第11話
4月15日(日)
久しぶりの休日だったが、いつもと同じように6時に目が覚めてしまう。
僕の家から学校までは歩いて行ける最寄り駅から普通電車で四駅。
どうせなら学校に近いアパートでもよかったのだが、在校生と家の前で鉢合わせてしまうのは都合が悪い。
“歴史渡り”になってからというもの、話も生活も馴染めなくて多くの人と縁を切ってきた。
幼馴染みの啓介と早紀には海外で働いていると伝え、中学高校の奴らとは一切連絡を取らず、馴染みのある土地は自分の痕跡が眼に入るが怖くて足を踏み入れていない。
そのうちの一つにアクツと出会ってしまった場所、そして人生を根本から変えさせられたあの神社があった。
ちょうど今住んでいるところからは電車で一時間程の距離だった。
アクツと会ってから24年。
今彼がどこにいるのか。
もう死んでいるかもしれないが、実際に逢うことが出来れば僕の任務はほぼ終わったも同然である。
どうやって任務の人物を探せばいいのか見当のつかない僕は少ない可能性にかけて、例の神社に行くことにした。
電車に揺られて40分程でなんだか見たことがあるような景色が現れ始める。
しかし見覚えがあったはずの建物は所々変わり、道路が綺麗に舗装されている。
車内の広告でさえも昔とは比べものにならないほど多彩で情報量が多く魅力的だ。
記憶との齟齬を感じた。
外の景色を眺めていると、ふと車窓に反射して映し出されている僕の姿が目に入る。
あの頃から変化はまるでない。
高校生の姿をした僕。僕だけが変わっていなかった。
昔の僕は大人になりたくなかった。
見た目の若さも身長も目線の高さでさえ人の精神年齢や自己意識に関わっているのは明白で、今の僕は大人になりきれていない中途半端で未熟だった。
社会というものを経験して僕は大人になっているはずだったが、ふと目に入る僕の姿が、ただ一人何かに追われることもなくのうのうと過ごしている姿が、未だに僕は外見だけでなく中身まで子供のままなのではないかと時折激しいくらいに苦しい不安に襲われる。
二つある内の新しい方の本殿の前を通り過ぎると比較的最近にも修理をしたらしく、柱に使われている木々からは精気が漏れているような初々しい香りがしていた。
大きな屋根は存在感を示し、周囲にそびえる木々も仰々しく切りそろえられていて清潔感を醸し出している。
鳥居の側には白い花を咲かせたハナミズキが寄り添うようにあって、優しく暖かい空間を作り出す。
僕は人懐っこさすら感じさせる境内を抜け、アクツと逢った古い方の本殿に向かう。
そこは休日なのに閑散としていて、あの頃とまるで変わっていない。
神主は相変わらずこちらの管理に注意が行き届いていないようだった。
平たい屋根を支えるむき出しの柱の一本は大きなひびが入っている。
本殿の前に鎮座する二匹の狛犬は、白砂でじゃれ合う野良猫と同じくらい威厳も緊張感もない。
鬱然な生い茂る木々に囲まれ、ひっそりとした雰囲気が漂う。
かつての僕が好きだった静けさだ。
しかし今では孤独の象徴のようなもの。
そこに謎めいていて、どこか胡散臭く、急に僕に近づいてきて意味の分からないことを一方的に言う男の姿はない。
本殿の腐りかかった縁側に寝転がって、野良猫たちがじゃれ合い立てて踏む白砂の音や時折の満足そうな鳴き声をただ聞いていた。
見上げる春の空に流れる雲が速い。
目の前をどこからか風に乗って運ばれてきた桜の花びらが一枚、ひらひら舞って、僕の額に降りる。
新しい方の本殿にはハナミズキだけでなく、桜の木も生えているのかもしれない。
僕は二度目の高校生をどのように過ごせばいいのだろうか。
たとえ仲の良い友達ができたところでその先はどうだろうか?
いずれ僕に関して疑問を抱き始める時は来るだろう。
僕は一緒になって同じ時の流れを歩むことのできない別次元の人間だ。
僕は彼らを騙している。
彼らの日常にすんなり溶け込むのは精神的に少し辛かった。
僕の正体を知れば、記憶を消さなければならなくなる。
正体を知らなくても彼らと同じ時間を過ごすことはできない。
いずれは彼らの記憶から消えるようなどうでもいい存在ならば、初めから存在しない方がいいだろう。
僕は神社の周囲を当てもなく散策し、頃合いを見て目についたカフェに入った。
結局何の成果もなかった。
こうなるだろうことは予想できていた。
一つのことに熱心になりすぎると突然気持ちが冷めるタイミングが来ることを僕は知っている。
だからこの失敗にだって、“歴史渡り”を知る人物の捜索にだって、高校生活にだって、全力で、気持ちがのめり込むほどに熱くなってはいけない。
頼んだ温かなコーヒーが冷めるまで口をつけずにその表面を見ていると、気分が幾分落ち着いたが、その黒は虚無へと繋がりかねないような漆黒さを兼ね備えているようだった。
突然スマホに着信が入る。
ヤマモトさんからだった。
学校に馴染めたかと訊かれたので、ぼちぼちと言っておいた。
ただ“歴史渡り”の件に進展がないことを伝えると別に焦る必要はないと言われた。
僕の声にいつもの威勢がない、とも言われてしまった。
電車は途中で河川敷を通る。
髪を後ろに束ね、黒を基調としているスポーツウェアを着た女の子が川沿いを走っているのが車窓から見えた。
散歩中の人や犬、下校途中の小学生やゆったりと走る自動車を追い抜いて、彼女は颯爽と走っている。
河川敷の風は少し強そうで彼女は時折、目にかかる髪の毛を払いのける。
彼女の方から電車の中の僕のことを見つけるのは不可能だろう。
逆に僕からも彼女に僕の存在を知らせるすべもない。
夕暮れをバックに水面は反射する。
河川敷を走るのは気持ちよさそうだなと思った。
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