第6話
東京駅から新幹線で揺られること約二時間。
僕は指定席に座っているが通勤時間を過ぎたこの車両に人はまばらだった。
昼飯を食べるにはまだ時間は早く、車内販売員の女性は、客一人一人にしっかり狙いを合わせて愛想良く声をかけている。
しかしなかなか成果は出ていないようで、僕がコーヒーを一つ買っただけで嬉しそうな顔をされた。
僕の乗るひかり507号は時折途中の駅で別の新幹線に追い越される。
別に大して気にならなかった。
なぜ僕が今更高校生を、という思いだけが頭をぐるぐるしている。
僕が宮内庁庁舎に勤めることになってからは良いものの、それ以前までは不老不死性が露見しないようにと一定の期間毎に住んでいる場所を変えて、人間関係をリセットしてきた。
極力僕と関わりを持った人の記憶の消去を行わないように頑張ってきたし、これからも頑張るつもりだ。
高校生とは人間関係について多感な時期であろう。
そんな彼らの大事な時期に、いずれは記憶から消えゆく僕が関わっていくことに少しだけ罪悪感があった。
名古屋で新幹線を降りて、JRに乗り換える。
名古屋駅はJRに近鉄に名鉄、それに地下鉄と様々あって、乗るべき電車を探すのに一苦労を要した。
目の前に建つねじ曲がった構造のタワーには驚いた。
ちょうどよくお昼の時間で駅に併設されたラーメン通りに入ると、たくさんの仕事休憩のサラリーマンたちがいた。
時間に余裕があるからと何も考えずに一番長い行列のできている店に並んだ。
ラーメンと餃子の定食。
胃もたれなんて考える必要は無かった。
そこからさらに揺られること一時間半。
そこは都会と田舎の中間のようなところだった。
名古屋から少しでも離れると急にのどかな空気に変わる。
ただ僕はこれまで引きこもりをしていただけあって、一日の活動エネルギーは底に尽きつつあった。
慣れない空気感。
どこかしこに他人の『日常』というものを感じる。
少しばかりめまいがした。
これから住むことになるマンションの記された地図を頼りに歩いて行くと、程なくして真新しいマンションを見つけた。
あらかじめ渡されていた鍵を使って中へ入る。
広い。
それが第一印象だった。
広い。
学生が一人暮らしで使うような部屋ではなかった。
部屋は三部屋あり、そのうちの一部屋は防音工事が施されていた。
僕は楽器を演奏したりはしないので、ありがたく寝室として使うことにする。
明らかにこのマンションは、宮内庁の者が一役買ってそうだった。
僕は今日になって移動を言い渡されたのだが、もっと前から決まっていたことなのだろう。
僕がマンションの自室の探査を始めて三時間後、ピンポーンと呼び鈴が鳴った。
扉を開けると宅配人がいた。
荷物を受け取って中身を確認する。
差出人はヤマモトさんだった。
中に入っていたのは僕が通う高校の新品の学生服だけだった。
夏服と冬服が一着ずつ。
ヤマモトさんから何か助言のメモでも入っていないか探したが、そんなものはなかった。
僕は透明な袋から取り出さず、再び折り畳んで段ボールに仕舞った。
なんとなく腕を通す気にはなれなかった。
それからの生活は特筆することもなく、外出の必要がないときは部屋にこもる生活をしていたら、あっという間に時間が過ぎた。
一ヶ月なんて僕のなかでは一週間と少し経てば気づかぬうちに過ぎている。
『ネットセキュリティに関する新たな法案の制定。内閣支持率過去最大を更新。小学生にプログラミングの授業必修化。』
僕は最近の出来事を“歴史書”に記していく。
“歴史書”に書かれている文章や単語の種類を見るだけで時代の進歩の早さを感じる。
どこにいても人は皆、同時に同じ時間を過ごしている。
行動の質は違えども。
変わったことと言えば、買い出しに行くスーパー、たまに訪れる飯屋、散歩道、それに空気感だった。
東京に比べるとここの空気は幾分柔らかい。
気がつくともう二日後には朝霧高校の始業式が始まる。
相変わらず家に引きこもっていた。
生徒、いや知り合いになるかもしれないクラスメイトたちとの会話について行けるように、最近のはやりについて多少調べておく方がいいだろうか。
今は何がはやっているのだろうか。
一番忙しくない二年生に編入させると言っていたが、二年生と言えば既にある程度は人間関係ができあがっている。
三年生は恐らく受験勉強で忙しいし、一年生の新しいことづくしの環境ということで、僕の任務の妨げになってしまうという計らいか。
まあ別にどの学年であろうとやることは変わらないのだが。
最近、家庭用プラネタリムを買った。
部屋を暗くして家庭用プラネタリムの投影機に映し出された虚像の星たちを眺めているのが好きだった。
自分が一人でいることを忘れられる。
別に一人でいることが嫌いなわけではない。
むしろ好きだ。ただいつまでも一人でいたくはない。
たまに世界に人口が何十億もいるという事実を忘れたくなる。
何十億人が同じ時間を過ごし、それぞれ何らかの活動をしているという事実が気持ち悪い。
暗闇は自分という存在を曖昧なモノにしてくれた。
そういえば教科書を買いにいった。
ヤマモトさんから電話がかかってきて、教科書は何使っているか分からないから自分で調達するようにだと。
始業式間近である、ふざけるな。
4月3日(火)
僕が朝に勇気を出して制服に腕を通したのとは裏腹に、高校の始業式は恐ろしいほどあっけなく終わった。
校長の話は至極ありきたりで、事故も事件もなく春休みが終えられたこと嬉しいとか、学校生活をよりよいモノに出来るよう皆さんで心がけていきましょうだとかなんとか。
僕が割り振られた二年三組は計三十八人。
ちなみにこの学年八組まである。
やはりこの新学期に編入することで、少なからず皆誰かとは初めましての状態であり、誰も僕が編入してきたことは分からないようだった。
担任の自己紹介が終わり、今度は生徒が一人一人自己紹介する流れになった。
「古久根(こくね)虎(しゃち)です。名前は虎ですが、ネコ科よりもイヌ科が全般的に好きです。僕の名前は『とら』じゃなくで『しゃち』なので間違えないでほしいかな」
さすがは一分クオリティ。
このように呼びかけても『とら』と呼んでくるやつはいるはずだから、社会人になる前に重要なことはメモを取る習慣でも学んでいただきたい。
しかしこのような流れ作業の自己紹介で三十八人もの名前を覚えるのは、僕でも至難の技だ。
記憶力のいい僕でさえ、人を外見やわかりやすい内面的特徴とともに記憶している。
だから結果を先に言うと、全然覚えられなかった。
いや覚える気はあったのだ。たった一年間の付き合いとは言え、名前くらいは覚えていないと本当の年が違う僕が会話なんてできないだろう。
人の顔と内面的特徴が伴って記憶に定着する一ヶ月後ぐらいに自己紹介を行うのが効果的だと僕は勝手に思っている。
それに皆が初めの自己紹介で自分の情報をどのくらい開示をしようか迷っているのがすごく伝わってきて背中がむず痒く感じた。
クラスの人とそこまで仲良くやっていこうという気がないけれど、人の名前を覚えるにはこれまで使ってこなかった脳を使うみたいで、少し頭がズキズキとした。
それでも学校初日、担任の樅山(もみやま)先生、右隣の席の河井由奈(かわいゆな)、それに左隣の片山空(かたやまそら)。
この三人の名前だけは覚えた。
普段人間関係が極度に狭い僕からしたらこれでも頑張った方だと自分を褒めたい。
しかし右隣の河井はクールビューティーを通り越して、無口を極めて本を読みふけっているし、――確かにビューティーではあるがーー片山は初日なのに居眠りをしている。
あまり僕に興味を持ってほしくないと思っていた僕は、この調子なら二度目の高校生活を、つまるところ彼らとは仲良くやっていけそうだなと思った。
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