第9話

 

4月12日(木)


少し早く学校に着く。


学校前の桜並木は今が最盛期だ。


教室に入ると僕の席にもたれかかるようにして片山が立っていた。

手には分厚い今週の少年ジャンプを持ち、読みふけっている。


「学校に漫画の持ち込みっていいのか?」 


片山は僕に気づいて視線を漫画から僕へと移す。


「スマホの持ち込みがいいんだから、漫画がだめなわけ無いだろ。今時スマホに電子書籍として漫画入れることも出来るし。まあ教師に見つかったらなんて言われるのかは知らんけどな」 


僕は片山の横をすぎて自分の席に座る。


片山はジャンプを閉じて僕の方を見る。


「ちょっと邪魔なんだけど」 


僕の嫌そうな顔を見ても片山はびくともしない。笑っていた。


「お、悪いな。それよりこの前、帰り際に廊下で楽しげな河井を見かけてな。河井ってあんな表情をするんだなってびっくりしたわ。何か理由とか知ってる?」


「知らない」


「虎にも見せたかったわ。あれは絶対可愛いって思うから」 


何だかすごく得意げだった。

 

まだ数人しか居ない教室で片山の興奮気味な声はよく響いた。


僕は先日図書室で見せた表情のことかなと気にはなったが、興味がない風に装う。


いつ河井が教室に来てもおかしくはないはずなのに片山は堂々としていた。


「教室でこの話はやめないか」 


僕は周りを気にして少し怯えるように言うと、


「別に人の悪口を言ってるわけじゃないし、もし本人に訊かれたら、もっと褒め倒せばいい」 


片山は心配するな、と笑いながら僕の肩何度か軽く叩く。


全く説得力がなくて、僕はあんまり安心が出来なかったが。


「虎は二日も学校を休んで何をしていたんだ? まさか引きこもっていたわけじゃないだろ?」


「あー。全然違う。僕は今、両親がいなくて二日間ともアルバイトしてたんだ。多分これからも三日に一日くらいしか学校に来られないと思う」

 

それを聞いても片山はあまり驚いていないようだった。


「そうだったんだな。ってちなみにこの学校ってアルバイトしてよかったっけ?」


今度は逆に片山が問いかける。自分がついた嘘には自信をなくしてはいけない。


「僕の生活費を稼ぐためなんだから、アルバイトがだめなわけないだろ。社会経験が積めるし、将来役に立つスキルを身につけられる。まあ教師に見つかったらどうなるかは分からないけど」


「へー。いろいろ大変なんだな。流石に二日も学校休むと勉強の方がそのうちきつくなるかもだから、分からないとこあったらじゃんじゃん俺に聞いてくれよ」


「片山って勉強できたのか」 


「おうよ。なめるなよ」


片山はいたずらを思いついた子供が、その成功の自負に溢れた悪い笑みを浮かべている。


「普段の授業は寝ているのに?」 


「あれは睡眠学習ってやつだ」 


「…………」


「勘違いするなよ。何も授業を真剣に受けているやつだけが賢いわけじゃない。授業がなくても教科書を読めば必要なことは書いてあるし、勉強なんて知識量と応用への適応ができるかどうか。答えがあるんだから、迷わなければいい」


片山はどこか自信ありげで、ぐいっと胸を張っている。


僕は高校をなんとか卒業できた人間だったから、片山の言っていることは理解できないのだが、トップレベルの大学に受かるような奴らは片山みたいに感じているのかもしれない。


そうでなければ高校生という同じだけの時間を過ごしてきた人間の学力に差が出ることの説明がつかない。


片山はそういうタイプなのだろうか。


まさかね。

知りたくないのでこれ以上は触れないことにした。



段々と教室に人が増え始め、うるさくなってくる。


視界の隅に河井さんが見えた。


河井さんが教室に入ってきたのをつい意識してしまった。

しかし今の彼女はいつものクールさで話しかけづらい方の彼女だった。

 

午前中の授業に隣を見ると、相変わらず片山は机に突っ伏していた。


これでは学校に来ている意味があるのかって程に。



今朝、担任から進路指導係としての初仕事を昼休みの間にするよう伝えられた。


だから少し急いで弁当を食べる。

この学校は授業の合間の時間が短い分、昼休憩は比較的長い方だと思う。


いつものように弁当を食べていると、もう既に隣の席で同じ係の河井さんは食べ終わっていた。


読書をするのかと思いきや、何度かこちらをちらりと見てくる。


早くしてほしいと態度で示しているのかもしれない。


そんな圧を感じて僕は急がずにはいられない。

だからとにかく急ぐ。


そんな僕の様子を見て河井さんは急がなくていいよ、と優しく言ってくれたが、僕は急いで弁当をかけこんだ。

 


僕が食べ終わると、河井さんは徐に立ち上がるが、そわそわした感じを隠せていない。


どうやらまだ僕とどう接すればいいのか困惑しているようだった。


僕は気まずい時間を過ごしたくなかったし、早く仕事を終わらせたかったので先だって指示された空き教室の方へ向かうため、教室を出る。


河井さんはその後ろから急いで僕の隣まで来ると、なんで先行くの、と少し怒ったように言った。


理由を説明するのは面倒だな、と思っていた僕が曖昧に返事をすると河井さんから冷ややかな視線を向けられた。



それからは特に喋ることもなく、人の少ない廊下を響く二人の規則正しい足音だけが長い間、感じられる。


「しゃち君、学校を休んでいた二日間は何してたの?」


流石に沈黙に耐えられなくなったのか河井さんが口を開いた。


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