、具体的には12センチくらいが理想なんだって」


「12センチって単純計算で一人6センチ。結構な角度じゃない?」


僕は少し戦慄して固まる。


「そこは女子がヒールを履くんだと思う。ヒールなんていう歩きにくい靴よく履けるなあって思っちゃうよ。私的にはしゃちとみたいにあんまり身長差ない方が、お互い視線を合わせやすいし、キスとかハグするときもしやすいんじゃないかなって思うな」


「河井、最近恋愛系の小説読んだりした?」 


僕の質問が話題を少しそらすような感じだったからか、河井さんはちょっとだけむっとした表情を見せる。


「そこまで影響されやすいタイプじゃないから。実際演技指導するときに、形だけとは言え、キスの仕方少しでも知ってないと困るかなって思っただけだし」 


口早で少し怒った声。


「キスするふりだけなんだから、そこは演者に頑張ってもらおうでよくない?」


「ちょっと立ち上がって」 


「どういうこと?」 


「いいから」 


僕の提案は却下されたようだ。


しょうがなく僕は彼女に言われるがままに立ち上がる。

彼女も立ち上がって、汚れてもいない膝を軽く払った。

そして僕の方へゆっくり歩いてくる。


その視線は僕の顔の一部に固定されているのが分かる。

彼女は僕の目を見ていない。


もっと下の方。


でも僕を離させまいという気迫があった。

いまいち彼女の感情が読み取れない。


僕はゆっくり後ろに下がるのだが、彼女の部屋ではすぐに壁に行き着く。

逃げることができず正面から彼女に向き合う状態になってしまう。

彼女は歩みを止めず僕に向かってくる。


そのまま彼女の吐息が僕に軽くかかる距離まで近づいた。

僕がもし少し、ほんの体の一部分を動かすだけで僕は、意図せずとも彼女のどこかには触れてしまう。


【ちょっと目をつむって】


彼女の口の動きからその言ったように見えた。

笑っている彼女からは強い決意を感じる。


僕はどうすればいいか分からず呆然としてると彼女は突然、両手を僕の顔の両横に突き出した。

いわゆる壁ドンってやつだ。

僕は驚いて体がびくっと少し震えた。

そんな僕の反応に満足するかのようにやや上目づかいに僕と視線を合わせ、河井さんはにやっと笑う。


「キスされるかと思った?」 


「まさかね。頭突きされるかと思った」


「じゃあしちゃお」


そう言うやいなや、頭突きされた。


うっっ。


流石近距離だけあって僕は額に衝撃が走る。

それは河井さんも同じようで、後ろによろめき、赤くなっている額を両手で押さえていた。


「もっと手加減しろよ」 


「これでも軽くやるつもりだったんだけどな」


二人で今の馬鹿なやりとりを思い出していると笑いがこみ上げてくる。

端から見るととても滑稽に見えるだろうなと思った。

河井さんは額を抑えるのをやめて、今度はお腹を押さえて笑っていた。


僕の顔が傑作だったと言われたので、僕は河井さんのことを石アタマと呼ぶと部屋に転がっていた本を投げつけられた。

本好きにも本を綺麗に保っておきたい派と本の中身だけで外装はそこまで気にしない派がいるようだった。

もちろん彼女は後者。


「そういえば脚本完成したことだし何か美味しいもの食べたりしたいね。まだ私たち二人でお祝いしてなかったじゃん。ぱーっと何かしたいなあ。ぱーーっと」 


「やっぱり焼き肉とか?」


「私、いっつもしゃちに頼ってばかりで悪いから、今回は私が計画立てるね。何にしようかなー。やっぱり食べ歩きかなー。あ、今週の週末は空いてる?」


ちょうど僕のインターバル的に日曜日は大丈夫だったのでその日に決まった。


僕は心のどこかで高校生の彼女とはこれ以上深い関係になるべきではないと感じてはいたが、このまま以前の僕が経験できなかった若々しい波にのまれていたかった。

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