第12話
4月18日(水)
僕が教室に入ると、机の上に恐らく河井さんが係の仕事で配ってくれたのであろう『第一回進路希望調査』と『二者面談の日程』と書かれた二つの紙が置いてあるのに気づいた。
細部を見ると提出期限は今週の金曜日までらしかった。
僕にとっては今日出すしかないゴミ同然のその紙に二者面談の無難な二日おきの日程、そしてこの高校において極めて普通であろう大学名を淡々と書き連ねていく。
「久しぶり。お、第一志望は香崎大学なんだな。志望だけならもっと偏差値高いとこ書いてもいいんじゃないか?」
片山が勝手にのぞき込んできて言った。
「いいんだよこのくらいで」
口を挟まれると思っていなかった僕は少し煩わしそうに言う。
「勉強する前から諦めちゃあだめだぞ。二年までの成績なんて簡単に巻き返せるからのう」
片山は、こほんと一つ咳をして、熟年の高校教師の真似をする。
「片山って楽観主義だよな」
「逆に聞くけど古久根は何を悲観する必要があるんだよ。結果がどう転ぼうとそこから好転させる方法なんていくらでもあるぞ。むしろ悲観してる時間がもったいない」
片山は持っていた今週のジャンプを鞄にしまいながら言った。
「まあ俺だって将来どうしたいかなんて全く決めてないし、俺が正しいって思うことをその都度やっていくんだろうなって感じだ」
パチン。片山が自分の指でならした音が思った以上に響いていた。
それに片山は驚いている。
見ていて面白い挙動不審だった。
「片山は楽観的だな」
「それを言うなら虎はどこか諦観してるというか、達観してるというか」
「勝手に悪意あるキャラ付けをするのはやめていただこうか」
僕は志望校を変えないことにした。
そもそもこの紙には意味がない。
「人は他人のことを完全に理解することは出来ない。ならば限りある情報を元に多少の偏見があったとしても勝手にキャラ付けするしかないだろ」
片山が格好つけて言う。
「じゃあまだ僕のキャラはシークレットにしておいてくれ。片山のキャラ付けはなに一つ真実にかすっていない」
僕の冷たい態度になぜか片山は嬉しそうな顔で笑う。
「手厳しいな。これからじっくり観察させてもらうわ」
決意したような真剣な表情だった。
「そんなこと言って普段ずっと寝てるだろ」
「そうだった」
ホームルームを知らせるチャイムと同時に担任の樅山先生が教室に入ってくる。
教卓の前に立って生徒と向き合う。
生徒をぐるりと見渡し、僕のところで視線を止めると、僕に目を合わせ、なぜかほっとしたような安堵の表情をしたのが僕には分かった。
「前々から伝えていたと思うけど、今日は遠足の班を決めます。あと進路関係の紙は今週中なので忘れないようにね」
ホームルームが終わると、僕は先生の元へ進路資料の提出に行った。
先生は普段から態度がゆったりと落ち着いて、誰が見ても暖かい印象の可愛らしい服を着ている。
化粧もほどほどにきちんと整った身なり。
学校初日に先生は自らの年齢は40歳だと暴露したのだが、近くで見るとよりとても40代には見えないくらい若く、そして綺麗に見えた。
先生は僕の二日おきに書いた『二者面談の日程表』にこの場で軽く目を通した。
流石に怪しまれたかな。正直に書くんじゃなかったかも、と先生を視界に捉えながらも、疑問の視線に捕まる前に向こう側の黒板を凝視していた。
しかし先生はすぐに紙から目を離すと、
「今日のお昼に二者面談できる? 先生、早く古久根君とお話ししたいと思っていたのですよ」
と優しく言った。
別に何かをとがめるような様子は全くなかった。
僕がホームルームの始まる前に急いで書いた意味はなかったようだった。
僕はできますとだけ応えると先生はさらに何かを言いかけたが、その何かを飲み込み、代わりにもう戻っていいよ、と優しく微笑んだ。
班決め前の最後のこの時間に生徒たちは遠足の班を明らかに意識した素振りを見せていた。
友情という高度な心理戦に僕は不参戦だったのだが、先生は僕がそんなちょっとしたイベントに混ざれるよう気を遣っていた。
小さなお世話だなと思った。
僕はそのまま席に着き、なるようになればいいやと思った。
一限を告げるチャイムが鳴り、早速班分けが始まった。
僕はなかなか班を決めることができないでいた。
まあ、当然だろうなと思う。
そもそも僕の存在を知ってはいるものの、会話というか接触をした生徒はごく少数だ。
痛む心のようなモノを僕は持ちあわせてはいない。
片山はどうしているのだろう、と隣を見るともうそこにはいなかった。
ごった返す生徒の群れの中に消え、姿が見つからない。
もう一方の隣である河井さんはこの場においても読書をしていた。
冷静沈着。
しかし少しよく見ていると本を熱心に読んでは、たまに視線を班決めする生徒たちに移し、そしてまた本を熱心に読み始めている.
この繰り返しのようだった。
素直ではないなと思う。
「虎ーー!!」
呼ばれて振り返ると片山が男子二人と女子二人を連れて僕の元にきていた。
「どうせまだ班決まってないだろ?」
「よく分かったな、……じゃあ入れてくれるのか?」
少し癪だったが班が決まっていないのは事実だし、僕のとこまで班員を連れてまで誘い来たことに少し嬉しく思う心もあるらしく素直に答えることにした。
周りを見るとぼちぼち班が出来つつある。
「おうよ。じゃあ俺、氏名記入する用紙をとってくるわ」
そう言って教卓に向かう。
「どうも、初めまして。古久根虎です」
僕と初対面の班員たちの掛け渡し的な片山という存在の不在が気まずい雰囲気が流す前に僕は先手を打った。
僕を皮切りにおのおのが軽く自己紹介をしていく。
それから軽くお互いの部活やら趣味やらの話をした。
「しゃち君」
僕が振り返ると、そこに河井さんが凜と立っていた。
机の上には閉じられた本。
「しゃち君、私も同じ班に混ぜてもらってもいいかな」
少し震えてうわずった声。
同じ班員たちも彼女の存在に気づき、一斉に彼女の方を向いて沈黙する。
僕は河井さんと一瞬視線がぶつかったのだが、すぐに彼女はうつむいてしまった。
「大丈夫だと思うけど。……片山。班員にはまだ余裕あるよな?」
ちょうど教室を向こう側で必要な用紙を手に取ったばかりの片山に向かって話す。
「まあ、一応」
そう言って騒がしい教室の向こうから両腕で大きく丸を作っている。
僕は河井さんに軽く頷き笑顔を見せると、彼女は目に輝きを帯び始め、僕に軽く笑い返した。
「改めまして。河井由奈です。どうぞよろしくお願いします」
僕の隣から一歩後ろに下がったところで班員に向かって自己紹介をする。
……………。
……………。
……………。
……………。
「よろしく、河井ちゃん」
「こちらこそよろしく」
「河井って結構澄んだ声してるよな」
「部活何やってるの?」
一テンポ遅れて、堰を切ったかのように挨拶や質問やらが始まる。
「おい、なんで俺を差し置いて、もう自己紹介を始めちゃってるわけ? しかもいつの間にかさっきまでと雰囲気も違うし」
片山はもどってくるなり男子二人のそれぞれの肩に腕をのせ、不満を一通り発する。
その後はすぐに笑顔を見せて皆を一通り見回すと、それぞれ自分の名前を書いてくれと言って、班の用紙を真ん中に置いた。
班長は片山がすることになった。
僕が思うにこいつは人をまとめるのだけは上手い。
遠足は軽く山登りをした後バーベキューをする日程で、山頂までは自分たちで食材を運ばなければならないらしい。
男子は遠足まで筋トレをすべし、と言う結論に落ち着いて班決めは終わった。
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