第5話

そんなこんなで僕が“歴史渡り”になって実質活動時間は8年、世間では24年の月日が経っていた。


ヤマモトさんはすらっと細身で、スーツを綺麗に着こなして清潔感が溢れ出ていた三十代から、スーツを二回りも大きく新調しなければならないほどの筋肉をつけ、あごひげを軽く生やした五十代になっていた。

程よく日焼けした褐色の体を動かすよりもデスクワークをしている時間の方が長いのは相変わらずのワークホリックだが、人生何があるか分からない。


僕は今、ヤマモトさんやその他宮内庁に勤める公務員の方々にお願いして、宮内庁庁舎の一角を借りている。

宮内庁庁舎は地下鉄千代田線の二重橋前駅、又は地下鉄三田線の大手町駅から徒歩15分ほどの距離にある坂下門をくぐって皇居に入り、そこからさらに少し歩くとある。


平日は皇居見学の観光客がいるものの、皇居内は広く自然豊かでいつ来てものどかな場所だ。すぐそばに見えるビル群とは一線を画したこの物静かな場所自体が、俗世との関わりをまるっきり絶っている僕のためのシェルターだった。


僕は普段新聞やネットニュースを読み漁ったり、宮内庁にある過去の文献を“歴史書”と読み比べ、内容を精査したりしている。

たまに新聞社の社長や著名な社会学者に来てもらって今後の情勢を聞いたりもしているが、苦労は無くもはや日常のルーティンみたいになっていた。


ごくたまにヤマモトさんと皇居から歩いていける距離にある穴場のイタリアンに行くこともあったが、基本は一人行動することが多かった。

大人というものはそういうものだろう。


高校生という外見のせいで学校をサボっている不良のように思われたりもするが、勝手な勘違いを正すほど器は大きくないしそんなことにかまってはいられない。


とはいえ。

暇だった。

何か歴史に関する重大な出来事が起こらない限りはやることがない。

今に始まったわけではないが、とにかく暇だった。

そんなに時間があるのなら勉学に励めだの、趣味に打ち込めだの言うかもしれないが、僕は社会的には秘密の存在であり、ヤマモトさんを含めて秘密を知っているのはごく少数しかいない。


僕が社会に対して何か発信したり行動するには、僕がゴーストなんちゃらになる必要があるのだ。

つまりは僕が書いた論文や歴史書は誰か別の人が書いたことにされる。

めんどくさい。


三月初頭にしては、やや冷ややかな風が皇居の堀沿いを吹き抜ける。

しかしその冷ややかさは人の意識をより鮮明にする。

新しさを象徴する春の到来を待ちわびる人にまだ冬の余波を感じさせ、心を宥めるはずが、逆に名残惜しさを漂わせながら春への渇望を余計に刺激していた。


思えば相変わらず宮内庁庁舎でひきこもっていたため、今日庁舎から出て外を歩いているのは三ヶ月ぶりくらいかもしれない。

外界の変化が眩しい。

東京駅の丸の内中央改札からぞろぞろと出てきては吸い込まれるようにビル群に消えていくサラリーマンたちを遠目に見ながら、あと一ヶ月もすれば皇居も桜が咲き渡るのだろうかと思いを馳せる。


今年は例年まれに見ない寒波の影響で桜の開花は遅れるかもしれない。

それも悪くないなと思う。


僕は人混みの多いところには行かないようにしていた。

集団にいると考え方が平凡化するし、そもそも人は自ら考えようとしなくなる。

これは僕が大学時代に得た知識と経験則。


花見という毎年起こる普通の現象に集まって馬鹿騒ぎする現代人の観測が、今年は遅れてくれてもかまわなかった。


一度だけ僕も花見に行ったことがある。

昔、まだ“歴史渡り”になりたての頃に当時の彼女と行った。

満開で見事な桜と彼女が作ってきてくれたサンドイッチの美味しさは印象的だった。


そんなことを思い出していると、突然ポケットの中に入っているスマホがバイブレーションを始める。

見るとヤマモトさんからの着信だった。珍しい。


「すぐに宮内庁庁舎に戻ってきてください。込み入って話があります」


こういう日に限って戻らなければならないのなら、庁舎から出なければ良かったと思う。

急いで戻ることにした。

別に行く当てもなく散歩していただけなのでどうってこと無い。


走るとひんやりとする風は余計に身を切り裂くように滲みる。

僕の“歴史書“には気温の記述はないが、時代が進むにつれて人というぬくもりは、益々寒化の一途を辿っていると思う。


「朝霧高校に行くのです」 


単刀直入にそう言われた。

思いやりなんてものは一切あったもんじゃなかった。


「講演会とか何かですか? それとも誰かのアシスタントですか?」 


日本史の知識なら僕ほどの者は他にいないだろうし、由緒ある学校で大きな発見の瞬間に立ち会えということも十分にあり得る。

今まで講演会というものをやったことはないが、しゃべる題材ならいくらでもある、というか普段人としゃべらなさすぎて話のネタは飽和していた。


「いや、朝霧高校の生徒としてです。具体的には二年生ですね」


ヤマモトさんは右手であごひげをさすりながら、にまっと笑う。

右腕の上腕二頭筋が盛り上がるのが見えた。こう見えて書類の管理は細かい几帳面だというのだから今も違和感しかない。


「なぜ僕がまた高校生をやる必要があるんです? 僕って一応は大人ですよ」


「君ほど適任者はいないでしょ。……だからといって高校生に手を出してはいけませんよ。外見は高校生だからと言って君の中身はおじさんなんですから」


「確かにこの外見だと高校生に間違われるだろうけど大人としてのプライドはあるからな」


「そんなことを言ったって君は高校生でやり残したこととか後悔してることの一つや二つくらい……」


「例え後悔していたとしてもやり直したいってわけじゃないからな。もう振り返らないという選択肢もある」


「それはただ目を背けて勝手に終わったことにしているだけですよ。君は運良くやり直せる機会があるのですから。まだ心も若いでしょ。上手く溶け込めますよ」


「だからってもう立派な大人だよ?」 


「決断を遅らせているといつの間にかおじさんになってしまいますよ。私みたいに」


ヤマモトさんは僕と会ってからの年を指で数え始める。


ちょうど24回指を折り曲げを繰り返し、案外あっという間でしょ、と笑顔で僕に語りかける。

四半世紀。


思えば長い付き合いだ。


「先ほど入った情報なのですが、朝霧高校で“歴史渡り”に関する情報を知っている者がいるらしいのです。詳しい情報は分からないですが、もしかすると阿久津君に関することかもしれません。それを調べてきてください」


「何で僕が直接行く必要があるんだ?」


「君最近、暇していますよね。そんな若々しい外見で引きこもりしやがって。更生してください。自分たち“管理人”だって暇ではないのです。君は高校在学中にだって“歴史渡り”を並行して出来てたのですよ。あくまで生徒のふりをして、“歴史渡り”を知るターゲットの懐に入り込んでください。歴史書の空白を埋めることが君の使命ですから。きっと上手くいきますよ」


「そうかなあ」


「そうですよ。そしてもう少し個人的に社会と関わるべきです、引きこもってないで」


初めから暇を持て余している僕に拒否権はないようで話はどんどん先に進んでいく。


「ちなみにもし、ターゲットが何らかの偶然で“歴史渡り”に関する情報を知ってしまった場合には、特定機密保護法令に基づいて速やかに記憶の消去を行うので自分に知らせてください。それと社会に関わるべきとは言いましたが、程よくですよ。高校生と仲良くするのは全然よいのですが、君はいずれ彼らの記憶から薄れていく存在なのです。君について知りすぎると記憶消去という手段もあります。どうなるかは君の情報管理次第ですけど。的確な判断を頼みますよ」 


ヤマモトさんはにっこり笑って、サムズアップする。



そう、何を隠そうヤマモトさんは秘密保護のエキスパートなのだ。


実際過去に“歴史渡り”に関する情報を知った何人もの記憶を消してきた。

消すかどうかの判断は僕とヤマモトさんの両方にある。

この人は宮内庁職員でありながら、警察庁ともつながりがある。

なんなら武術だって警察官とも劣らないだろう。


不都合な真実は警察庁でもみ消す。

こうして“管理人”は代々“歴史渡り”の秘密を守ってきたらしい。


今後も秘密漏洩の恐れがある人物の記憶は容赦なく消す。



僕には仲が良かった幼馴染みが二人いた。

神主の息子でオカルト好きな男子に、いつも勝ち気で生意気な僕よりも背が高い女子。

昔はよく三人で遊んだ。

二人にはもう二十年以上会っていないし、僕についての記憶が消されないようヤマモトさんに言われたとおり“歴史渡り”に関しても一切伝えていない。


「学業の方はどうすればいいんだ? 流石に日本史以外の教科はさっぱり忘れたぞ」


「そこは適当にやってください。留年してもらってもかまわないですから」


「いやそこはかまえよ。というか僕の人生長いのに、留年したという不名誉をこれからずっと背負っていくことになるんだぞ。いやだからな」 


僕自身が気にしなければ、留年したことを周りはそこまで気にしないとは思うが、そこはプライドが許さなさそうだった。


「ちなみにやりたくてもやれなかったことって、下世話な話ですか? もしそれで悩んでいるのでしたら、自分も同じ男として一緒にいい解決策を考えてあげましょう。流石に古久根君を魔法使いにするわけにはいかないので」


「うるせえ、違うわ!! サバゲーだよ」


「ハゲ? さっきの年齢の話もそうですが、加齢をネタにするのはよくないですよ。人生皆通る道なのですから」

 

そう言ってヤマモトさんは黒髪をかき上げる。普通にふさふさでむきむきなのだが。


「サバイバルゲームフィールドって二十歳超えてないとは入れないとこばっかりなんだよ。それにこの外見だとガキって門前払いされるし」


「もしよかったら警視庁の知り合いに連絡して、今度、射撃訓練場にでも行きますか?」


「それマジの銃じゃん……。そこまで本格的なのは求めてない」


「そうですか、残念です。とまあ楽しいおしゃべりはこのくらいにしておいて。今日の新幹線のチケットとっておきました。あとこれが君の住むマンションの書いてある地図です」


そう言ってヤマモトさんは僕の胸ポケットに新幹線のチケットと紙切れを入れる。


「早めにけりをつけた方がいいかもしれないですよ。思い入れも思い出もこっちの生活へ戻ってくる時には邪魔になるだけですからね。君はお節介焼きなところもあるので案外高校生を長くやると言い出したとしても納得はいきます。ただゆっくりしていると自分が退職してしまっていることは忘れないでくださいよ」


「留年しないしそんなに長く高校生をやったりもしないからな。“歴史渡り”を知るターゲットを見つけ次第、速攻で高校生やめていいんだよな?」


「はい、もちろんです。上手く高校生に溶け込めるといいですね。帰ってくる頃には若さを取り戻して更生してきてくださいよ」


そんなにだろうか。ちゃんと決められた仕事はしているのに。

ヤマモトさんは名残惜しそうに笑う。


思えばなんだかんだ、この人とは一緒に仕事をすることが多かった。

歴史に関する資料を集めて二人で研究した。一緒に遠出して現場検証もした。

だからその都度、彼の身体的変化に僕はいち早く気づいて指摘したものだった。


「僕はそんなに簡単には変わらないって」


僕の人としての核は常人よりも複雑な環境下で複雑に形成されてきた分、変化する余地は無い。


そう言い残して、僕は宮内庁を後にした。

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